奪還の魔王

紅雷が走った瞬間、王宮の警鐘が鳴り響いた。


「魔王襲来! 王都中枢に侵入――!」


 伝令が叫ぶが、既に騎士団は混乱状態にあった。

 屋根を割って降り立ったミレイアの魔力は、結界を粉砕し、聖堂の守護魔術さえ無力化していた。


 彼女は、誰も触れられぬ紅の光を纏いながら、玉座の間を見下ろす。


「遼司を、渡してもらうわ。

 この男はもう、“あなたたちの勇者”じゃないのだから」


 剣を抜いたリオンが、憤怒の声を上げる。


「貴様が何をしに来ようと、ここは人の国――!」


「人の国? 笑わせないで。

 この国に残ってるのは、嘘と血だけじゃない」


 ミレイアの手が空を切る。

 その瞬間、虚空に浮かんだ紅蓮の刃が、衛兵の隊列を一瞬で吹き飛ばす。


 爆音と悲鳴が響く。

 逃げ惑う侍従たちの中で、遼司はその中心に立ち尽くしていた。


「……俺は、どうすれば」


「選びなさい、遼司」


 ミレイアがこちらを振り返り、すっと手を差し出す。


「“勇者”という仮面を被り続けて、ここで処刑されるか――

 それとも、“あなた自身”として、この世界を一から見直すか」


 遼司は迷わなかった。


「――その手、借りる」


 ミレイアの手を握ったその瞬間、彼の背後で剣が振るわれた。


 「待て、遼司!」


 鋭い声とともに、リシアが駆け込んでくる。

 次の瞬間、ノアとエリナも扉を破って現れた。


「遼司さん、行かないで!」


「あなたが、魔王の側に行ったら……戻って来られなくなる!」


 叫びが、刃のように遼司の胸を貫いた。

 だが彼は、振り返りながら答える。


「――戻らないよ。

 俺はもう、誰かの“正義”として立つつもりはない。

 自分の目で、この世界の全部を見たい。

 誰が敵で、誰が味方なのか、自分で決める」


 ミレイアが微笑んだ。


「……そう。それでいいのよ、“偽の勇者”さん」


 その直後、魔王の転移魔法が空間を歪める。

 地面が崩れ、紅い炎が渦を巻く。


「遼司ーーーーっ!!!」


 ノアとエリナの叫びがこだまする中、遼司とミレイアの姿は、閃光の中へと消えていった。


* * *


 ――場所は変わって、北の魔境黒の山脈


 夜風が吹き抜ける断崖の上、ミレイアと遼司は並んで座っていた。


 燃え尽きたような空気の中で、遼司はぽつりと呟いた。


「……俺、本当に逃げたんだな」


「逃げたんじゃない。選んだのよ、自分で」


 ミレイアが横目で遼司を見つめる。

 彼女の瞳には、戦火の中とは思えない静けさがあった。


「それに……私は嬉しい。

 あなたが、“勇者じゃないあなた”を選んでくれたことが」


 「……本当に、それでよかったのか?」


 「ふふ。私は、滅びの象徴よ?

  あなたみたいな“まっすぐな男”が、私の隣にいるなんて――少し、悪い夢みたい」


 ミレイアは体を寄せ、遼司の肩にもたれかかる。

 その体温は、意外にも人間と同じだった。


「ここから先は、裏切り者として生きることになる。

 国も、仲間も、あの少女たちも――あなたを追うわ」


「……ああ、それでも」


 遼司は空を見上げる。


「その全部を、自分の目で見て、自分の手で確かめたいんだ。

 魔王だろうと、王族だろうと、聖者だろうと関係ない」


 ミレイアが微笑んだ。


「……じゃあ、まずは“敵の国”から行きましょうか。

 この世界の本当の姿、見せてあげるわ」


 二人の影が、夜の中に溶けていく。

 そこから始まるのは、英雄でも勇者でもない――


 “一人の人間”の旅だった。

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