草原(作:四方田 萌)
(部長の一ノ瀬が、二階堂の辛辣な批評を受け、呆然と固まっている)
二階堂「……まあ、そういうわけよ。テクニックは認めるわ。でも、心がない。……さて、次はどうする?」
四方田「はいっ! はいはーい! 次は私、四方田萌が、この冷え切った部室の空気を、萌えと尊みで満たしてみせます!」
(四方田、自信満々にスマホを掲げる。その明るさに、一ノ瀬は、はっと我に返った)
一ノ瀬「よ、四方田さん……。あなた、分かっているの? これは、ただの風景描写なのよ。感傷や物語を持ち込む余地など……」
四方田「分かってますって、部長! だから私、ちゃんとルールは守りました! 人を一人も出さずに、この風景だけで、世界で一番、切なくて、美しい、愛の物語を書いたんですから! 心して、聞いてください!」
(四方田、少し照れながらも、熱の籠もった声で読み始めた)
***
草原
作:四方田 萌
そこに、空がいた。
彼は、あまりにも孤高で、あまりにも美しい、傲慢な王様だった。その瞳のように深い青は、他のいかなる色も、何者の介在も許さないという、絶対的な支配者の色。気まぐれに浮かべる白い雲は、彼の、誰にも見せることのない、一瞬のため息か、あるいは、地上にいる、ただ一人の男にだけ見せる、戯れのサインか。彼は、決して、その場所から動かない。ただ、悠久の時を、たった一人で、統べている。
そこに、大地がいた。
彼は、ただひたすらに、空だけを見上げ続ける、健気で、美しい緑の僕(しもべ)だった。その身体の、なだらかな起伏は、天上の王へと伸ばした、切ない腕のよう。短い草で覆われた、艶やかな肌は、彼の、一途な想いの、純粋さそのものであった。空の王が、何を望み、何を考え、何を嘆いているのか。彼は、その全てを、ただ、受け入れるために、そこに存在していた。
空は、光と影を、気まぐれに、大地へと落とす。
丘の、陽光に照らされた部分は、空の王が、その視線だけで、大地を優しく愛撫しているかのようだった。その肌に触れる、暖かく、心地よい光。大地は、その一瞬の寵愛に、喜び、身を震わせ、その緑の肌を、きらきらと、幸せそうに輝かせている。
けれど、次の瞬間、空は、深い影を、彼の上に落とす。それは、光の裏側にある、嫉妬の色。他の誰にも、お前を渡さないとでも言うように、独占欲の現れであるかのように、冷たい影で、彼を、強く、強く、抱きしめる。大地は、その、少し乱暴な愛情表現に、文句一つ言わず、甘んじて、その身を任せていた。
二人は、決して、交わることがない。
すぐ手の届きそうな場所にいるのに、決して、一つにはなれない、神が定めた、残酷な距離。
地平線という、ただ一本の線の上で、二人は、かろうじて、触れ合うことができる。それは、あまりに、痛くて、甘い、刹那の口づけ。
だから、この場所には、音がなかった。風さえも、二人の邪魔をしないように、息を潜めている。
ただ、永遠の静寂の中で、天上の王と、地上の僕(しもべ)は、お互いだけを、見つめ合っている。
それは、誰にも知られることのない、世界でたった二人だけの、秘密の恋の風景。
この、あまりにも美しく、そして、あまりにも切ない関係性を、愚かな人間は、ただ、「草原」と呼ぶことしかできないのだ。
***
(四方田、読み終えて、恍惚とした表情でスマホを胸に抱きしめる。やりきった、という満足感に満ち溢れている)
四方田「……ど、どうでしたか!? 風景だけを使って、究極の、すれ違い片想いを描いてみたんですけど! この、会いたくても会えない、切ない距離感! 最高に、エモくないですか!?」
(自信満々に三人の顔を見るが、部室は、これまでで最も、生暖かく、そして、奇妙な沈黙に包まれていた)
一ノ瀬「…………四方田さん」
(部長の一ノ瀬が、震える声で口を開いた。その顔は青ざめ、こめかみが、ひくひくと痙攣している)
一ノ瀬「あなたは……あなたは……! この、ストイックな、文学的デッサンの課題を……! いつの間に、こんな……こんな、風景の、擬人化恋愛ポエムに、すり替えたのよぉぉぉぉぉっ!!!」
四方田「ええええっ!?」
一ノ瀬「空が孤高の王様!? 大地が健気な下僕ですって!? 雲はため息で、影は嫉妬!? ルール違反も、甚だしいわ! これは、デッサンへの、冒涜よ!」
三田村「……観測完了。対象オブジェクトの構成要素に対し、『孤高』『健気』といった、論理的根拠の欠如した、極めて主観的な属性データを、強制的に付与している。これは、描写ではなく、二次創作です。報告書のフォーマットとしては、不適切です」
二階堂「……はぁ……」
(二階堂、こめかみを押さえながら、心底、呆れたように、しかし、どこか、面白そうに口元を歪めて言った)
二階堂「……なるほどね。課題の本質を、根底から、完全に、理解していない。その、ある意味、清々しいまでの突き抜けっぷりには、一周回って、感心するわ。ミステリーで言えば、犯行動機を尋ねているのに、自分の昨日の夕食について、楽しそうに語り始める証人を見ているようだわ。……話にならない。でも、あなたが、どういう人間なのかは、この文章から、痛いほど、よく伝わってきたわよ」
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