第5話 憎悪の連鎖

 共鳴体質調査課のオフィスは、異様な緊張に包まれていた。


 モニターには、SNS上で急速に拡散している一枚の画像が表示されている。一見すると、ただの風景写真。しかし、これを見た人々が次々と激しい怒りを訴えているという。


「感情汚染がデジタルデータに?」


 霧島が信じられないという顔をした。


「理論上はあり得ます」


 黒田誠司主任研究員が説明する。今回は彼も同席していた。


「感情エネルギーは波動です。デジタル画像の特定周波数に埋め込むことは、技術的に可能かもしれません」


 響は画像を分析していた。サイレンサーを最大出力にしても、モニター越しに怒りの波動が伝わってくる。


「Em値は6700。しかも増幅し続けています」


 ルナが画像の色彩分析を行う。


「赤と黒が渦巻いています。でも、通常の怒りとは違う。もっと冷たくて、計算された憎悪です」


 この画像を最初に投稿したアカウントは既に削除されていた。しかし、既に10万回以上シェアされ、コメント欄は罵詈雑言で溢れている。


 そして問題は、それだけではなかった。


「暴力事件が3件発生しています」


 警察からの報告。画像を見た人同士が、些細なことで殴り合いになったという。


「デジタル感情兵器……」


 響はつぶやいた。もしこの技術が悪用されれば、世界中に憎悪をばらまくことができる。


 EMPATHYに解析を命じる。


『画像データを分析中……異常を検出。画像の特定ピクセルに、感情波形が埋め込まれています』


「除去できる?」


『可能ですが、オリジナルデータが必要です』


 響は決断した。


「投稿者を特定しましょう」


 サイバー犯罪対策課と協力し、投稿者の追跡を開始する。削除されたアカウントの痕跡を辿り、IPアドレスを特定。


 そしてたどり着いたのは、都内のマンションの一室だった。


 部屋の住人は、23歳の男性。引きこもりがちで、ネットの世界に依存しているという。


 響たちが部屋を訪れると、ドアは開いていた。


 中に入ると、異様な光景が広がっていた。


 壁一面にモニターが並び、すべてに例の画像が表示されている。そして床には、大量の螺旋模様が描かれていた。


 部屋の中央に、男が座っていた。


 目は虚ろで、顔は憔悴しきっている。


「なぜこんなことを?」


 霧島の問いに、男はゆっくりと顔を上げた。


「憎い……みんな憎い……」


 男の感情を読み取ると、響は息を呑んだ。


 これは男自身の憎悪ではない。誰かに「植え付けられた」感情だ。


「彼も被害者です」


 響が言うと、男が笑った。壊れた人形のような笑い方だった。


「被害者? 違うよ。僕は選ばれたんだ」


「誰に?」


「未来の女王様に」


 男の言葉に、響の心臓が跳ねた。


「彼女は言った。感情は伝染する。憎悪の種をまけば、世界は憎しみに満ちる。そして人類は、一つの感情に統合される」


 響は理解した。これも「計画」の一部だ。


 感情を使って人類を操作する、何者かの計画。


 その時、響のスマホが鳴った。


 通知を見て、血の気が引いた。


 自分のSNSアカウントから、投稿がされている。


 響が投稿した覚えのない内容。


 しかも投稿時刻は――3日後。


『共鳴体質レベル5同士が子供を作ると、何が起きるか知っていますか?』


 投稿は続く。


『その子供は、人類の感情を統合する力を持って生まれます。私がその証拠です』


『10年前、私の両親は心中しました。正確には、私が殺したのです。無意識のうちに』


『レベル5同士の子供は、制御不能な共鳴を起こします。両親の感情を吸い尽くし、精神を破壊します』


『そして今、私は気づきました。これは呪いではなく、祝福だと』


 響の手が震えた。これは嘘だ。両親は事故で死んだはずだ。


 しかし、投稿はまだ続いていた。


『もうすぐ、私の真の力が覚醒します。その時、すべての人類の感情は一つになる』


『抵抗しても無駄です。なぜなら、種はもう蒔かれているから』


 最後に、署名があった。


『未来の女王より 追伸:お母さんが会いたがっています』


 霧島が響の肩を掴んだ。


「響、これは罠だ。動揺するな」


 しかし響は、既に理解していた。


 これは未来からの投稿ではない。


 誰かが、3日後に響のアカウントを乗っ取り、この内容を投稿する予定なのだ。


 つまり、3日以内に響の身に何かが起きる。


「響……お前、まさか……」


 霧島の声には、初めて聞く動揺があった。


 響は答えられなかった。


 なぜなら、投稿の内容が、どこか真実のように感じられたから。


 特に、両親の死についての部分が。


 男が突然、叫んだ。


「11時11分! 約束の時間だ!」


 時計を見ると、確かに11:11。


 瞬間、部屋中のモニターが一斉に画面を切り替えた。


 そこに映ったのは、白いワンピースの女性。


 長い黒髪、優しい笑顔。


 響の母親にそっくりな、その女性が口を開いた。


『こんにちは、響。久しぶりね』


 声も、母親そのものだった。


『時間よ。帰って来なさい』


 画面の中の女性が、手を伸ばした。


 その手が、モニターから飛び出してきた。

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