第5話:あまり期待はしてなかったんだけど〜ラズ視点〜

 アタシの名前は、ラズ。


 ずっとラズと呼ばれていたので、それが名前だと思っていたらラズマリーナというのが本名だと、つい先日神父さんが言った。お貴族様みたいな名前だ。


 親の顔も名前も覚えてはいない。物心がついた頃には貧民街にいて、たまに親切なおじさんやおばさんに可愛がられていた。多分、赤ん坊だったから誰かが世話を焼いてくれていたんだと思う。


 貧民街は、アタシにとってはそれほど悪いところではないと思っていたけど、年に一回か二回、街に連れて行かれることがあった。そこで「あんたのお父さんは、あの人なんだよ」と言われて本気でそうなんだと思った。


 会いに行くから小綺麗にしようと川で水を浴びて、ちょっと色褪せたブカブカの服を着せられた。髪の毛もなんとか整えようとしたけれど、もうすでに絡まって、剃るしか方法がないほどだったから、そのままほったらかしにした。どうせお金持ちの家に行けば、きれいなお湯と石鹸で洗ってもらえるよと言われたから。


 それはちょっと楽しみで、私は女の手をとってお父さんに会いに行った。


 だけど、それは全くの嘘だった。


 女は金を受け取ると、アタシを置いてさっさと逃げ出した。アタシがに笑いかけようと振り向いた途端、殴られた。


「お前のような薄汚いガキが俺の娘なわけあるか!」と唾を吐かれて、素手で触るのも穢らわしいと召使いの人に水をかけられ箒で殴られ、蹴飛ばされて貧民街に放り投げるようにして返された。


 骨が折れたのか、足はあさっての方を向いて、顔はボンボンに腫れ、這いずるように路地裏に隠れた。貧民街の路地裏は、怪我人がウヨウヨいる。何かの事故で怪我をしたり、表通りに出て平民に打たれたり、油をかけられたり、下手をして貴族様のお怒りを買って鞭で打たれたり馬車に撥ねられたり。


 死なずに済んだけど、死にそうな人達が最後の時を待つ場所だ。


 痛みに意識が朦朧として蹲っていると、痛みがゆっくりと引いていった。数日そこでじっとしていたら、顔の腫れが引いて、身体中にあった青あざがすっかりなくなっていた。足はまだ痛かったけど、動けないほどではない。折れたと思った足は折れていなかったのかもしれない、とその時は思った。


 もう何日も食べていなかったから、お腹が空いてよろよろと立ち上がって、路地裏から出ていった。ゴミを漁り、野草を食べる。それからまた元の生活に戻っていってしばらく経つと、またあの女がやってきた。


「何か美味しいものでも食べさせてもらったか」と聞く。殴られてその日のうちに戻ってきたというと、また今度は別の人のところへ行こうと言った。


「アタシに何の得もないじゃないか」と言い返したら、川で洗ってやったし、きれいな服も着せてやったと言い返された。今度はひょっとしたら、気に入ってもらえるかもしれないだろ、と丸め込まれて渋々ついていった。


 次の人はもっとまずかった。


 連れてきたよ、と女が言うと、小袋一杯のお金をもらって女はとっとと逃げ出した。そしてアタシは男に連れられて地下の牢屋に入れられた。どろどろした緑色のスープを飲まされて、その日は放置された。その日の夜、お腹が痛くなって吐いた。きっと何か腐ったものを食べさせられたんだと思う。割と丈夫にできてるお腹だけど、あれはきっと食べるものじゃなかったんだ。ただでさえ食に乏しい貧民なのに、ひどい仕打ちをする嫌なやつ。禿げろ。腹ペコになって死んでしまえばいいのに!


 ただその後三日ぐらいで症状は良くなった。


 一週間ぐらいその牢屋にいると、ようやく男がやってきて、まだアタシが生きていることに驚いた。男の頭はつるっぱげになっていてこっちも驚いた。呪いが効いたのかな?


「なぜ死んでいないんだ!?」と散々喚いたと思ったら、胸を押さえて泡を吹いて倒れてしまったので、男の腰からぶら下がった鍵束をもらって牢屋の鍵を開けた。その時、他の牢屋にも誰かがいたから、全員のドアの鍵を開けて、一目散に逃げ出した。その後、男がどうなったのかも、牢屋に入れられていた人たちがどうなったのかも知らないけど、みんな無事逃げ出せたらいいな。


 それからしばらく街をふらふらして、結局また貧民街に戻ってきてしまった。


 そしていつもの日々を送っていると、またあの女がやってきた。全く何でアタシばっかり探し出すんだろう。毎回女は金をもらって逃げるけど、お金持ちになった様子もないし、ちょっと頭が悪いのかな。


「もらったお金はどうしてるのさ」

「ちゃんと有意義に使ってるさ」


 そして今回もどっかの商人に引き渡された。太ったおじさんはアタシを風呂に入れピカピカに磨いてくれた。ひょっとしていい人かも、と思って油断したら手首と胸に奴隷の紋を焼ゴテでつけられた。奴隷商人だった。檻のついた幌馬車に入れられて、どこかへ連れて行かれる最中、焼ゴテでつけられたところがジクジクと痛んだ。檻に入れられた人たちもみんな生気がなく、ぐったりと項垂れている。貧民はひもじいけど自由がある。奴隷はひもじいし、自由もない。アタシの人生もこれまでか、と思った矢先、騎士団が奴隷商を捕まえた。


 どうやらモグリの奴隷商だったらしい。指名手配を食らって最後に土産物(さらった奴隷)を持って隣国に逃げるところを見つかった。


 そうしてアタシたちは自由になって、パンを一個とミルクをもらって、ケガの治療もしてくれた。きれいな包帯を手首に巻かれて、ねとねとした薬を胸の焼き痕に塗られた。そのせいか次の日には綺麗さっぱり傷痕も奴隷紋も消えていた。薬ってすごいな。


 アタシはまだ子供だからって、孤児院に連れて行かれた。でもそこがまたひどいところで、院長がオーガのように太っていて怖い人だった。いつもムチを振り上げて「しつけだ」と言って叩かれた。子供たちは貧民かと思うほど痩せこけていてほとんどの時間、働かされていた。奴隷の方がマシだったかもしれない。


 アタシは夜にこっそり逃げ出そうとして、他の子供たちに捕まった。一人が逃げるとみんな鞭打ちの刑になるからだ。そこでアタシはちょっと考えて、毎月一回、貴族が来るという日に子供たち全員の服を隠して、みんなで下着姿で貴族らしい人の前に整列した。アタシたちのあばらは浮いているし、背中には鞭の痕、足の裏にはタバコの焼け跡、腕や腿には青あざがこれでもかというほどついている。院長は目を白黒させている。誰も反抗すると考えていなかったみたいだ。


「「「食べ物を恵んでください」」」

「「「服を恵んでください」」」


 とみんなで泣き真似をしていうと、貴族(女の人だった)が金切り声を上げて、護衛を呼び、護衛は衛兵をよんで、衛兵が騎士団を呼んだ。それからもっと偉い人が何人か来て、アタシたちは施しを受け、孤児院のオーガ院長とゴブリンシスター達は捕まった。孤児たちは別の孤児院に入れられるということになったので、アタシはこっそりと逃げ出した。


 そうして、貧民街に出戻りをすると、またあの女に連れられて今度は男爵の前へと連れて行かれた。そろそろ痛い目に遭うのにも嫌気がさして何の期待もせず、女がお金を受け取ったのを見ながら、今度は何かなと考えた。奥さんに往復ビンタを食らわされて、呆然としている可哀想なおじさんだ。ごめんね、ほんとはアンタの子供じゃないんだけど。すぐに出て行くから許してね。できれば、何か恵んでくれると嬉しいんだけど、ダメかなぁ。



 そして、その日からアタシの人生は目まぐるしく変わった。



 

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