となりの守護霊くん
千明 詩空
第1話 祈りの夜に、僕は――
卒業証書の入った筒が、妙に重たく感じた。
別に、誰かと喧嘩したわけでもない。成績が悪かったわけでも、いじめられてたわけでもない。
でも僕は、ずっと今日という日が来るのを、心のどこかで怖がっていた。
そして今、その“怖さ”が“現実”に形を変えて、目の前に立ちふさがっている。
「……みんな、変わっていくんだよな……」
商店街を抜けて家に帰る途中、僕は何度も、そう心の中で繰り返していた。
友達の笑顔、教室で撮った記念写真、校庭の隅でふざけあっていた声――全部が、今日で一旦終わる。
そして次は、“新しい自分”として生きていく高校生活が始まる。
……でも、“今の僕”で高校に行ったら、きっとまた同じ毎日になる気がして、怖かった。
「せめて、何か……何かきっかけがあれば」
そう思ったとき、足が自然と止まったのは、小さな神社の前だった。
境内の灯籠には、ほのかに明かりが灯っている。もう何年も誰も手入れしていないような、寂れた雰囲気の神社だけれど、不思議と居心地が悪くなかった。
鳥居をくぐると、急に空気が冷たくなる。背筋がゾクッとしたけど、それが逆に、僕の覚悟を決めてくれた。
「……お願いがあります」
拝殿の前に立ち、僕は深く頭を下げた。
「僕、変わりたいんです。高校デビュー、したいんです……!」
誰にも聞かれていないのをいいことに、僕は思いの丈を全部ぶつけた。
声を出して言葉にしたら、少しだけ心が軽くなった気がした。でも同時に、恥ずかしさで頬が熱くなった。
「もっと社交的になって、友達いっぱい作って……カッコいい髪型とかして、服もおしゃれで……できれば、彼女も……!」
最後の願いはさすがに言葉にするのを躊躇った。でも、心の奥では一番そこを望んでいたのも事実だった。
それから僕は、手を合わせたまま、何度も何度も、心の中で唱えた。
高校デビューできますように――
高校デビューできますように――
高校デビューできますように――
そのうち、拝殿の奥から「パキン」という乾いた音がした。風も吹いていないのに、鈴がひとりでに揺れたような気もした。
「えっ……?」
あたりを見回したけど、誰もいない。
でも確かに、何かが“動いた”。空気の密度が、変わった気がした。
「気のせい……だよな」
そう呟いて踵を返そうとした瞬間――
頭の上から、声が降ってきた。
「おいおいおい、そんなに必死に願われたらさ、俺も出てくるしかないっしょ?」
……え?
「んでまあ、そーいうことなんで……」
バチッ!
次の瞬間、神社の空間全体がフラッシュでも焚かれたかのように一瞬だけ白く染まった。
反射的に目を閉じ、顔を覆う。
……気がついたとき、僕の目の前には――
金髪。ピアス。薄めのサングラス。白いパーカーに黒いスキニー。片手を突き出して、ウィンクする青年が浮いていた。
浮いていた。
僕の身長より少し上――地面から約20センチほど宙に浮いた状態で、その“チャラい何か”は笑っていた。
「はじめまして~☆今日からキミの守護霊になるぜ?よろしくなっ!」
思考が止まる、ってこういうときに使うんだなって、初めて実感した。
「……え、チャラい……」
それが、僕の第一声だった。
「……なにこれ、夢?」
自分でも情けないくらい小さな声だった。
けど、目の前の金髪の青年――いや、“浮いてる金髪”は、僕の疑問に当然のように答えた。
「夢じゃないって~。てか、そういうリアクション、初めてのやつじゃない?もっと“ギャーッ!”とか“うわああああ!”とか言ってよ。ちょっと地味すぎ!」
「いや、いやいやいや……いやいやいやいや……!守護霊って、あれですか? 幽霊?それとも神様?」
「おっ、そうくる?いい質問だね~!」
ノリノリでサングラスをクイッと押し上げた彼は、宙に座るような体勢で説明を始めた。
「俺は守護霊。君の“願いの強さ”に反応して、派遣されました~!」
「派遣て……派遣社員みたいに言わないでください……」
「でもマジでそんな感じよ。“中等級”の願いって、俺みたいな“陽キャ系若手精鋭”が担当するって決まってんの。ちなみに恋愛成就と高校デビューは、ここんとこ依頼多い案件ね~」
あまりに軽い口調に、逆に信じそうになる自分がいた。
「え……つまり、あの神社の神様が僕の願いを聞いてくれたってことですか?」
「ん~、まあ“神様”っていうより“願望管理システム”みたいなもんだけどね。そっから通知来て、“マッチングしました”って俺が割り当てられたわけ!」
「マッチングアプリかよ……」
ツッコまずにはいられなかった。ていうか、なにこの人(?)。全部が軽い。
「で、さっきも言ったけど、俺は今日から君の守護霊だから。どんな高校デビューでもバッチコイ☆」
「……え、本当に……助けてくれるんですか?」
思わず声が震えた。
僕は今まで、“自分で何とかしなきゃ”ってずっと思って生きてきた。
空気を読んで、目立たないようにして、誰かの輪の中にちょっとだけ入れてもらえれば、それで十分だって……。
でも、心の奥ではいつも、「変わりたい」って叫んでいた。
そんな想いが、ようやく誰かに届いた気がした。
「当たり前っしょ~? てか、それが俺の“お仕事”だし!まかせなって!」
そう言って、彼はふわっと回転して着地……したかのように見えたけど、やっぱり浮いていた。
「とりま、名前聞いとこっか。俺はねぇ、“コウ”って呼ばれてる。正式名称は長いから省略!」
「……コウさん?」
「敬語いらな~い!てか年齢っていう概念があんまないから、タメ口でいいよ。お互いね☆」
軽くウインクしてきたその笑顔は、なんだか眩しくて、ちょっと腹立たしかった。
「……じゃあ、僕は“森崎 空(もりさき そら)”です」
「お、奇遇じゃん!空とコウ(昊)!ダブルスカイってやつね!」
「なにそれ……意味わかんない……」
僕は呆れたように呟いたけど、心の中の緊張がふっと緩んでいた。
そんなとき、ふいにスマホが震えた。画面を見ると、母からのメッセージ。
《ご飯できたから早く帰ってきなさい》
時計を見ると、もう19時近くになっていた。
「……とりあえず、帰らなきゃ」
「あ、じゃあ俺もついてくよ。てか、もう“リンク済み”だから、空が行くとこには自動でついていく~」
「便利機能か……」
「ちなみに俺、普段は人に見えないモードにしてるから安心して。会話もテレパシーでできるし、バレるようなことはないよ。任務違反になるしね」
「じゃあ、安心……なのかな……?」
不安と期待と混乱とでぐちゃぐちゃになりながら、僕は家路についた。
そして、この日から――
“僕と守護霊の高校デビュー作戦”が、始まったのだった。
帰宅して夕食を終え、部屋に戻ると、あいつは当然のようにいた。
しかも、僕のベッドの上にあぐらをかいて。
「おっかえり~。うん、この部屋、落ち着くわぁ~。空、案外キレイ好きなんだね~」
「人の部屋でくつろがないでください……」
「てかさ、明日から高校準備でしょ? 入学式の前ってさ、外見整えるチャンスよね~」
「えっ……」
「というわけで、まずは第一歩――髪型チェーンジ☆」
パチンと指を鳴らすと、どこから取り出したのか、銀色のヘアカットばさみとコームが彼の手に出現した。
「ちょ、ちょっと待って、髪切るって、僕、美容室じゃないと無理で――」
「大丈夫大丈夫!俺、美容神界でも一目置かれてたから!実技試験、満点だったし!」
そんな世界あるんだ……。
「動かないでよ~、ほら、目閉じて。絶対後悔させないから!」
そう言って、コウが僕の髪に指を添えた瞬間――
何かが、触れた。
……本当に、“触れられた”感覚があった。
驚いて目を開けそうになるけど、怖くて開けられない。
(なんで……霊なのに……触れられるの……?)
「ふふん。いま、ちょっと集中してんの。俺、“意識すれば”物にも触れられるんだよね~。けっこう体力使うけど」
そう言って彼は、シャキシャキとリズミカルにハサミを動かしていく。
やがて、コウの手が離れ、「はい、オープン☆」という声がした。
おそるおそる鏡を見ると――
そこには、少し軽くなったシルエットの髪型の僕がいた。もっさりしてた前髪がすっきりして、耳も少しだけ見えるようになっている。
「……すごい」
思わず本音が漏れた。
「だろ?てかこれ、女子ウケ狙いの“量産型ナチュラル系男子カット”ってやつ。ちょっと眉毛も整えといたよ!」
「いつの間に……」
「明日から、ビジュアル的には大丈夫。あとは“態度”と“空気感”!それはこれから鍛えるよ!」
「……鍛える?」
「そ。たとえば――腹筋とかね!」
ニヤッと笑ったコウは、僕の足元にスッと移動し、両足首をがっしり(?)と押さえた。
「え、いやちょっと待って、いま夜だし腹筋とか――うわっ!?重っ……!」
「“意識モード”だからちゃんと支えられるの。ほら、さあ10回いってみよ~!」
「なにこのスパルタ……」
――こうして僕は、金髪守護霊と一緒に、“高校デビュー”という名の戦いに挑むことになった。
最初は戸惑いの連続だったけど、彼の不思議なテンションと、意外にちゃんとしたサポートに、少しずつ心がほぐれていく。
そして――
入学式の日は、もうすぐそこに迫っていた。
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