第3話 侍女ノエルの暴走と兄の怪しい策略③
その日の午後、王宮の裏手にある使用人専用の通用口には、見慣れない女がふらりと姿を現していた。
白いエプロンドレスに身を包み、一見すると宮廷使用人かと思わせる風貌ではあるが、彼女の目は妙にギラリと光っている。誰もが即座に「あれ? あんな人いたっけ?」と疑問を抱くほど、微妙に場にそぐわない存在感を放っていた。
その女――ノエルは軽やかな足取りで奥へと進むと、運悪く(あるいは幸運な)標的に出くわす。通路を掃除中の若い男性使用人が、モップを握ったまま呆然と硬直した。
「あら、ちょうどいいところに。あなた、ここで働いていらっしゃる方よね?」
「え、ええ……そうですけど、どなたですか? お見かけしない顔ですが……」
使用人は怪訝そうにノエルを見上げる。すると彼女は満面の笑みを浮かべ、まるで旧知の仲かのように身を乗り出す。
「ちょっとだけ、あなたのお力を借りたいの。すぐ終わる話だから、協力してくれたら助かるわ」
「あ、あの……申し訳ありませんが、ぼくはちょっと掃除の途中でして……」
慌てる使用人。だがノエルは引き下がる気配など微塵もなく、むしろ楽しそうに会話を続ける。
「いいの、いいの。私も急ぎじゃないのよ。ただ、あまり時間をかけずに聞きたいことがあるだけ。……そう、例えば最近、王太子殿下まわりで変わった噂はないかしら?」
「えっ、王太子殿下……ですか?」
その響きに使用人は一瞬で青ざめる。王太子に関する情報を軽々しく口にすれば、後々責任を追及される危険がある。だがノエルはそんな逡巡を読み取ったのか、口もとをきゅっと結び、親しげに微笑んだ。
「安心して。私、脅そうとしてるわけじゃないの。ただ“お嬢様を侮辱した人”がいるなら許せないと思ってるだけ。……あ、これ以上説明が必要?」
「い、いえ……」
使用人は思わず一歩後ずさる。その笑顔に奇妙な圧力を感じて、背筋が凍るのを止められない。まるで、友好的な態度を取っているように見えながら、ほんの少しでも相手が嘘をつけば容赦なく報復を加えてきそうな――そんな危険な空気が伝わってくるのだ。
「で、どうなの? 何かあるんでしょう?」
「え、ええと……そういえば、最近殿下がちょっと派手に散財をしているみたいだと噂を聞きました。けれど、その詳細はぼくも……」
「なるほど。散財ね。やっぱりそういうお話があるのね。どんな品を買ったのかしら?」
ノエルの小首をかしげる仕草は、一見無邪気に見える。しかし使用人の目には、その瞳の奥が笑っていないように映った。断ったらどうなるだろう――想像するだけで心臓がきゅっと縮む。
「ぜ、全部を把握しているわけではないんですが……殿下が大勢を連れて飲み歩いたとか、高額な宝石を衝動買いしたとか、そういった話は出回っています。あと……コーデリア・フローランという令嬢と盛んに会っているようで……」
「へえ、あの子と一緒に? なるほど、ふたりでどこかに通ってるとか?」
「そ、そのあたりは詳しく……ただ、殿下は最近お城の外でも派手に遊んでいらっしゃるようなので」
使用人は大きく息をつく。話してはいけないとわかりつつも、ノエルから放たれる得体の知れない圧力に、思わず口を滑らせてしまう。ノエルは「うんうん」と頷きながら、せわしなくメモ帳に書き込んでいる。
「そう。ふむふむ、なかなか面白いわね。コーデリア・フローランという子も、自分を売り込もうとしているって話は耳にしたのよね。……だとしたら、いろいろ計算してるのかもしれないわ」
「そ、そうなんでしょうか。大勢の使用人も、あまり直接的に殿下の動向を追ってはいないので……」
「うん、理解してるわ。ありがとう。あなた、とてもいい情報をくれたわね」
ノエルはバッと笑顔を浮かべ、使用人の肩にぽんと手を置く。その仕草に、使用人はつい「ヒィ……!」と変な声をあげそうになるが、辛うじて堪えた。
「お嬢様を馬鹿にしたり、王太子側に変な噂を吹き込んだりする人がいたら、すぐ教えてね。もしあなたが困ったことになったら、私が助けてあげるから」
「は、はい……助けていただけるんですか?」
「うん。私のご主人様は、それくらいの力はあるの。だから安心して。逆に言えば、私の頼みを無視して嫌がらせをしてくる人がいたら……全力で叩きのめすけど」
ひたすらにこやかに恐ろしいことを言うノエル。使用人はもはや何も言えず、こくこくと頷くしかなかった。
「じゃあ、もっといろんな人にも話を聞いてみようかしら。あなたも本当にありがとうね。とっても助かったわ」
「い、いえ……ぼくは何も……」
そう言いつつ、使用人は全身から冷や汗をかいている。ノエルはそんな様子を楽しむように微笑んだ後、くるりと振り向いて通路を歩き去っていった。
彼女の背中が見えなくなるまでのわずかな時間、使用人はモップを握ったまま立ち尽くし、震えを鎮めようと必死だった。「あの人、やばい……」と心の中でつぶやきながら。
一方その頃、ノエルは奥まった場所へと足を進め、次のターゲットを探していた。先ほど得た情報を胸に、さらなる噂を集めれば、お嬢様――リリエッタの不名誉を晴らす材料が増えるに違いない。
「ふふ。殿下の浪費癖にコーデリア嬢との怪しい関係……いろいろ面白いわね。お嬢様に報告すれば、きっとお喜びになるわ」
ノエルの足取りは軽く、まるで昼下がりの散歩でも楽しむかのよう。けれど、彼女の内側から立ち上る闘志と愛情は、周囲の使用人たちを圧倒し、彼らに不思議な恐怖と頼もしさを同時に与えていた。
――“お嬢様を侮辱した者は許さない”。ノエルの呟きは、薄暗い王宮の廊下に吸い込まれるように消え、その軌跡だけが殺気じみたオーラを残していた。
「さあ、もっと情報を集めなくちゃ!」
どこからともなく沸き立つ興奮を抑えきれないまま、ノエルはさらなる“お宝”を探しに歩みを進めていく。お嬢様への忠誠心が、彼女をますます笑顔にさせながら――。
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