第8話希望の行方と願望の扱い方について
世の中のフィクションは思ったより「現実」よね。
空気まで漂白されたような内装の研究所の一室で紡がれたその言葉。
それは今取り組んでいる事案の概要をそのまま表しているようで奇妙な納得感を持っているように感じた。
…なんだかどこかで聴いたような口ぶりだな。
イレーネはこの場の既視感の不気味さに苛まれながらも、その言葉を放った目の前の女性に話の先を促すことにする。
「桜井教授…この度のトラブル対処に手を貸していただきとでも感謝しています。この日本でも"果樹園"由来の不測の事態が少なくないでしょう。私が提供できる知見を提供しても構いません。もう少し詳しくお話しを聞かせてもらえませんか?」
目の前の白衣をまとった穏やかな印象の女性。
その肩までの長さに切り揃えられた髪は緩くウェーブがかかっていて、その印象をより柔らかなものにしている。
「特殊技能•異能開発研究所局長"桜井美智子"」。
アジア圏全域に様々なコネクションのあるこの研究所でその研究成果管理を統括しているのが目の前のこの女性の素性である。
そしてその研究データや成果による莫大な利権の管轄すら彼女が行っているらしい。
それは人々の日常の在り方すら変える程の権限だ。
その権限の一端でも融通してくれるなら今自分が抱える問題対処もだいぶ楽になることは間違いない。
その為には私が彼女にとって有用な人間であると証明する必要がある。
ここはひとつの正念場だぞ。
イレーネはこの場での交渉のカードの優位性を確かめつつ戦略を組み立て、プレゼンを始めた。
繊細かつ取れる可能性は最大限に。
交渉のテーブルに華やかな彩りを。
共有できる理想像を目の前に具現化させるがごとく。
そしてこちらが望む対価を相手自身が望んで差し出すように。
今この場で行われているのはただの情報共有ではない。
ここはイレーネと関係者たち自身の未来の可能性を賭けた勝負の場である。
イレーネの話を興味深く聴いていた美智子はそのプレゼンの流れに感心したように頷き、自分が今支払う事のできる「聴講料」の提示を行う。
「ミス•ヴィッツクラフト…貴女の提案してくれたプランとても魅力的で面白いと思うわ。その件に関して各方面に話を通してあげることはできそうよ。しかし私にも関係者たちに通す義理がたくさんあってね。もう少し"スポンサー"に説明できるお土産が欲しいところなのだけど、どうかしら?」
イレーネは露骨に足元を見られた事に渋い思いを抱いたもののそれを抑えて少し考え、切り札の1枚を切る事にする。
「確かこの極東でかなりの異能者が関わっている"夜露の涙"の術式解析手段などであれば知見の共有が可能です。コレはこのアジア圏の異能者ネットワークの統制権を掌握する事と同義なはず。
悪い話ではないと思いますが…どうでしょう?」
イレーネの言葉が切れる前に美智子の瞳に飢えた肉食獣を思わせる狂気と威圧感が宿った。
ソレは人間の運命を選別する審理官のごとき怜悧さを思わせる。
イレーネはあらかじめ「観て」きた中からベストの選択肢を引けたことを実感して話を詰めに入る。
美智子はイレーネが紡ぐ「お伺い」を静かに聞いている。
この研究所の中で時計の針だけがいつもと変わらぬ平静さを保ち、静かに時間を刻んでいた。
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