第16話 破られた計画書と、最後の賭け

あなたの背中が、夕闇に溶けて見えなくなるまで、わたしは動けなかった。

公園の冷たい砂の上で、ただ、立ち尽くしていた。


『もう、俺に関わらないでくれ』

その言葉が、壊れたレコードのように、何度も、何度も頭の中で再生される。

鋭いガラスの破片になって、わたしの心をめちゃくちゃに切り刻んでいく。


ああ、まただ。

また、この結末にたどり着いてしまった。

過去のループ。やり方を変え、アプローチを変え、慎重に、慎重を重ねてきたはずなのに。

結局、最後はいつもこうだ。

あなたに拒絶され、あなたの絶望が、世界の終わりを呼び寄せる。


「……また、だめだった……」


声に出した途端、堪えていた涙腺が、完全に壊れた。地面にしゃがみ込み、子供のように声を上げて泣いた。

計画が綻んだことへの後悔じゃない。また世界が終わることへの恐怖でもない。

ただ、あなたを傷つけてしまったことが、悲しくて、悔しくて、たまらなかった。

あなたを救いたかっただけなのに。あなたに笑っていてほしかっただけなのに。

どうして、いつもこうなっちゃうんだろう。


涙で滲む視界の中で、世界が、静かに壊れていくのが見えた。

公園のブランコが、テレビのノイズのように明滅し、一瞬だけ透ける。地面が、まるでゼリーのようにぐにゃりと揺らぎ、立っていることさえ覚束ない。

遠くに見えるビル群が、陽炎のように歪み、空には、黒い亀裂のような線が走っていた。そこから、オーロラのような不吉な光が漏れ出している。


これは、あなたの心が壊れていく音。あなたの絶望に共鳴して、世界が上げる、断末魔の悲鳴。

X-Dayはずっと先のはずだったのに。あなたの絶望は、世界の終わりまでの時間を、一気に縮めてしまった。


どれくらい泣いただろうか。

わたしは、ふらふらとおぼつかない足取りで、自宅へと向かった。


家族の心配する声を振り切って、自分の部屋に閉じこもる。そして、机の引き出しの奥から、全ての元凶であり、これまで唯一の道標だったノートを取り出した。


『世界再構築計画書 Ver. 33』

緻密な計算。過去のデータ。完璧なシミュレーション。

この計画書に沿ってさえいれば、今度こそうまくいくと信じていた。


でも、違った。

この計画書には、たった一つ、致命的な欠陥があった。

それは、あなたの「優しさ」を、計算に入れていなかったことだ。

あなたが、親友を心から心配して、自ら危険な場所に赴くなんて、想定していなかった。わたしの言葉を、そこまで真剣に受け止めてくれるなんて、思っていなかった。

わたしは、あなたをデータとしてしか見ていなかった。あなたの心を、見ようとしていなかった。


「……もう、いらない」

わたしは、そのノートを掴むと、力任せに引き裂いた。

びりびり、とページが破れる音が、静かな部屋に響く。

過去のループの記録も、未来の予測も、もう、どうでもいい。

過去のデータに縛られていたから、わたしは間違えたんだ。

破り捨てた計画書の残骸をゴミ箱に叩きつけ、わたしは机の一番奥に、大切にしまってあった一枚の写真立てを手に取った。


色褪せた写真。

夏の日差しの中、知らない土地で迷子になって泣いていた、幼いわたし。

その隣で、少しだけ照れくさそうに、でも、真っ直ぐ前を見て立っている、同い年のあなた。


これだ。

わたしの、原点。

計画でも、作戦でもない。

ただ、怖くて泣いていたわたしを助けてくれた、あなたの不器用な優しさ。その時、繋いでくれた手の温もり。


32回の絶望を繰り返しても、わたしが諦めなかった、たった一つの理由。


「わたしが信じるのは、これだけ……」

涙を、手の甲で乱暴に拭う。

顔を上げた時、鏡に映ったわたしの目には、もう絶望の色はなかった。

あるのは、すべてを失った人間だけが持てる、悲壮な決意。


計画は、破綻した。

世界の終わりは、もうすぐそこまで来ているのかもしれない。


でも、このまま終わってたまるものか。

わたしは、最後の賭けに出ることを決めた。

それは、これまでひた隠しにしてきた「すべての真実」を、あなたに話すこと。


わたしが、何度もこの世界を繰り返していること。

この世界が、もうすぐ終わること。

あなたが、その運命の中心にいること。

そして、わたしが、どれだけあなたを……。


それを話せば、あなたはもっと混乱するかもしれない。頭がおかしいと、本気で拒絶されるかもしれない。

でも、もういい。

小手先の嘘や計画で、あなたの心を縛り付けるのは、もうやめだ。

わたしのすべてを、魂ごと、あなたにぶつける。


「待ってて、朔くん」

わたしは、部屋を飛び出した。

崩壊を始めた、夜の街へ。

あなたの凍てついた心を、絶望を、止めるために。


わたしは願っていた。

これは、ハッピーエンドで終わる愛の物語なのだと。

この結末を、わたしは、これからあなたと一緒に見つけに行く。

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