第52話 幸福の代償

12月22日。X-Dayの、二日前。


街は、クリスマスイルミネーションで輝き、浮かれたような空気に満ちている。


だが、わたしたちの心は、凍てつく冬の空よりも、冷たく、重かった。

きっかけは、ほんの些細なことだった。


「そういえば、もうすぐクリスマスだね」

放課後の図書室。参考書から顔を上げたわたしが、何気なくそう言うと、朔くんの動きが、ぴたりと、止まった。


クリスマス。

その単語が、わたしたちが必死に蓋をしていた、パンドラの箱を開けてしまった。


X-Day。

陽菜が死んだ日。わたしが、死ぬと、予告された日。


「……ああ、そうか。もう、そんな時期か」

彼の声は、乾いていた。


幸せな日々に、わたしたちは、あまりにも、慣れすぎていた。

『幸福のカウンタープログラム』という大義名分のもと、受験勉強という現実的な目標のもと、わたしたちは、一番、向き合うべき問題から、目を逸らし続けてきたのだ。


「……どう、するんだ。陽向さん」

朔くんが、絞り出すように言った。


「X-Dayの対策、何も、できてない」


「……」

わたしは、何も、答えられない。

答えようとすると、喉が、ひゅっと、音を立てる。


「わたしが犠牲にならずに、誰かを救う方法なんて、そんな都合のいいもの、あるわけないじゃない…」


「でも、探さないと!」


「どうやって!? もう、時間がないのに!」


わたしたちは、まるで、初めてその問題に直面したかのように、狼狽し、うろたえた。

十ヶ月という、あまりに長い時間を、無為に過ごしてしまったという、後悔と、焦り。


その時だった。

わたしたちの間に置かれた、スマートフォンの画面が、不意に、明滅を始めた。

通知じゃない。着信でもない。

黒い画面に、白い文字が、浮かび上がる。


『時間切れだよ』


栞からの、メッセージ。

わたしたちの心を、見透かしたような、最悪のタイミング。


『教えてあげる。あなた(・・)が、目を逸らし続けた、真実を』


次の瞬間、わたしたちの頭の中に、直接、あの、少女の声が響き渡った。

そして、見せつけられた。

陽菜が死んだ、あの日の光景を。

信号無視の車。小さな男の子。そして、迷いなく、その子の前に飛び出し、笑顔で、命を散らした、陽菜の姿を。


『誰かを救うために、自らを犠牲にする。それ以上に、美しい物語が、どこにあるの?』


違う。

それは、ただの、悲劇だ。


『いいや、違うわ。これこそが、至高の愛。だから、あなたも、同じように、美しく、散るの。それが、この世界の、たった一つの、正しい結末なのだから』


その言葉を最後に、スマートフォンの画面は、元に戻った。

後に残されたのは、圧倒的な絶望。


「……そうか」

わたしは、乾いた笑いを、漏らした。


「結局、そういうことだったんだ。わたしが、死ぬしかないんだ。それが、ハッピーエンドなんだって…」


「違う!」


朔くんが、机を強く叩いた。

「そんなもの、絶対に、ハッピーエンドなんかじゃない! 俺が、絶対に、認めない!」


彼の瞳には、怒りの炎が燃えていた。


でも、その炎は、あまりにも、か細く、今にも、吹き荒れる絶望の嵐に、かき消されそうだった。


どうしようもない。

何をしても、無駄だ。

わたしたちに、残された道など、もう、どこにもない。


幸せな十ヶ月の、代償。

それは、考える時間と、希望を、全て、奪い去っていった。

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