第14話 幻惑の猫が箱の中に存在する確率ニャン
「もしも……」
「あんたがノックしなかったら、明子はどうするのかしら?」
「どうでしょう?」
晴子はノックしようとしていた手を顎に当て、頭を捻る。
「そわそわと落ち着かなくなって、ドアに耳を押し当てて外の様子を伺ったりして、五分ぐらいしたらドアを開けて外の様子を見ると思います」
「そして、なにしてんのよ!って怒鳴るのね」
「その通りです。もっとも、それまで魔女様がなにも言わなければ、ですけど」
「そうね。輝夜がどこまで我慢できるかもあるわね」
乙輪はいたずらっぽく笑う。
「ドアを開けずに、魔法で透視するかもしれません」
「そうね。今まで気にしたことがなかったけど、このドアに、忍び込もうとした奴をやっつけるトラップが仕掛けられているかもしれないわね」
ぐるりと廊下を見回すと、天井についている半球状のものが目に入る。
「あの監視カメラは学校のよね」
「なんであんなところに付いているんでしょうか?魔女様を見張っているんでしょうか?」
「輝夜が怪しいのは確かだしね」
「遠野先輩なら監視カメラを付けたりできると思います」
「ハッカー先輩ね」
大阪弁を使う小柄な先輩の顔を思い浮かべる。パソコンが得意な彼女なら監視カメラの知識もあるかもしれない。しかし、天井に監視カメラを設置するのは大変そうだ。
「今日は入らないんですか?」
晴子は不思議そうな顔で見上げてくる。
「入るわよ。……昨日観てた動画でね、こんなのがあったの。箱を開けるまでは、猫が中にいるかどうか分からない、みたいな話」
「シュレッダーの猫ですか?」
「それそれ。それを今の私たちに置き換えるとね、いつも通りなら、私たちはこの時間は準備室から見てドアの向こうにいるはずだわ。でもドアは開かない。ドアが開くか、または自分が開けるまでは、私たちがここにいるかどうかは分からないの」
「そうですね」
「……」
「聖女様?」
同意に対する返事が返ってこないので、晴子は乙輪の顔を覗き込む。
「それだけよ。動画のことを思い出して、そう思ったってだけ」
「なるほど」
晴子は分かったような顔をして頷く。
「なにしてんのよ!」
ドアが勢いよく開いて、明子が飛び出してきた。
「聖女様のありがたい説法を聞いていたの」
晴子は目を閉じて手を合わせながら受け流す。
「せ、せっぽう?」
「晴子見て」
状況を把握できないで目を丸くしている明子を気にせず、乙輪は準備室を見るように促した。
「輝夜と妹がいることは予想していたけど、もう一人いることは予想できなかったわ」
「開けられる側だと思っていたら、開ける側でもあったってことですね」
「そう。答えはハッカー先輩だったけど、
「何の話をしてるんですか!」
いつもの掛け合いを阻止された明子が抗議の声を上げるが、乙輪は意に介さずに部屋に入って行き、実験台の上に置いたノートパソコンのキーボードを叩いている
「ハッカー先輩がいるなんて珍しいじゃない」
忙しい出水に代わって、実験台の向こうに座る輝夜が答える。
「最近、少し派手にやりすぎたみたいで警察やらなんやらの目が厳しくなっちゃって、世直し活動を控えているんだ。でもなにもしないのは時間がもったいないだろう?再開するときのために、先輩に情報収集してもらっているんだけど、そうしたらそれはそれで大量の仕事量になっちゃってね、こんな時間になっちゃったんだ」
「徹夜したってこと?」
乙輪は疲れ切っている出水の顔を見て顔をしかめた。
「そこはほら、この部屋で待ってたら治してもらえるやろ」
「寝不足は治すものではないんですけど」
乙輪は愚痴るが治癒の力を使い、出水の顔色は一瞬で良くなった。
「おおきに」
出水はほんわかと笑みを返している間にもノートパソコンのキーボードを激しく打鍵している。
「でも作業なら、ここじゃなくて家でやった方がいいんじゃない」
「お邪魔してごめんね」
「そういうこと言っているんじゃないんだけど、ここは作業環境良くないっしょ」
乙輪が丸椅子をがたがた引いて出水の隣に腰を下ろすと、すかさず輝夜がコーヒーを出す。
「私もちょうだい。 シュガーとミルクはたっぷりでお願いします」
「了解です」
和泉は手を止め、ぐーっと伸びをしてからミルクコーヒーを飲む。
「コーヒーが出てくるし、作業は輝夜さんの魔法で助けてもろてるから、ここでする意味はあるんよ」
「輝夜が助けるって……、あんたネット分かるの?」
乙輪は意外そうな顔で輝夜に訊ねる。
「ボクだって君と同じ今どきの女子高生だぞ。スマホもパソコンも使うし、ネットのことだって少しは勉強した。ただハッキングとか、普通の人はやらないだろ。そういうことは、専門家にお願いしているってことだよ」
中世風の異世界から転生してきた魔女は穏やかに応える。
「魔女を使う人に普通やないって言われるのはかなわんなぁ」
和泉はいたずらっぽく舌を出す。
「ははは、ごめん」
「それで、いけずな魔女様はどうやって魔法でハッキングの協力をしているの?」
乙輪の質問に輝夜はにやりと笑って答える。
「受け売りだけど、ハッキングで難しいのは入る時と出る時らしいんだ。入る時はセキュリティを突破しなければいけないから難しい。そして実は出る時の方が難しいらしいんだ。自分が侵入していた痕跡を消してから出ていく。痕跡が残っていると、そこから足がついて、追跡されて、捕まることになる」
「泥棒と同じね」
「そう、基本的には同じだ。泥棒は足跡や指紋が付かないようにしたり、髪の毛が落ちたりしないようにするだろう。ハッカーも同じように証拠が残らないようにして、付いてしまった証拠は消して出ていくんだ」
「あんたはなにをするのよ?」
「ネットの世界は複雑で難しいように見えるけど、突き詰めていくとすごく単純な世界になる。ネットの世界はたった二つの文字で構成されているんだ」
輝夜は右手の指を二本立てる。
「たった二つ?」
「0と1だよ」
「あーあーあー、はいはいはい」
乙輪は分かっているのか分かっていないのか判別がつかない相槌を打つ。
「つまり、ネットを操作しようと思ったら、0を1に変える、もしくは逆に1を0に変えるだけで良いんだ。もちろん複雑な情報操作をしたり、プログラムを走らせたりするのには専門的な知識が必要になってくるけど、ネットに侵入した痕跡を消すだけなら、そんなに難しい知識は必要ない」
「そんな簡単な話なの?」
「簡単じゃないよぉ」作業を再開していた出水が、画面から目を離さずに返事をする。
「でも、魔法のおかげでめっちゃ助かってるのはほんま」
「0を1に変えるだけって言ったけど、ネットに魔法で介入するのは簡単じゃないんだ。試行錯誤の末にやっと成功したんだ。魔法でネットを操作できるのは、この世界では私だけだと思う」と胸を張る。
「この世界にあんた以外の魔法使いがいるのかどうか知らないけど……。ネットってことは、電気とか雷の魔法を使うの?」
「そう思うだろ。僕も最初はそれを試していたんだけどうまくいかなかったんだ。最終的には幻惑の魔法を使ったらうまくいった」
珍しく得意げな顔をする。
「幻惑の魔法なら0が1であるように見せかけているだけで、代わっているわけではないんじゃないの」
「そう考えられるけど、だけどそれでうまくいったんだ。そもそもネットの世界なんて、あるのかないのか分からないような世界だろう。だからうまくマッチしたって考えてる」
「こんなこと言ってるけど良いの?」
「輝夜さんとネットに関する議論はせーへんことにしてるねん」
出水はかわいい顔でにっこり微笑むが、過去に激論が交わされたことが容易に想像できた。
「ま、私はもっとさっぱり分からないから、偉そうなことは言えないけど……」
乙輪は言葉を切って眉をひそめる。
「幻惑の魔法か。嫌な記憶しかないわ」
「どんな魔法なんですか?」
晴子が元気よく訊ねる。
「幻を見せる魔法よ。敵を味方に見せたり、味方を敵に見せたり。廃屋を立派な屋敷に見せたり、崖を地面が続いているように見せたり、派手さはないけど陰湿でやっかいな魔法ね」
「それは嫌ですね。 魔女様はその陰湿な魔法が得意なんですか」
「言い方に気を付けて欲しいな!幻惑は闘いを避けるための魔法なんだ。うちの魔物たちは好戦的なのが多かったんだけど、闘えばどうしても被害が出てしまう。それを減らすためには人間に出会わなければ良い。その為に使っていたんだ」
「そういえば、ゲームやアニメでは、味方を惑わせる魔法を使ってくる魔物って定番ですね」
「うちの魔物はできるのがいなかったから、私が使っていたんだ」
「そういう魔法を使う敵って、だいたい悲惨な死に方をしますよね」
「魔女様を殺すな!」
明子が猛然と抗議するが、晴子は平気な顔で全然違う質問をする。
「その魔法を使ったら、箱の中の猫はどうなりますかね?」
「箱の中の猫?」
晴子の唐突な質問を輝夜が繰り返す。直後、激しく続いていた打鍵が止まって「終わったで~」とのんびりした報告があり、加えて予鈴が鳴った。
「頑張ったご褒美です」
そう言って乙輪が出水の頭にかぶせたのは、猫耳のカチューシャだった。
「かわいい~」
双子がステレオで萌えあがる。
「ちょ、写真撮らせてください」
「にゃ~って鳴いてください」
「にゃ~、ってなんなん?私なにを付けられたん? それ動画?動画は堪忍して~」
乙輪は三人の様子を見てゲラゲラと笑った。
「予鈴がなったんだから早く行きなさい」
「幻惑の魔法で出席しているように見せてくださいよ」
「そんなのダメだ。ほら、乙も笑ってないで立って」
輝夜に追い立てられて、四人ははしゃぎながら部屋から出た。
部屋には魔女と、出水が外していった猫耳のカチューシャが実験台の上に残された。
輝夜はそれを手に取り、目の前まで持ってきてじっと見る。科学準備室の両側の壁は実験器具などが収められたガラス戸の棚で覆われている。ガラス戸に映る自分の姿を見ようとしたとき、にやにやした顔で室内を覗き込んでいる乙輪に気が付いた。
「こんなもの、どうして持ってるんだ!」
輝夜は顔を真っ赤にしながら入口まで早足で歩き、乙輪の胸にカチューシャを押し付けた。
「昨日カラオケに行ったとき、付けたまま帰っちゃったの」
「付けたまま帰ったって……、この泥棒ネコめ!」
乙輪はなじられながらもニヤニヤしたまま、臆面もなくカチューシャを頭に付けた。
「にゃーん」
かわいらしい鳴き声が無人の廊下に響いた。
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