中学生サバイバル! 幻灯祭(げんとうさい)と夜明けまでの試練
☆ほしい
第1話 何もない夏休み
じりじりと肌を焼くような蝉の声が、窓の外から部屋の中まで満たしている。
八月に入って一週間。カレンダーに並んだ、たくさんの空っぽのマス目を眺めながら、僕は大きなため息をついた。
中学二年生の夏休み。
雑誌を開けば「一生モノの思い出を!」なんて言葉がキラキラした文字で踊っているけれど、僕の夏は今のところ、ただ単調な毎日が続いているだけだ。
机の上のスケッチブックには、描きかけの風景画が広がっている。
窓から見える、ありふれた夏の景色。電信柱、アスファルトの道、そしてその向こうにもくもくと立ち上る入道雲。
特別なことなんて、何一つない。
「水希(みずき)! いるかー?」
突然、階下から野太い声が響いて、僕はびくりと肩を震わせた。
この声の主は、考えるまでもない。幼なじみの相田海斗(あいだかいと)だ。
慌てて椅子から立ち上がって窓を開けると、案の定、汗だくの海斗が家の前でぶんぶんと手を振っていた。サッカー部の朝練帰りらしく、ユニフォームは土と汗で汚れている。
「海斗、声大きいよ。びっくりするじゃん」
「わりぃわりぃ! それより、今からヒマか?」
「ヒマだけど……」
僕が言い終わる前に、海斗はにっと笑って親指を立てた。
「よし、決まり! ちょっと探検に行こうぜ!」
「探検って、どこを?」
「裏山の神社だよ。あそこの奥、まだ誰も行ったことない場所があるらしいんだ」
「ええ……」
僕は少しだけ顔をしかめた。海斗の言う「探検」は、たいていろくなことにならない。去年は川の中州に取り残されそうになったし、一昨年は蜂の巣をつついて大騒ぎになった。
「大丈夫だって! 今日はとっておきの助っ人もいるからさ」
海斗が指さした先には、もう一人の幼なじみ、学級委員長の白石結衣(しらいしゆい)が呆れたような顔で立っていた。
結衣は僕や海斗と違って、冷静で頭がいい。夏休みの宿題も、とっくに終わらせているに違いない。
「こんにちは、水希。海斗がどうしてもって聞かなくて」
結衣は、手に持った虫除けスプレーをこれ見よがしに振って見せた。その隣では、海斗が「結衣がいれば百人力だろ?」と得意げに胸を張っている。
いつもこうだ。太陽みたいに明るくて、周りをぐいぐい引っ張っていく海斗。
冷静に見えて、なんだかんだ言いながら付き合ってくれる、しっかり者の結衣。
そして僕は、そんな二人の後ろをただついていくだけ。
まるで、物語の登場人物紹介で「その他」に分類される、名前のない同級生みたいだ。
でも、心のどこかで、この退屈な夏に何か特別なことが起きてほしいと願っている自分もいた。
スケッチブックに描いたありふれた風景が、一夜にして誰も見たことのない絶景に変わるような、そんな奇跡を。
「……わかった。すぐ準備する」
僕は小さな声でそう答えると、窓を閉めて部屋の中に戻った。
裏山の神社は、町の外れにある小さな古びた場所だった。
苔むした石段を上ると、本殿が静かにたたずんでいる。夏休みの昼下がり、僕たちの他に参拝客の姿は一人もなかった。
「よし、ここからが本番だ!」
海斗は本殿の脇を指さした。そこには、獣道のような細い道が森の奥へと続いている。
結衣はスマートフォンの地図アプリを起動させながら、眉をひそめた。
「この先に道なんて表示されてないけど。本当に大丈夫なの?」
「地図にない道だから探検なんだろ? ロマンがあるじゃんか!」
海斗は少年のように目を輝かせ、ずんずんと道なき道を進んでいく。
結衣は「しょうがないわね」とため息をつきながら、虫除けスプレーを自分の腕に吹きかけ、その後を追った。
僕は二人の少し後ろを、木の根に足を取られないように気をつけながら歩く。
森の奥は、昼間だというのに薄暗かった。高く伸びた木々の葉が、太陽の光を遮っている。
ひんやりとした空気が肌を撫で、都会の喧騒が嘘のように静まり返っていた。聞こえるのは、自分たちの足音と、時折聞こえる鳥の声だけ。
「なあ、見てみろよ!」
しばらく歩いたところで、先頭を歩いていた海斗が立ち止まって声を上げた。
彼が指さす先を見て、僕は息をのんだ。
そこにあったのは、古びた石造りの鳥居だった。
普通の神社の鳥居よりもずっと小さく、蔦や苔に覆われていて、まるで何百年も前からそこにあるみたいに見える。鳥居の向こう側は、さらに深い闇に包まれているように感じられた。
「地図にない神社、ってこと? 不思議な話じゃない」
結衣が珍しく興味深そうに呟いた。彼女は科学信奉者で、非科学的なことは一切信じないタイプだ。
でも、目の前の光景は、そんな結衣の探究心すらもくすぐる何かを持っていた。
「行ってみようぜ!」
海斗が鳥居をくぐろうとした、その時だった。
「やめた方がいい」
不意に、背後から静かな声がした。
振り返ると、いつの間にいたのか、僕たちと同じくらいの歳の少年が立っていた。
白いシャツに黒いズボンというシンプルな服装で、どこかこの世の者ではないような、不思議な雰囲気をまとっている。色素の薄い髪が、木漏れ日に照らされてきらきらと光っていた。
「君は……誰?」
僕が尋ねると、少年は僕たちをまっすぐに見つめて、もう一度繰り返した。
「そこから先へは、行かない方がいい。後悔することになる」
彼の真剣な眼差しに、僕は一瞬たじろいだ。しかし、海斗は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「なんだよ、脅かしか? 俺たちは別に、悪いことしに来たんじゃないぜ」
「忠告はした」
少年はそれだけ言うと、すっと身を翻し、森の闇に溶け込むように姿を消してしまった。
あまりに一瞬の出来事で、まるで幻でも見ていたかのようだ。
「……何だったの、今の」
結衣が訝しげに呟く。
「さあな。この辺のヤツじゃねえの? 秘密基地でもあんのかもしれないな」
海斗はもう少年のことなど気にも留めていない様子で、再び鳥居に向き直った。
「さ、行こうぜ! あんなヤツの言うこと、気にする必要ないって」
「でも……」
僕は言いよどんだ。あの少年の目が、脳裏に焼き付いて離れない。「後悔する」という言葉が、妙に心に引っかかっていた。
「水希?」
海斗が不思議そうに僕を見る。結衣も心配そうな顔をしている。
ここで「やめよう」と言えば、きっと二人は聞いてくれるだろう。
でも、そしたら、またいつもの退屈な夏休みに逆戻りだ。せっかく見つけた、非日常への入り口。
これを逃したら、もう二度とこんな機会は訪れないかもしれない。
特別な何かが欲しい。この夏が、ただ過ぎていくだけの夏じゃなくて、一生忘れられない夏になってほしい。
「……ううん、大丈夫。行こう」
僕は意を決して、そう答えた。
僕の言葉に、海斗はぱあっと顔を輝かせ、結衣は少しだけ安心したように微笑んだ。
そして、僕たちは三人で、苔むした古い鳥居をくぐった。
その瞬間、ふわりと空気が変わったのを感じた。
さっきまで聞こえていた蝉の声がぴたりと止み、代わりにどこか遠くから、祭囃子のような音が聞こえてくる。
生暖かく、甘い花の香りが鼻先をかすめた。
「……何だ、これ」
海斗が呆然と呟く。目の前の光景に、僕も結衣も言葉を失った。
さっきまで薄暗い森だったはずの場所が、無数の提灯の明かりで照らし出されていたのだ。
赤、青、黄色。色とりどりの柔らかな光が、幻想的な小道を浮かび上がらせている。道の両脇には、見たこともないような屋台がずらりと並び、楽しげな音楽がどこからともなく流れてきていた。
普通の森は、どこにもない。
僕たちは、知らないうちに、全く別の世界に迷い込んでしまったようだった。
スケッチブックに描いたありふれた風景とは似ても似つかない、夢のような光景。
僕の心臓は、期待と少しの不安で、大きく高鳴っていた。
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