第3話 33番目の男

それは、昼のことだった。


いつも通りのオフィス。

コピー機の音と、電話の着信音と、カチャカチャ鳴るキーボード。

——その中で、明らかに異質な“沈黙”が、空間を割った。


「……おい、ニュース見ろ」


誰かが小声で言った。

いつもはくだらないバズ動画を流している休憩室のテレビに、妙に硬直した表情のアナウンサーが映っていた。


『……この映像は、現在、全世界で同時に放送されています』


その背後のスクリーンに、奇妙な顔が映し出されていた。

いや、顔というよりも——“俺の顔”をデフォルメしたような、それでいてどこか異質な顔。


不気味な無表情。

左右対称すぎる目元。

皮膚が滑らかすぎて、生物的な違和感を覚える。


そいつは、笑った。


『人類諸君。我々は、星間平和維持機構から来た者だ』


周囲がざわつき出す。テレビの中の顔は、その騒ぎすら嘲笑うように滑らかに喋った。


『お前たちの歴史を観測した。争い。差別。暴力。

 その多くが、“見た目”に起因するものであった。

 故に我々は決断した。“顔”を統一すれば、争いはなくなる』


画面が切り替わる。各国首脳、芸能人、子どもたち——

全てが俺の顔で笑っている。テレビ越しでも分かる。

そこに映っている“世界”は、完全に俺の顔で塗り潰されていた。


『感謝するがよい。お前たちは今、平和へと至ったのだ』


その声に、誰も言葉を返せなかった。


ただ、俺だけは、頭の奥で鐘のような音が鳴り響いていた。


——こいつの顔、俺に似てる。

いや、俺がこいつに似てるのか?


気づけば、テレビの中の“それ”がこちらを向いた。

確かに。確実に。俺のいる方を、真っ直ぐに。


『……そして、33番目の我が同胞へ。目覚めの時だ』


息が止まった。


『お前は、この星に送り込まれた。

 潜在記憶を封じ、“地球人”として生きていた。

 我々の顔が受け入れられた今、役目は終わった』


世界がぐらりと傾いた気がした。


会社の同僚たちが、一斉に俺を見る。


「……お前?」


「え、どういう……えっ、なに? お前が?」


声にならない疑問と恐怖が、俺に突き刺さる。


違う。違う。違う違う違う。


「俺は人間だ……生まれてからずっと、人間だった……!」


口から出た声が、誰かのものに聞こえた。


テレビの中の“俺”が、微笑む。


『疑うのは当然だ。君には記憶がない。

 だがその顔は、何よりの証明だ。

 この星の人々が、君を受け入れた。それこそが成功の証だ』


——そんなわけ、ないだろう。


俺の意思は?

俺の人生は?

俺が“俺”であるって、誰が決める?


俺は、椅子を蹴って立ち上がった。


「違う! 俺は……っ、俺はお前なんかじゃない……!」


けれど、誰もが俺を見ていた。

同じ顔をした無数の“俺”が、無表情で、静かにこちらを見ていた。


誰が本物か。誰がオリジナルか。

もはや、何の意味もない。


俺が叫んでも、無表情の“俺たち”は何も言わない。


そして、テレビの“俺”が最後にこう言った。


『ようこそ、同胞よ。君の存在が、この星をひとつにした。

 お前は、我らが33人目』


映像が消えた。


残されたのは、無数の俺の顔。

そして、真ん中に立ち尽くす、たったひとりの“俺”。


心臓の音が遠く、他人のもののように聞こえる。

体の芯が冷えていく。


隣にいた同僚が、ぽつりと呟いた。


「……なあ、俺もさ、ちょっとだけ……お前って気がしてたんだよ」


笑った。


“俺の顔”で。


——この世界には、俺しかいない。


でも、誰もが“俺”なら、

俺は、どこにもいないのかもしれない。


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