蠍の火(作:一ノ瀬 詩織)

一ノ瀬「さて……。これで、三者三様の、七五調・七七調の世界が出そろったわけだけれど。最後は、言い出しっぺである、この私が締めさせてもらうわ」


(一ノ瀬、丁寧に和綴じにした原稿を手に、静かに立ち上がる。その表情には、これまでの三人の発表を受けた、新たな決意のようなものが浮かんでいた)


一ノ瀬「私が描いたのは、ある小さな生き物の、罪と後悔。そして、その先にある祈りの物語。心して、聞きなさい」


(一ノ瀬は、目を閉じ、祈るように物語を紡ぎ始めた)


***


蠍(さそり)の火

作:一ノ瀬 詩織



昔野原に 蠍あり

虫を殺しては 食べにしが

鼬(いたち)に追われ 逃げ惑い

不意に落ちにけり 井戸の底


飛び跳ね羽ばたき 上らんと

鋏(はさみ)を立てれど 甲斐は無く

次第に蠍は 溺れだし

涙を溜めて 祈りけり


虫を殺せし 我なれど

迫る鼬には 逃げにけり

然(しか)れど今は この事態

何をこそ当てに するべきか


嗚呼などて我は 我が肉を

憐れな鼬に あげざりき?

さすれば鼬も 我を食い

一日なりとも 生きせしを


神よご覧ぜよ 我が胸を

かほどに虚しく 捨てざらで

せめて次こそは 我が命

皆の幸いに 用立てん


暗き井戸水に 涙落ち

独り夜空を 仰ぎ見し

蠍はいつしか 赤く燃え

天に星となり 煌きつ


***


(一ノ瀬が読み終えると、部室は深い深い感動に満たされた静寂に包まれた。最初にその静寂を破ったのは、四方田の鼻をすする音だった)


四方田「う……うわああああん! ぶ、部長ぉ……! しんどい、しんどすぎます、これ……! 自分が、もう死んじゃうっていう時に、自分を食べようとしてたイタチのことまで、心配するなんて……! 自己犠牲の愛……! 究極の尊みじゃないですか……! 自分の命を燃やして、みんなを照らす星になるなんて……エモすぎて、涙腺が、完全に崩壊しました……!」


一ノ瀬「ふふ……。ありがとう、四方田さん。……この詩の元ネタは、皆もよく知っている宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』。その中でジョバンニが語る、さそりの火の物語よ。私は、あのあまりにも有名で美しいエピソードを、七五調の形で再構築してみたの」


二階堂「……なるほど。『銀河鉄道の夜』の、さそりの話……。そう聞いてから、もう一度この詩を読むと、言葉の一つひとつが全く違う重みを持って心に響いてくるわね……」


一ノ瀬「ええ。自分が捕食者でありながら、より強い捕食者に追われるという、絶対的な矛盾。その中で初めて、自分が奪ってきた命の重さに気づく。そして、自らの罪深い命でさえも、誰かの役に立ててほしいと祈る。そのあまりにも純粋な祈りが天に届き、彼は永遠の命を得る……。これこそが賢治が描いた、自己犠牲という、文学における最も気高いテーマの一つだと、私は思うの」


二階堂「……そうね。極限状態に置かれた者が、自らの死に意味を見いだそうとする。その心理プロセスには、感傷だけでは片付けられない強い説得力があるわ。……悔しいけれど、見事な詩ね。完敗よ」


三田村「……観測完了。この詩は、個体の『罪』と、その『救済』のプロセスを描写した、美しいモデルケースです。『虫を殺す』という、自らの存在に組み込まれた避けられない業(カルマ)。それを死の直前に自覚し、『皆の幸い』という、より高次の目的へ自らの存在意義を再定義することで昇華する。個の死が、全の光へと変換される……。これはエントロピーの法則に、ある意味で逆行する、美しい情報のパラドックスです」


(三人の、それぞれの真摯な感想を聞いて、一ノ瀬の瞳が再び熱を帯びて輝き始めた)


一ノ瀬「……そうか。……そうだったのね! これこそが、私がこの文芸部でやりたかったこと!」


四方田「え? 部長?」


一ノ瀬「一つの物語、一つの詩を、それぞれの視点で読み解き、語り合い、新たな意味を見出していく! 四方田さんの純粋な感情が、物語に心を。玲の鋭い論理が、物語に骨格を。そして、三田村さんの広大な視点が、物語に宇宙を与えてくれる! そうやって、私たちの感性が混ざり合うことで、物語はもっと、もっと深く、豊かになる! ああ、なんて素晴らしいのかしら!」


(自信と喜びに満ち溢れた部長の姿に、他の三人は一瞬、呆気に取られたが、やがて誰からともなく、くすりと笑みをこぼすのであった)


---

議事録担当・書記(四方田)追記:

今日の活動、めっちゃ泣いちゃった! 自分の詩は、なんだかすごい難しい話になっちゃったけど、部長の詩は、まっすぐに心に届いて、なんか、もう、胸がいっぱいになった。文学って、難しいし、よく分からない時もあるけど、こうやってみんなで話してると、全然違う景色が見えてくる。それって、めっちゃ、エモいことだよね。うちの部活、やっぱり最高!

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