第16話 誰にも見せないボクの姿を


いつもと同じ朝、とはどのような朝だろうか。

陽が東から昇れば、いつもと同じ朝、と言えるだろうか。

桃陰とういん高校の朝、科学準備室のドアがノックされ、返事を待たずに開かれた。


「このスカタン!頭を開いて天日干しにしてやる……」

いつもと同じように罵声を浴びせた明子であったが、尻すぼみになる。


「おっはよー」

明るく挨拶しながら入ってきたのは双子の姉ではなく、ガングロギャルのマクラーレン・舞彩まいだった。

「おはようございます。……なんで舞彩先輩がこいつらと一緒にいるんですか?」

明子は舞彩の背後に、乙輪おとわと晴子がいるのを見つけた。

「さっき廊下で会ったから一緒に来たの。ところでうちは頭を開かれて天日干しにされちゃうの?明子ちゃんこわ~い」

「ち、ち、ち、ちが……」

「アキ!聖女様にこいつらとか不敬だぞ、不敬!」

舞彩が明子をからかっているところに晴子が割り込んでくる。まじで憤慨している。

「うるさい!ハルがドアを開けないのが悪いんでしょ」

明子も逆ギレしながら言い返す。

「だって舞彩さんがさっさと開けちゃうんだもん」

「えー、晴子ちゃんが開けなきゃいけなかったの?めんごめんご。うち、そういうのマジでわかんないからさー」

舞彩は顔の前で手を立てて、ウインクしながら謝る。


「誰が開けたって良いわよ」

最後尾の乙輪が重々しく口を開いた。

「私を部屋に入れて」

さっと道が開かれて部屋に入った乙輪は、いつもの丸椅子の隣に、出水いずみが座っているのを見つけた。

「ハッカー先輩もいたんだ。大賑わいね」

「おはよう」

出水は開いていたノートパソコンを閉じ、ほんわかとした笑顔を見せた。

「今日は何の悪巧みをしてたの?」

「悪巧みなんかしてへんよ。人助けや」

「誰を助けているんですかねー」

「ほな、私はこれで……」

立ち上がろうとする出水を引き留める。

「ハッカー先輩って私のことを避けてる?」

「そんなことせーへんよ。聖女様を避けるなんて、えーと、不敬やん」

ほんのりとした笑顔。

「絶対に思ってないでしょ!」

「まぁ、ハッカーって言われるのは、ちょっと嫌やなぁって思てるけど」

「え、ごめんなさい。ハッカーって誉め言葉じゃないの?」

「そんなことやろなと思てた。「ハッカー」は色んな意味があるから、誉め言葉になることもあれば、悪口になることもある。「聖女」も似たようなもんちゃうかな」

「『聖女』が悪口にあることあるかしら?でもそうね、言いたいことは分かるわ。……もしかして、先輩が私のことを聖女様って呼ぶのは、悪口だってこと?」

「ふふふ」

出水は明言せず、悪意が一片も感じられない穏やかな笑顔を見せた。

「誤魔化すのが上手。さすが、魔女の手先ね」

「手先じゃない。同士だ」

部屋の一番奥、カーテンで閉ざされた窓の前に座る輝夜が穏やかに訂正した。黒い実験着をまとい、丸眼鏡を掛けている。


「どっちでも良いけど。それよりも六人もいるんだから皆でなにかしようよ」

「良いですね。なにしましょう?」

乙輪の提案に晴子は大きな声で賛成した。

「UNOしよう」

即決する。

「良いですね。でもこの部屋にUNOあるんですか?舞彩さん持ってます?」

「なんでうちに聞くんだよ。ウケる。持ってないよ」

「ギャルなら持ってると思いました」

「ギャルはUNO持ってないから。ウケる。それに私ギャルじゃないし」

「私が持ってるから大丈夫」

 乙輪は鞄から取り出したUNOを見せびらかした。

「え、なにこれ?星なり限定版じゃん。速攻完売したのに、ゲットできたの?スッゲー」

舞彩は素直に感激する。

「ふっふっふっ。使える伝手つては全部使いました」

「羨ましいわぁ」

出水が覗き込んでくる。

「先輩も星なり好きなの?」

星なり友達に飢えている乙輪の目が輝く。

「ドラマ見てたよ。グッズ買うほどのファンではないけど、そのUNOは凄い転売価格が付いてるのをネットで見たから、乗り遅れたなぁって思てた」

「売りませんからね!」

「分かってるよ。伝手を教えてもらうだけでええから」

「教えません。さぁ、始めるわよ」

「あの、今日はいつもより遅く来られたので、予鈴まで後十分もないですよ。終わらないんじゃないですか」

明子がそわそわと口を挟む。

「急いでやるのよ」

「ルールはどうするん?」

 UNOは公式ルールの他にローカルルールも多い。初めて対戦するメンバーの時は、ルールを確認しておかないとケンカの種になる。


「ルールは私が決めます」

絶対的な存在は、ルールをぶち壊し、また創造する。

「横暴です!」

「それでこそ聖女様です!」

「うるさい!ほら、集まって。カードを配るわよ」

聖女様の横暴に逆らうことはできないと皆が動き始めた時、輝夜がそっけなく言った。

「ボクはUNO知らない」

「え~~~嘘でしょ!」

 乙輪は大きな声で驚く。

「嘘じゃない」

「魔女になってからはやってないかもしれないけど、丘上輝夜はやったことあるでしょ」

魔女エウラリアの記憶が蘇る前の輝夜は、外交的で友達が多かったらしい。そんな子供がUNOをやったことがないとは信じられない。


「ボクは今も昔も、丘上輝夜だ」

 輝夜は誰の目にも不機嫌だった。

「知っている人だけで楽しめばいい」

 立ち上がって荷物を手に取ると、準備室の鍵をぽんと明子に投げた。

「鍵をかけておいて」

そう言い残して、足早に部屋から出て行き、ぽかんとしている五人が残された。


「なんなのあれ?」

呆れた感じで乙輪が訊く。

「UNOに嫌な思い出があるんじゃないでしょうか」

「実はすごく弱いとか……、魔女様に限ってそんなことないですね」

晴子と明子が揃って頭を捻る。

「そうだったとしても、あんな風に出て行かなくても良いじゃない」

乙輪は口を尖らせる。

「そうですよ。せっかく聖女様が誘ってくれているのに」

「まぁ、原因は分からないけどさ」

舞彩が軽い感じで口を挟む。

「うちは別に良いんだけど、このままで良いの?」

「何がよ」

「うーん。私が言うよりさ、こういう時、双子ちゃんたちが言った方がしっくりする言葉があるでしょ」

「私たちですか?―――あ、あれですね?」

「あれね!」

 舞彩の謎かけに、晴子と明子はすぐに答えに辿り着き、ぱっと顔を輝かせた。

「アニメや漫画で定番のあれですね!」

「そうそう」

「なんの話をしてるの?」

盛り上がる三人に、乙輪はついていけていない。

「いくよ、せーの」双子は声を合わせる。「聖女様、追いかけてください!」

「な、なにを?」

「良いから!追いかけてください!」


「なんなのよ!」

追い出されるように乙輪は科学準備室から出た。

廊下にはすでに輝夜の姿はない。

「追いかけろって言われてもなぁ」

はてさて、どこに行ったのか?皆目見当がつかない……というわけではない。じきに授業が始まる。普通に考えれば教室に行ったのだろう。

考えながらのろのろと歩いていると予鈴が鳴った。

輝夜の教室を覗くと、その姿を見つけることができた。さすがに始業前のこの時間に乱入できず、自分の教室へ向かう。


なんであんなに不機嫌だったのだろうか?


乙輪は休み時間も、昼休みも放課後も、輝夜を探しに行ったが、その姿を見つけられなかった。

チャットアプリにメッセージを送ったが既読は付かなかったし、電話にも出なかった。

金曜日だったので、そのまま、週末を迎えることになった。


いつもと同じ朝、とはなんだろうか?

晴子ではなく舞彩がドアを開いたから、何かがおかしくなってしまったのだろうか?


土曜日の朝、スマホを見ると、まだ既読が付いていなかった。

もやもやした気分のままダイニングに行くと、伯母の直子がテレビを観ていた。

「おはよう」

「おはよう。ねぇ、朝ごはんはパンでも良い?」

「良いけど。珍しいね」

直子は頑なな朝食はお米派だ。

「昨日、高級食パンを頂いたのよ。じゃーん」

「美味しそう」

ウキウキしながら食パンを見せる直子に、乙輪は笑って見せる。

「このまま食べる?トーストにする?」

「両方」

「そうね。それが良いわ」

直子がキッチンに行ったので、乙輪はテレビに目を向ける。

暗闇の中で真っ赤な炎が上がっている。

「これって近所じゃない」

暗いためにはっきりとした場所は分からないが、報じられている住所はよく知っている場所だ。

「そうよ。気が付いた?そんなにたくさん消防車が来ていたのに、全然気が付かなかった」

「私も」

言われてみれば、空がワンワンと騒がしかったような気もする。

なかなか寝付けなかったから、気分的なものかと思っていたが、本当にうるさかったのか。

すぐ近所でこんな大事件が起こっていたのに、それに気が付かずに眠れないなともやもやしていたとは。冒険中だったら命の危機だ。

にぶってるな……」

「なに?」

「なんでもない」

そんな感覚は現代社会を生きる無悪乙輪には必要ないはずだ。

でも、本当にそれが正しい?

「焼けたわよー」

「ありがとう」

テーブルに並べられたトーストを齧る。

心がもやもやしたままでは、味はよく分からなかった。

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