第4話 ヒロインとの接見
僕のスキルが文字化けスキルではなく、実は「踏み台」だったと気づいてから、早くも三か月が過ぎていた。
「……うん、深く考えるのはやめよう」
あの時すぐに使用人を呼び、プレートを見せた。
しかし、彼らには相変わらず“文字化けスキル”としか認識できないようだった。
何人かに確認してみたが、結果は同じ。
どうやら、「踏み台」と読めるのは僕だけらしい。
さらに、そんなスキルは誰も聞いたことがないという。
ゲームのようにスキルの説明欄があるわけでも、フレーバーテキストが読めるわけでもない。
結局、何も得られなかった。
いや、得られたのは「文字化けスキルを見せびらかすお坊ちゃん」という不名誉な評価だけだった。
──とはいえ、三か月の間、ただ無為に過ごしていたわけではない。
あのゲームのシステム上、文字化けスキルは名前こそ読めないものの、実際には別のスキルが割り当てられている。
データ解析をした攻略サイトの有識者によれば、主人公は“博愛”、悪役貴族である僕は“怠惰”が基準のパラメータだった。
各スキルは、【能動発動の《技巧》】と【常時発動の《恩恵》】という2系統の能力を持つ。
文字化け状態だと魔法は覚えられるが、専用の《技巧》や初期から覚えるはずの《恩恵》すら習得できない仕様になっている。
初期に覚える魔法には七元徳と七つの大罪による違いはあるものの、進化先ではそれほど差がないため、検証は難しい。
しかし、もし“踏み台”が全く異なるスキルなら、その影響も異なるはずだ。
そこで僕は、魔法の家庭教師に頼み込んで、さまざまな魔法を試させてもらった。
その結果、本来の文字化けスキルでは習得できないはずの補助魔法に適性があることが判明した。
これは、ゲームの設定とは明らかに異なる現象だ。
おかげで「一つのことに集中しないわがままな生徒」という評価を受けてしまったが、十分な成果は得た。
僕は失敗から学べる人間なのだ。
正直、踏み台というスキルが良いものか悪いものかはわからない。
だが、ゲームと異なることが起こるというのは、非常に興味深い。
ゲームのシナリオに沿って世界が動くわけではないのなら、何かのきっかけで世界が崩壊しない可能性がある。
しかし、表面上、文字化けスキルが変わったわけではない。
物語によくある“強制力”のような神の采配によって、どれだけ過程が違えど、結果として世界が崩壊するのかもしれない。
「……何を考えていたのですか?」
「たいしたことじゃないよ、エマミール嬢」
僕は、テラスに設置されたテーブルで向かい合い、一緒に午後のティータイムを楽しんでいるエマミール・トリスティンの問いかけに答える。
彼女は僕の婚約者であり、そしてゲームのヒロインの一人だ。
「鑑定の儀」が終わって少ししたら決まっていた。
トリスティン伯爵の三女である彼女は、学園に入学してしまえば主人公に靡いてしまう。
屑な悪役貴族に大衆の面前で辱めを受け、それを主人公が決闘で救い出すのだ。
「そんな難しい顔をして悩まれていると、気になってしまいますわ。言葉にすると楽になるかもしれません。是非お聞かせくださいませ」
柔らかな笑顔で語りかけてくる姿は、さすがゲームのヒロインに相当しい。
ゲーム内でも主人公の悩みを聞いて、献身的に答える姿が描かれていた。
「いや、本当にたいしたことではないよ。……ちょっと魔法の覚えが悪くてね。初歩的な補助魔法は使えるけど、属性魔法が上手くいかないんだ」
真っすぐなエマミールの眼差しに耐え切れずに、本当の悩みではなく少しズラした言葉を選んだ。
とはいえ、属性魔法が使えない事も、本当の悩みであることに変わりはない。
火は着火に使えるし、水は洗浄に使える。
サバイバルには不可欠な魔法だ。是非欲しい。
「まあ、補助魔法がお得意なのですね。私も補助魔法に適性がありますの。先日第二段位の習得に入りましたのよ」
エマミールはゲームでは中距離戦闘要員だった。彼女の言うように得意魔法は補助魔法。
仲間にバフを掛けて強化しながら、自身はクロスボウで攻撃するのは定番の戦術だ。
そして、彼女の言う“第二段位の魔法”とは、実戦で通用する補助魔法を扱えるようになる、いわば初心者卒業のラインだ。
「キース様は文字化けスキルという素晴らしいスキルをお持ちなのですから、すぐにすごい魔法が使えるようになりますよ」
そんなことを言うエマミールもスキルは「早打ち」という"素晴らしい"スキルに位置づけられるものだ。
魔法の適正とスキルの相関関係は研究されていないので、一般的には魔法は個人の資質によると認識されている。
それでもスキルと結び付けて励ましてくれたのは彼女なりの優しさからだろうか。
正直、彼女のことはよく分からない。
ゲームでの登場は、幼馴染ヒロインに続いて二番目。
プレイヤーが自由に攻略できる中では、ほぼ最初からパーティに加わるヒロインの一人だった。
だが、初登場の時点で彼女と悪役貴族――つまり僕との仲は、すでに最悪なものとして描かれていたはずだ。
誰にでも優しく、聞き手に回ることの多い彼女だが、ストーリー内で主人公との関係が深まっていくにつれ、段々と本音を明かすようになる。
その中で語られていたのが、僕との婚約に関することだった。
会う前から嫌悪していたらしい。
自分の意思とは無関係な政略結婚が嫌で、たとえ相手が将来有望であろうとも、心を開くつもりはなかった――そんな風に嘆いていたのだ。
プレイヤーにとって都合のいい、よくある主人公に初めて心を惹かれ、ヒロインは誰の者でもなかったと言う事を暗に伝えるシナリオだったのだろう。
だが、それをただの物語としてではなく、「本当に起きたかもしれない未来の一つ」として眺めると、見方は変わる。
──未来に偶然はない。すべては必然である。
夢の中で誰かがそう言っていたのが、妙に印象に残っている。
今の思考が、行動が、状況が、次の一瞬の未来を形作る。
たとえ突然リンゴが頭の上に落ちてきたように思えたとしても、リンゴが空中に突如出現したわけじゃない。
過去に木に実ったからこそ、落ちる未来があったのだ。
過去から現在への流れが必然であるなら、現在から未来もまた必然。
ならば、政略結婚が嫌いなエマミールは、出会う前から僕のことが嫌いなはずだ。
……なのに、今の彼女は、僕に対してあまりにも自然で、あまりにも好意的に接してくる。
――初めてエマミールと顔を合わせた日のことを思い出す。
『わあ! 初めまして、キース様。私、エマミールと申します。とても珍しいスキルをお持ちなのですね。お会いできるのを楽しみにしていましたの』
初対面のはずなのに、彼女はまるで以前から僕を知っているかのように、弾む声でそう言った。
その無邪気な笑顔は、年頃の少女らしく、しっかり者の令嬢というよりは、ただ喜びを隠せない少女そのものだった。
『プレートを見せていただいてもよろしいかしら? まあ、すごいわ。触っても? わあぁぁ!』
身分や場面にそぐわぬはしゃぎぶりに、こちらが戸惑うほどだった。
『こんな恥ずかしい格好でお会いするなんて……アクセサリーもつけていませんのに……そんな、可愛いだなんて……え、プレゼントしてくださるのですか? 嬉しい!』
飾り気のないシンプルなドレスを嘆いていたエマミールに、今度アクセサリーを贈ろうと約束した。
そのとき見せた、はにかむような笑顔は今でも鮮明に覚えている。
女の子は、嫌いな相手には冷たく、最低限の礼節しか見せないものだと思っていた。
でも――エマミールは違った。
それとも、すでに何らかの形で僕に好感を持っていた? そんなはず、ないと思うのに。
だが、夢で見た未来と違う部分が、確かに存在する。
――僕自身だ。
夢を見なければ、僕はもっと傲慢に、あるいは無関心に彼女に接していたかもしれない。
だとすれば、僕の変化が小さなバタフライエフェクトとなって、周囲に波紋を広げている可能性もある。
それにしても、こんなにもあっさり変わるものなのか? 世界とは。
ふと、あの日贈ったアクセサリーのことを思い出した。
確か、一度は身につけてくれていたはずだが――今、彼女の首元には何もない。
……着けていないのか?
直接聞くのは下品だろうかと逡巡していた矢先、エマミールの方から声がかかる。
「以前いただいたオーザラックブランドのネックレスは、もう流行りではなくなっておりますの。流行遅れのものを身につけていては、キース様の顔に泥を塗ってしまいますわ」
その言葉に、思わず納得する。
侯爵家の婚約者となれば、些細なことでも粗探しの対象になると聞く。
エマミールが気を配るのも当然だった。
「キース様に……新しいものを買っていただけると、嬉しいのですが……だめ、でしょうか?」
エマミールは少し申し訳なさそうに目を伏せ、それからそっと、上目遣いでこちらを覗き込んだ。
その仕草が、あまりに可愛らしく、あまりに自然だったから――
「あ、ああ。もちろん」
僕は条件反射のように、そう答えてしまっていた。
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