第47話 梅香る、束の間の約束

拓也くんとの一件から数日後。


世界は、何事もなかったかのように、穏やかな日常を続けていた。

栞からの直接的な攻撃はなく、わたしと朔くんは、来るべき次の「何か」に備え、情報収集と対策の話し合いに、放課後の時間を費やしていた。


その日も、わたしたちは、いつものように図書室の隅の席で、ノートを広げていた。

深見創という、この世界の創造主について。

彼が遺したとされる、AIの設計図について。

断片的な情報ばかりで、なかなか、核心には辿り着けない。


「……やっぱり、情報が、少なすぎるな」

朔くんが、ペンを置き、こめかみを揉みながら、ため息を漏らした。


彼の言う通りだった。

まるで、巨大なジグソーパズルの、端っこのピースを、数個、持っているだけのような、心許なさ。


「そうだね…。少し、煮詰まっちゃったかな」

わたしも、背伸びをしながら、同意する。

窓の外は、もう、夕暮れのオレンジ色に染まり始めている。


不意に、朔くんが、何かを思い出したように、顔を上げた。

「ねえ、陽向さん」

「ん?」

「今週末、暇?」

「え? う、うん。特に、何もないけど…」

唐突な質問に、少し、心臓が跳ねる。


まさか、これは。

彼は、少し、照れくさそうに、視線を逸らしながら、一枚のチラシを、カバンから取り出した。


「駅前で、配ってたんだ。近くの神社で、梅まつりを、やってるらしい」


チラシには、満開の梅の花の写真と、「観梅会」という、雅な文字が印刷されている。


「気分転換に、どうかなって。ずっと、根を詰めてても、いいアイデアなんて、浮かばないだろ」


それは、紛れもなく、お祭への、お誘いの言葉だった。

拓也くんの件があってから、わたしたちの関係は、「戦友」としての意識が、より、強くなっていた。

それは、とても、心強いことだったけれど、同時に、どこかで、普通の高校生らしい時間を、失っているような、寂しさも感じていた。

だから、彼の言葉が、本当に、嬉しかった。

この、息の詰まるような戦いの中で、ほんの少しでもいい。

彼と、同級生として、笑い合える時間が、欲しかった。


「……うん、行く!」


わたしは、食い気味に、頷いていた。


「行きたい! 梅まつり!」


わたしの返事に、朔くんは、驚いたように、少し、目を見開いた後、ふっと、柔らかく、微笑んだ。


「そっか。よかった」


その笑顔に、図書室の空気までが、ふわりと、温かくなったような気がした。


栞の脅威が、消えたわけじゃない。

世界の終わりが、回避されたわけでもない。


でも、今は、この、束の間の約束を、素直に、喜んでいたかった。

梅の香りが、わたしたちの心を、少しだけ、解きほぐしてくれることを、願いながら。

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