黒い姫
城の回廊を歩く遼司の足取りは、重かった。
演じる――演じ続ける。
それがこの世界で「生きる」ために与えられた、最低限の選択肢。
(勇者をやりながら、真実を探れ……か)
心のどこかが、ひどく冷えていた。
整備員だった頃のように、目の前の問題だけを見ていればよかった日々は、もう戻ってこない。
そんなことを思いながら歩いていたときだった。
「あなたが、“勇者”?」
背後から、艶のある声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは――
一人の少女だった。
黒のドレスに、血のように赤いリボン。
長い髪は巻かれ、白磁の肌と相まって、人形のように美しい。
だがその瞳だけは、どこまでも冷たかった。
「誰だ、お前は……」
「名乗る必要があるかしら?
でもまあ、国の姫として礼儀はわきまえるべきよね」
彼女は、形ばかりの一礼をして告げた。
「私はリシア・ラザリス・フェインベルグ。
王の第五皇女にして、“勇者処刑人”」
その異名に、遼司の背が凍った。
「……処刑人?」
「ええ。“もし勇者が世界の敵に回ったとき”に備えて、存在する影の役職よ。
私はその、最終手段」
彼女は言葉の端々に、鋭く研がれた刃のような気配を纏っていた。
遼司は息をのむ。
「リオンからの報告は読んだわ。“演じる勇者”としての任務、理解しているようね」
「……お前も知ってるのか、“本物の勇者”が死んだこと」
「当然よ。王族の血を引く私に、それを伏せられるとでも?」
リシアは微笑んだが、その笑みにぬくもりはない。
「あなたのこと、少しだけ興味があったの。
“勇者じゃないのに勇者をやる”なんて、滑稽だと思ってたけど――」
彼女は一歩、遼司に近づく。
「案外、気に入ったわ。そういう無茶、嫌いじゃない」
「……からかってるのか」
「まさか」
リシアは視線を外し、城の外を見つめる。
「私ね、“勇者殺し”として訓練されて育ったの。
“もし勇者が狂えば、斬り捨てよ”って。
そんな役目、子どもに与えるなんて、おかしいと思わない?」
「……」
「けどね、面白いのよ。“勇者”って、実際みんな狂っていった。
魔力に飲まれ、責任に潰されて。
結局、勇者って存在自体が、誰かにとって都合のいい“処理装置”だったのよ」
遼司は、言葉を失った。
それは、彼が今まさに向き合っている現実と、あまりに近かった。
「でも、あなたは少し違う」
リシアはふっと笑って言った。
「たった一人で“演じることを選んだ”。
狂ってもおかしくないのに、まだ真っ直ぐ立ってる。
いいわ、勇者様。“本当に狂うそのとき”が来るまで、私がそばで見届けてあげる」
「見届けるって……お前は、敵か? 味方か?」
遼司の問いに、リシアはくるりと回って答えた。
「今は、あなたの“監視役”。
でも、気が向いたら味方になるかもね。
あるいは、その首を刎ねる日まで、共に歩いてやるかも」
そう言って、彼女は優雅に去っていった。
残された遼司は、ただ一つだけ思った。
――この国は、“味方”すら信用できない。
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