減る体重


 高校のテニス部に所属するわたしには日課がある。毎朝、体重計に乗ってから、鏡の前に立って、からだの状態を確認することだ。


「ちょっと太ったかな……」


 すがた鏡の前で、わたしは横腹の肉をつまんだ。いまみたいな下着すがたをだれかに見られる機会はないが、この肉のせいで試合中の動きがわるければ最悪だ。


「お米の食べすぎだな……」


 わたしは制服に着替えて部屋を出た。

 その日の体重は四八キロだった。



 翌朝も体重計に乗った。


「お、やった、二キロダウン」


 四六キロの数字を指す針を見て、わたしはガッツポーズをした。ご飯のおかわりを我慢した甲斐があった。


 躰の軽さを感じながら、リビングへの階段を降りる。


「母さん、わたしちょっと変わってない?」

「なにが?」


 トーストが乗った皿をテーブルに置きながら、母はこちらを見る。


「陽に焼けたんじゃない?」

「うーん、そこじゃない」

「髪きった?」

「きってない」

「えー、ああ、ちょっと痩せたんじゃない?」

「それ」

「まぁ、食べないとだめよ。気持ちはわかるけど」

「はーい」


 適当に答えながらお茶を飲む——しかし、のどに違和感を感じて咳こんでしまう。


「大丈夫?」母が言う。

「うん、ちょっと変なところに入った」


 胸を軽く叩くと、気道はすぐに落ちついた。


「ゆっくり食べな?」

「だめ、朝練に遅れちゃう」

「そう——ケガはしないでよ」

「はーい」


 この調子で県大会まで理想の体重をキープしていこう。まるで躰が浮くような心地を感じながら、きょうも一日をそつなくこなした。



 しかし一週間もすると、体重が減るよろこびは、不安に変わっていた。


「三八キロ……」青くなった自分の顔が、鏡に映る。「おかしい、ぜったい変」


 極端なダイエットなどしていない。筋肉を維持するためにプロテインも摂っている。体型も大きく変わっているとは思えない。


 それからも日毎ひごとに体重は減っていった。大きな病気ではないか、と思ったわたしは、母とともに病院でさまざまな検査をした。


「うーん」紙に並ぶ数値を見ながら、医師が首をかしげる。「骨密度も、筋肉量も、問題ないですねぇ。横になった状態ならまだ、普通の体重に近づくようですけど……」


 立っている状態で体重を計ると、あきらかに異常な数字になってしまう。まるで、両足が浮いてるみたいですね——と看護師が冗談で言っていた。


「こんなに体重が減るなんておかしいですよ! もう、三〇キロ切ろうとしてます……」


 わたしはひどい血相で言った。


「いやぁ、なにも異常がないんですよ」


 こっちこそ困るわ、という冷たい口調を医師から感じる。


「身長と質量からして、この体重はありえないんですけどね」

「ゆうこ……」母さんが肩に手を乗せてきた。

「もういい!」


 わたしは癇癪かんしゃくを起こして、診察室から飛び出した。あきらかにイラついた顔で待合室を歩くと、患者たちの視線が集まった。けど、どうでもよかった。そうだ。体重計がおかしな数字を見せるだけで、躰は軽い。むしろ、テニスをするには好都合じゃないか。


 ——と思っていた。

 翌日には首が苦しくてしかたない。

 ここまでくると、体重がどうとかじゃない。


 上へ、上へ、ひっぱられるような感覚がずっと首にまとわりついている。普通に生活することもむずかしくなった。学校を休んで、ちがう病院へ行った。


 そこで下った診断も、あたりまえのように、異常なしだった。体重は二七キロ。


「息が苦しい」


 帰りの電車で、わたしはとなりに座る母に言った。


「大丈夫よ……。県大会でいい成績残さなきゃ、ってストレスが躰に出たのよ」

「ストレスだけで二〇キロもどうしたら体重が落ちるんだよ!」


 叫ぶと、まわりの乗客が一斉にこちらを見た。母は、大丈夫、大丈夫、といってずっとわたしの頭を抱えるように撫でつづける。


 改札を出て、すぐだった。ひとりの女が声をかけてきた。


「ちょっといい?」


 どこかで見たことがある顔だった。


「あ、すいません突然」


 その女性は名刺を差し出してきた。

 安斎しずく、という名が書かれていた。


「あ——、テレビで……」おどろいた母が口に手を当てる。

「あの、さっきおなじ電車に乗っていて」しずくさんが言った。「ちょっと、場所移しません? お金はとりませんから」


 彼女に導かれるように、わたしと母は近い喫茶店に入った。


「ごめんなさい、突然」


 アイスコーヒーを一口飲んで、しずくさんが話しはじめる。


「ちょっと、見えちゃったもんで。普段はうち、受け身専門で、自分から声かけたりしないんですけど。さすがに、若い子に死なれちゃあと味わるいんで」


 わたしが、死ぬ? 


「単直に言いますね」


 彼女は腕時計を見た。時間に追われているのだろうか。


「あなたの首を、ひとりの女子高生がつかんでいます。全身を逆さにしたすがたで、ぎゅっ、と両手でもって。上へ、上へ、ひっぱりあげています。まるで天国こっちにこいよ、と言っているみたいに」


 一気に背筋が冷えて、わたしは自分の首に手を当てた。


「体重が軽くなっていくのも、首が苦しいのも、その霊があなたをうらんで、殺そうとしているから」


 しずくさんの言葉に呼応するように、わたしはのどに強い力を感じた。咳こんでしまう。


「一時しのぎだけど、これ」


 ちいさなお札をしずくさんから受け取る——のどの圧迫感はおさまった。


「な、なんでそんなことに?」


 わたしの背中をさすりながら、母さんが言った。


「うーん……」しずくさんは渋い顔をした。「言いにくいけど。えと、ゆうこちゃん、だよね。心当たりない?」


 ——彼女しかいない。

 テニス部でいじめがあった。

 その子は部内で一位の成績だった。

 みんなが嫉妬した。

 だから、いじめた。

 わたしも一緒になって、彼女の居場所をうばった。


 そして、全国大会も近いある日。

 その子は首を吊って——



 しずくさんと別れた足で、わたしと母は、亡くなったその子の家をたずねた。当然、親御さんは、いまさらなにをしにきたのか、どのつらを見せにきたのか——と眉間に深いシワをよせた。それでも、わたしと母は頭を下げて、頭を下げて、どうにか家にあげてもらった。


 亡くなった彼女の写真が置かれた仏壇の前に座り、泣きじゃくりながら、ひたいを畳にこすりつけて、何度も、何度も、あやまった。


「ごめんね」


 その日を境に、わたしの体重はもどった。

 のどの圧迫感も、うそのように消えた。



 県大会の当日。

 同級生の部長が欠席した。


「えーと……、かなり残念なんだけど」顧問の先生ががっかりした顔で、「藤堂は、のどと全身に違和感があるそうで。きょうは来られなくなった。ので、代わりに苑田そのだ。試合、出てもらいたい。いけるか?」

「は、はい……!」


 わたしは背筋を正して答えた。

 すると先生は、つづけて——


「ああ、えっと、藤堂からなんか、伝言をあずかってるんだけど。意味わかるやつ、いるか?」先生はちいさなメモ用紙を読んだ。「——」











 みーんなあやまるまで、ゆるさないから










 〜減る体重〜







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