第6話 ごまかし方

月曜日の朝。

憂鬱さなんて、いつも理由なんかない。ただ静かに流れていくはずだった――


……でも、今日は少し違った。


――土曜日、白河紬と映画に行った。

あれは、偶然が重なっただけのことだった。

なのに、どうしてだろう。

あの時間の温度だけが、週明けになってもじんわりと胸に残っていた。


自分でも驚くくらい、気持ちの整理がつかない。

そのくせ、誰かに気づかれるのが――怖い。


昇降口の扉をくぐった、そのときだった。


「おはよう、佐原くん」


振り返るより早く、名前を呼ばれたことに、ほんの少し体が硬直した。


白河紬が、そこにいた。

いつもと同じ制服、整った髪、静かな笑顔。

だけど、その目だけは違った。土曜日のあの映画館の前で俺を見たときと、同じ――まっすぐな目。


「……おはよう」


声は出た。けど、それが“いつもの自分”だったかどうかはわからない。

誰も聞いてない。誰も見ていない。――けど、それでも妙に落ち着かない。


「じゃあ、またあとでね」


彼女はそう言って、軽く手を振った。

それだけのことが、やけに心に引っかかった。


教室に入ると、桜井颯太がすぐに寄ってきた。


「なあ、遼。土曜日さ、何してた?」


(……やっぱりか)


「ん? 本読んでたかな。たしか家にいた」


表情も、声のトーンも、できるだけ自然に。

俺には、こういう“ごまかし方”が染みついてる。


「ふーん? でもさ、駅前の映画館でお前っぽい奴を見たってやつ、いたぞ?」


「えー……俺に似てる奴なんていくらでもいるだろ」


「それはそうだけどさ。……その子、誰かと一緒だったらしいよ?」


一瞬、指先が止まる。

消しゴムが机の上を転がる、その音だけが妙に大きく聞こえた。


「お前まさか、白河と……」


「ないって。俺がそんなことするタイプに見えるか?」


「……まあ、確かにな。でもあいつ、最近ちょっと雰囲気違う気もするしな」


(“あの子ってさ、誰かに気を許してる時だけ、ちょっと声のトーンが変わるんだよな”)

昔、誰かがそんなことを言っていた気がする。

俺には、わからなかった。――いや、わからないようにしてた。


昼休み、校舎裏のベンチ。

静かな場所。誰もこない。誰にも見つからない。

――昔から、こういう場所が好きだった。

安心できるわけじゃない。けど、裏切られることもないから。


そんな場所に、またしても――


「……やっぱりいた」


白河紬の声が届いた。

まるでそこが“当然の居場所”みたいに、隣に腰を下ろす。

俺の中の“警戒心”と“なにか別のもの”が、同時にざわついた。


「……何しに来たんだよ」


「ちょっと、聞きたいことがあって」


彼女はまっすぐこちらを見た。

風が吹いて、黒髪がふわりと揺れる。


「今日、誰かに何か言われたりしなかった?」


「……なんで?」


「……朝、話しかけたから。目立ったかなって思って」


その一言に、胸の奥が妙にざわつく。

気にしてるのか。

あの白河紬が、“誰かの視線”を。


「大丈夫。俺が、うまくやってるから」


「ふふ……“うまく”って、自信あるんだ?」


「慣れてるから。こういうのには」


自分で言って、少しだけ口の中が苦くなった。


俺は、秘密の持ち方を知っている。

信じた言葉が、笑い話に変わる瞬間を、知っている。


だから、こうして距離を取ってきた。

なのに――今、彼女はそのすぐ隣にいる。


「ありがとう。……でも、無理はしないでね?」


「……なにそれ」


「ただの“お願い”。

私は、秘密の関係がしたいわけじゃないの。ただ……いまは、もう少しこのままでいたいってだけ」


言葉に棘はなかった。

だけど、その“曖昧さ”が、逆に不安だった。


彼女も、何かを隠してる。

そう感じるのは、きっと勘じゃない。


俺は、そういう目線には敏感な方だから。


「……じゃあさ、次は、俺から誘ってもいい?」


声が出たとき、自分でも驚いた。

誰かに期待することも、信じることも、できなくなったはずだったのに――

どうしてだろう。彼女には、つい聞いてしまった。


白河は、目を少し丸くして、それから――やわらかく、笑った。


「うん。待ってる」


その笑顔が、どうしても信じきれなかった。

でも、疑いだけで終わらせたくないとも、思ってしまった。


……まったく。

自分でも、ほんとに厄介な性格だと思う。


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