『灰の勇者は、愛に気づかぬまま国を去る』

@ashitaharerukanaaaaa

第1話「英雄の死と、密やかな追放」

魔王は、討たれた。

世界を覆っていた災厄は終わり、人々は歓喜に沸いた。


王都の広場では、白馬にまたがった金髪の青年が歓声に包まれていた。

その名は、ルシアン=エルグレイン。

“光の勇者”として讃えられ、民衆の熱狂を一身に受ける若き英雄。


けれど、王都の片隅――

誰にも知られぬ地下の一室で、本当の英雄は、ただ静かに目を覚ましていた。


「……ここは、どこだ……?」


石の床に投げ出されたまま、アシュレイは呻くように言葉をこぼした。

灰色の髪は汗と血に濡れ、肌にはまだ魔王戦の爪痕が残る。

あの戦いの最後、魔王の自爆じみた攻撃を真正面から受け止めて意識を失った……それだけは、かすかに覚えていた。


「目を覚ましたか。忌々しい男め」


低い声が響いた。

扉が開かれ、貴族の正装に身を包んだ男がゆっくりと入ってくる。

彼の名はクロヴィス。現王政を支える老宰相であり、ルシアン派の筆頭だった。


「お前は……なんで、ここに……?」


「いや、むしろ聞くべきはそちらだろう。なぜ、お前が生きている?」


「生きちゃ、悪ぃかよ……」


アシュレイはゆっくりと身を起こした。

体中が痛み、重たい。それでも、彼は立ち上がる。


「魔王は、俺が……」


「討伐したのはルシアン様だ」


ピシャリと老宰相は言い切った。


「民にも、他の国にも、すでにそう伝えてある。英雄はルシアン。お前は“魔王の呪いにより戦後に死亡”とされた。今日、それが公式に発表される」


「……はあ?」


理解が追いつかず、アシュレイは呆けた顔をした。


そこに、バンと扉が乱暴に開かれる。


「しぶとく生き残ってやがったか……!」


金髪の青年――ルシアンが、忌々しげにアシュレイを見下ろしていた。

その瞳は怒りと嫉妬でぎらついていた。


「どの面下げて、起き上がってんだよ」


「お前……マジで何考えて――」


「俺から全部奪ったくせに、まだ足りねぇのかよ!」


ルシアンはアシュレイの襟元を掴み、声を荒げる。


「魔物を倒すたびに、女たちの目はお前にばかり向いてた。俺は“表向き”の勇者でいるしかなかった。魔王戦でも、結局お前が全部やった。……でもな、これ以上は渡さねぇ」


「くだらねぇ……」


アシュレイは掴まれた手を払いのける。


「全部、欲しかったのか。称賛も、仲間も、勇者の肩書きも」


「黙れ!!」


ルシアンが拳を振り上げる――が、その寸前で老宰相が止める。


「やめなさい。手を出してはまずい。こいつは“死んだ”ことになっているのだからな」


「クソが……っ」


忌々しげに吐き捨て、ルシアンは部屋を出ていった。


静寂が戻る。


「……そういうことだ。お前は死んだ。それが、この国の“都合のいい真実”だ」


老宰相は静かに言った。


「お前の功績はすべて、ルシアン殿のものとなる。それが、この国の安定と秩序のためだ。お前のような者に英雄の資格はない」


「“ような者”ってのは……灰色の髪を持つ、略奪民族の末裔ってことか?」


「そうだ」


即答された。そこに迷いはなかった。


「お前がどれだけ戦おうと、どれだけ民を救おうと、出自が変わることはない。だから消えろ。……二度と、この国に関わるな」


アシュレイはゆっくりと顔を伏せた。


そして、わずかに笑った。


「……そうかよ。だったら、そうするさ」


そうして彼は、城を出ることになる。



その夜、裏門の外。

人目を避けて開かれた隠し扉から、ひとりの男が街を去る。


彼を見送る者はいない。

歓声も、感謝の言葉も、名を呼ぶ声すらなかった。


「……誰も、俺のことなんか知らねぇか」


呟いた声は、夜風に流れて消えた。


勇者パーティーの仲間たちは、まだ何も知らなかった。

魔王を共に討ち果たした戦友が、こうして歴史から消されたことも――


そして彼の名が、これから“灰色の剣士”として再び人々の記憶に刻まれることも。


だがこの時、アシュレイはただ、歩いた。


灰色の髪が、夜の月に照らされて揺れていた。

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