『草原・デッサン発表会』
日付:20XX年某月某日
場所:文芸部部室
議題:文章力向上のための基礎トレーニングについて
出席者:一ノ瀬詩織(部長)、二階堂玲(副部長)、三田村宙、四方田萌
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一ノ瀬「皆、少し聞いてちょうだい。先日、美術室の前を通りかかったのだけど、美術部員たちが、石膏像や果物を前に、熱心に木炭を走らせていたわ。デッサンよ。あらゆる絵画表現の基礎となる、観察力と描写力を鍛えるための、地道なトレーニング……」
(一ノ瀬、ふと窓の外を見やり、どこか遠い目をする)
一ノ瀬「それに比べて、私たちはどうかしら。いきなり『源氏物語』の未発表ストーリーを書いたり、メロスの走りを物理的に考察したり……。もちろん、それはそれで、我が文芸部の真髄ではあるのだけど。私たちにも、美術部のデッサンのような、地味で、ストイックな、文芸の『筋トレ』とでも言うべき活動が必要なのではないかしら?」
四方田「筋トレですか! いいですね! タイピング速度を競うとか!?」
二階堂「それは情報処理部よ。……まあ、部長の言いたいことは分かります。いきなり試合ばかりで、基礎練習が疎かになっているのではないか、ということでしょう? ですが、文章における『デッサン』とは、具体的に何をすればいいんですか?」
三田村「……語彙力の増強。類語辞典の暗唱。あるいは、高速での写経」
一ノ瀬「ううん、どれも少し違うのよ……。もっと、こう、観察眼を養い、それを的確な言葉に変換する、実践的なトレーニング……。ああ、何かないのかしら……!」
(一ノ瀬がうんうんと唸りながら、部室を歩き回り始めた、その時だった。彼女は、テーブルの上の、四方田が持ってきたお菓子の袋に、ふと、視線を落とした)
一ノ瀬「……これよ!」
(一ノ瀬、パン! と柏手を打ち、部員たちを見回す)
一ノ瀬「閃いたわ! 美術部が、そこにある『モノ』を見て描くのなら、私たち文芸部は、そこにある『モノ』を見て、書けばいいのよ! 題して、『文学的静物描写(ライティング・スティル・ライフ)』!」
四方田「ライティング……?」
一ノ瀬「そう! 同じ一つの対象物を、私たち四人が、それぞれの視点、それぞれの感性で、文章だけで『デッサン』するの! 比喩を駆使するもよし、歴史的背景を語るもよし、そのモノの持つ『物語』を幻視するもよし! これこそ、私たちのための、最高の基礎トレーニングじゃないかしら!」
二階堂「……なるほど。客観的な対象を、いかに主観的な言葉で再構築するか。描写力と構成力を同時に試されるわけですか。確かに、思考の訓練としては、悪くないかもしれませんね」
四方田「えー! 面白そう! じゃあ、私の推しカプのアクリルスタンドを描写したりするのもアリですか!? その二人が、台座の上でどんな会話をしてるか、とか!」
一ノ瀬「ええ、何でもアリよ! では、早速、お題を決めましょうか。何がいいかしら? この部室にある、年代物の地球儀? それとも、窓から見える、あの、一本だけ葉を落とすのが早い桜の木?」
(三人がそれぞれ、何がいいかと視線を巡らせ始めた、その時だった。今まで静かに議論を聞いていた三田村が、すっと、ヘッドホンを外した)
三田村「……提案があります」
(三人の視線が、物静かな後輩に集まる)
三田村「今回、私たちがデッサンすべき対象は、『草原』です」
四方田「草原、ですか? どこの?」
三田村「……いいえ、どこかに行くのではありません。かつて、地球上で最も多くの人間が見たであろう、一枚の風景写真。二十世紀末から二十一世紀初頭にかけて、Windows XPのデフォルトの壁紙として設定されていたデジタルデータです」
(三田村、タブレットを取り出し、一枚の画像を表示させる。青い空、白い雲、そして、どこまでも広がる、緑の丘)
三田村「これは、1996年にアメリカのカリフォルニア州で、プロのカメラマンによって撮影された、実在の風景。ですが、あまりに色彩も構図も完璧すぎるため、多くの人が、今でもこれをCGアートだと思い込んでいる。これを描写する以上に、挑戦的なデッサンはないと考えます」
(部室は、しばし沈黙に包まれた。最初に口を開いたのは、一ノ瀬だった)
一ノ瀬「……素晴らしいわ、三田村さん……! なんて、挑戦的なテーマなの! いいわ! 最高のお題よ! それに決めたわ!」
二階堂「……なるほど。確かに、安易な描写を許さない、手強い相手ですね。面白い」
四方田「わ、わかります! なんか、懐かしいけど、切ない感じ……。エモいです! みんなのパソコンにいた、あの風景……!」
一ノ瀬「決定ね! では、これより一週間後! この部室で、『草原デッサン発表会』を開催します! 皆、心して、あの青空と向き合いなさい!」
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議事録担当・書記(三田村)追記:
議題:草原。ステータス:デジタルイメージファイル。しかし、他の三つのユニットは、この二次元ビットマップに対し、感傷、懐古、詩情といった、非論理的な感情データを重ね合わせようとしている。興味深い。彼女たちの観測ログは、ヒトという種の、情報に対する独特の解釈プロトコルを分析する上で、極めて有効なサンプルとなるだろう。配信のネタにしよう。
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