セペフルとシャンギヤンⅡ
ファルザードは玉座で紙巻を広げる手が微かに震えているのに気が付いた。王都の精鋭を率いたギヴが負けた。ハンの軍勢がこちらに向かってくる。ファルザードの君主としての直観が告げている。
アルダーグは陥ちる。ターリークは終わる。
ファルザードと側近だけどこかの街に軍隊と共に落ち延びて、仮の朝廷をつくるか? そうして王国の存続だけでもはかるか? まさか。そんなことをしても、オルホジャの遊牧民は迫ってくる。ここで勝てない戦には、どこに行っても勝てない。それに、そんなことをすれば隙を窺っている西の豪族たちも反旗を翻すだろう。そうなれば、この国土に数十年では消えない混沌が生まれる。
では、どうせ陥落するとわかっているなら、無血開城をした方がまだよいのか。そうして、あの遊牧民たちに無傷のアルダーグを明け渡すか。しかし、各地で掠奪を繰り返しているあの遊牧民に自らアルダーグの門を開け放てばどうなるか。戦う兵士がいようがいなかろうが、虐殺と強奪が繰り広げられるのは目に見えている。無血開城しようが結末は同じこと。戦うしかないのだ。負けるとわかっている戦を、己の直観が否定する一縷の望みにかけて戦うしかない。
「陛下、いかがなさいますか」
王宮にいるほどの大臣たちは皆集まって、ファルザードの前に跪いている。ファルザードは冷ややかに命じる。
「死守せよ」
大臣たちは身じろぎ一つしない。だが、ファルザードには彼らが動揺している空気が見えた。ファルザードの命を異としている。この期に及んで正しい命などもはや存在しないというのに。ファルザードは口の端を上げた。そうして己を嘲笑した。稀代の名君と称えられていた王が、こんな景色を見るほどに落ちぶれたのだと、そう自らを嘲笑した。
だが、それも一呼吸の間にやめて、王都守備軍の将を除いて大臣を下がらせると、将軍と直に話し始めた。いつまでも、どこまでも抗わなければならない。この王国がある限り、己はこの王国を存続させるために抗い続ける。なぜなら、己はそのためにこの玉座に座っているのであるから。
セペフルとシャンギヤンは涙に暮れる母の前に立っている。母の前の机には、黒衣の使者によって届けられたギヴの訃報が広げられ、数日を経た今もなおそのまま置かれていた。セペフルは椅子で顔を覆う母に一歩近付く。
「母上……」
「大丈夫よ。まだ財産はあるし、陛下から見舞い金はいただけるわ。私たちはまだこの屋敷にいられます」
セペフルは言葉を失った。自分が聞きたいのは、いや、それにも増して、あなたが語りたいのはそれではないだろうにと思った。シャンギヤンは何も言わない。父の死が伝わってから、シャンギヤンは屋敷の些事はセペフルとともに取り仕切り、判断がつかないものだけ母に委ねた。
泣き疲れた母が眠ってから、セペフルとシャンギヤンは街に出る。大通りへ、そして港へ。
ああ! あの繁華だったアルダーグのなんと色褪せていること。いまだこの都に馬の蹄一つ及んでいないというのに、人々の顔は薔薇からサフランに。人通りもまばらに、店は閉ざされ、港に異国からの船はない。その光景に、シャンギヤンが唇を噛んで震えている。その肩を、セペフルが抱いた。どうしてよいかわからなかったが、それが傍らにいる兄へできるせめてものことだった。
セペフルは自分の顔もきっと血の気を失っているのだろうと思う。そうして二人、膝から頽れそうになりながら歩く傍ら、路傍に咲く薄紅色の花を見つけた。ペグナーズ。かつて、この花を道で見かけたことはなかった気がするのに、こんなに人目に露わな場所に咲いている。セペフルがその花を抜くと、強い風が吹いて、辺りに花弁と花粉をばらまいた。強く、花が匂っている。
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