第8話 胸に灯る想い

 「ねえ、一緒に観た映画、楽しかった?」


 放課後の、帰り道。

 ふいに紬が口を開いた。肩を並べて歩いていたはずなのに、どこか遠くにいるような声だった。


 「……ああ」


 遼は少し遅れて答えた。

 そのとき、ふと彼女の横顔を見た。斜陽に照らされた頬のラインはどこか儚げで、冷たい冬の空気に触れればすぐにでも崩れてしまいそうだった。まるでガラス細工のような――そんな美しさをはらんでいた。


 「よかった」


 紬はそう言って、小さく笑った。けれどその笑みには、どこか影が差していた。


 「ねえ……あの映画の主人公のこと、覚えてるよね?」


 「うん。もちろん」


 映画の内容はまだ鮮明に思い出せる。

 無力さに抗いきれず、大切なものを失ってしまった主人公。何かを取り戻そうともがきながら、ただ時間だけが過ぎていく――そんな切ないストーリーだった。


 「……あの主人公が、どこか私に重なって見えたの」


 不意に、紬が呟いた。


 「避けられなかったことに、ずっと嘆いてるところ。……私も、そういうところがあるから」


 その言葉が、遼の胸の奥に突き刺さる。


 これまで彼女の悩みを、どこか“きれいなもの”として受け取っていた自分がいた。

 彼女の美しさや強さに目を奪われ、本当の意味では彼女の“痛み”を見ようとしていなかった。


 ――違う、そんなはずじゃなかった。


 遼は自分の浅はかさに、心の中でそっと歯を食いしばった。


 しばらく、ふたりの間に沈黙が流れる。


 空がゆっくりと、夕暮れの色に変わっていった。


 「なあ」


 沈黙を破ったのは、遼の方だった。


 「前にさ。今度は俺が誘うって……言ってたよな」


 声が少しだけ震えた。けれど、それでも目は真っ直ぐに紬を見ていた。


 「だから……」


 言葉を探すように、一呼吸置いてから続けた。


 「……だから今度、一緒に本でも買わないか?」


 なんでこんなことを言ったんだ――

 そう思う自分が、心の奥にいた。


 映画でもなく、食事でもない。“本”なんて、地味すぎるかもしれない。けれど、彼女の言葉を聞いたとき、ふと浮かんだのが“物語”だった。

 きっと、彼女は何かを――誰かを――本の中に投影して、今まで耐えてきたのだ。


 だから、本の中を一緒に歩いてみたい。

 彼女が何を見て、何を感じているのか、少しでも知りたかった。


 「……うん」


 紬は小さく頷いた。

 そして、ふっと肩の力が抜けるように笑った。


 その笑顔には、ほんのわずかだけれど、安心が混じっていた。

 まるで「見つけてもらえた」と感じた人が浮かべるような、そんな柔らかな表情だった。


 ――この人を、ちゃんと見ていたい。


 そんな思いが、遼の胸の中で静かに灯っていた。

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白河紬には近づくな 自宅厨 @2nd2nd

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