第14話 過ぎたるは猶及ばざるが如し
厳しい冬が明け、桜の蕾がほころび始めていた。
儚い桜の花が人の心を惹きつけるのは、どの世界でも変わらない。
二度と戻らない“死”があるからこそ、
人はその美しく散る花に、どこか理想的な終わりを重ねてしまうのだろう。
侯爵領の城下町マ・ルトロン。
その郊外、街を一望できる丘の上に、桜の木々に囲まれた集合墓地がある。
均整の取れた墓石の列のなかで、ひときわ大きな石碑の前に、一人の青年が喪に服していた。
赤橙の髪を無造作に後ろで束ね、垂れた前髪の隙間からは、目立って美形というわけではないが、整った顔立ちがのぞいている。
細かな刺繍の入ったズボンを汚すことも気にせず、彼は手にした数輪のスイートピーを、すでに供えられていた立派な花束の脇にそっと添えた。
続けて、両手を胸の前で合わせ、目を閉じる。
この国ではあまり見られない仕草。
違和感を覚える者がいれば、作法の誤りと断ずるだろう。
だが――今、この場に、他の誰の目もなかった。
静けさの中で、春の風がそっと吹く。
髪を優しく揺らすその風は、まるでわが子を撫でる母の手のようだった。
*
目を開けて、墓前に目をやる。
――母さん。
あの夢を見る少し前に、母は息を引き取った。
流行り病だったらしい。
かすかに、床に伏していた姿だけが記憶に残っている。
それが、僕に残された唯一の記憶だ。
……声も、顔も、もう思い出せない。
だからなのか、母に対する感情は、正直、薄い。
「久しぶりだね、母さん」
墓前には、他よりもずっと綺麗な石碑と、手入れの行き届いた立派な花束があった。
「……父上が来てくれてるみたいだ」
侯爵閣下は、今でも変わらず母を想っているらしい。
あの人は日々多忙なはずなのに――墓参は欠かしていないという。
「今朝、離れで父上と朝食をとったよ。本当に、何年ぶりだろうね」
後妻と異母弟との食卓には頻繁に顔を出していると、親切な侍女が言っていた。
……ご丁寧にどうも。
「……そこで父上が何て言ったか、母さんは分かる?」
今日が学園への出発日だからか、さすがに止める者はいなかったようだ。
「“学園で問題を起こせば、もう擁護できない”――だってさ。笑えるでしょ」
あの人の顔には、どこか申し訳なさそうな色が浮かんでいた。
たぶん、僕のことを、まだどこかで気にかけてはいるんだと思う。
「……勘付いているのかな」
僕は、主人公を強くする――そのために、婚約者や彼自身を利用するつもりだ。
世界を救う、なんて綺麗事じゃない。
楽して生き残りたい。それだけのためだ。
期待してくれている人がいるのも知ってる。
その人たちを裏切る行為だと理解しているつもりだ。
……その中に、父上も含まれているのかもしれない。
――でも、それがどうした。
「母さんが生きていれば……」
そう思ったことは、一度や二度じゃない。
けれど、もしもの話に意味はない。
だから僕は、これから夢で観た“もしも”を、意味のない未来にするために、ここを去る。
「母さん、行ってきます。会いに行くのは、かなり先になる様に頑張るよ」
ゆっくり待っていてね。
優しい風が吹いた気がした。
*
「キースお坊っちゃん、そろそろ出発のお時間でございます」
いつの間にか近くにいたセバスが、声をかけてきた。
「爺や。お前はいつになったら“坊っちゃん”呼びをやめるんだ? 僕、もう学園に入る歳だぞ」
「何を仰います。私にとっては、いつまでもお坊っちゃんでございますよ」
変わらない。
僕に対する態度が、昔からまったく変わらなかった使用人は、セバスだけだった。
「まあ、いいや。爺やは、母さんに挨拶しなくていいの?」
「はい、私はいつでも奥様にご挨拶できますので」
掃除の行き届いた石碑を見る限り、母のもとに足を運んでいるのは父だけではないようだ。
セバスが後妻のことを“奥様”と呼ばない理由――それを聞くのは野暮だろう。
「そう。じゃあ、行こうか」
僕はセバスを伴い、馬車へと向かった。
「爺やも付いてくるのか?」
お見送りかと思っていた彼が、当然のように馬車へ乗り込んできたので驚いた。
「もちろんでございます、お坊っちゃん。このセバス、どこまでもお供いたします」
彼の言葉に、少しだけ苛立ちを覚えた。
そのせいか、言うつもりのなかった意地の悪い言葉が口をついて出る。
「それは、僕が廃嫡されるような問題を起こしてもか?」
「キースお坊っちゃん。私は亡き奥様より、こう申しつかっております。
“この子の行く末を、最後まで見届けてほしい”と」
即答だった。
僕を見つめるその目は、今も変わらず優しくて、まっすぐだった。
「廃嫡など問題にございません。お坊っちゃんの望む道を、お進みください。
もちろん、その道を迷われたときは、遠慮なく忠言申し上げますので、ご安心を」
……怖いな。中庸から外れたら怒られるの、僕?
全然安心できない。けれど、ほんの少し、心が軽くなった気がした。
馬車に揺られながら、僕は考える。
学園。
正式名称――アルセタリフ王立英鳳学園。
王都に隣接し、資源ダンジョンを三つ内包する学園都市の中核。
国内最大規模のフィニッシングスクール。
そこが、僕が運命を切り開く場所だ。
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