第3話 魔女の淹れるコーヒーは苦い


桃陰高校の朝。聖女の巡礼を終えた無悪乙輪と、その従者を自称する安倍晴子は、科学準備室の前に立つ。晴子はドアを叩き、返事を待たずに開けた。

「勝手に開けるなって!さっさと覚えろ、このボケ!」

晴子の双子の妹 明子が、物凄い剣幕で飛び出してくる。

「覚える必要のないことは覚えねえんだよ。開けられたくなければ鍵掛けとけ!」

「私に鍵の権限なんかないよ」

「じゃあ権限ある人に頼めよ、バカ!」

「ああん、お前どこ中だ!?」

「バカは同中だってことも覚えてねえのか!」

「はい、終わり!」


乙輪はじゃれ合う双子を脇に押しやり、部屋に入る。

「おはよ」

 ガタガタと丸椅子を鳴らしながら、実験台の前に座る。

「おはよう」

部屋の奥に陣取る丘上輝夜はコーヒーを差し出す。乙輪は一口飲んで「にがっ」と舌を出し、身を乗り出して訊く。

「体育館前の自動販売機、見た?」

「最近は使っていないな」

 校内に自動販売機は三台。体育や部活終わりの生徒が利用するし、学食が近いことから、体育館前のものが一番人気だ。


 科学準備室を根城としている輝夜は、この部屋から一番近い、校舎の四階に設置されている自動販売機を使用することが多い。さらにこの部屋には冷蔵庫があるのでストックも可能だ。


「珍しい飲み物でも入ったのかい?」

「逆よ!ついに消えたの!紅茶キノコスパークリング ローズヒップ味!」

「ああ。パッケージが毒々しくて、見るからにやばかったやつだね。ボクはとても飲む気がしなかったけど、あれって美味しかったのかい?」

「飲んだことないわ!あんなゲテモノに、私の僅かしかないチャレンジ精神は全く動かなかったわ」

「だったら何を残念がっているんだい?」

乙輪は腕を組み、ふんぞり返りる。

「どんな人があれを買うのか知りたかったの。いや、興味半分面白半分、ネタとして買う人がいるのは知っているし見たことはある。みんなゲロゲロと吐いていたから、そういう味だったんでしょ。でも、自動販売機に入ってるってことは、あれを美味しい!好き!って買い続けている人がいるはずで、それはどんな人か知りたくて、ずっと観察していたの。なのになのに、私がその味覚障碍者を特定する前に、ジュースが消えちゃったの!」

乙輪は熱弁をふるい、コーヒーをすすって顔をしかめる。

「飲んだこともないのに味覚障害と決めつけるのは横暴だろ」

輝夜は薄く笑う。

「美味しいと思う?」

「想像は自由だけど、科学はすべからく実証しなければならない。乙が言ったように自動販売機に入った、市販されたってことは、誰かが美味しいって思ったんだ。少なくともメーカーの人は売れるって思ったんだ。美味しいかどうかは実際に飲んで確かめないといけない。成分を分析すれば数値化することも可能かもしれない。ただしそれを実証しようにも、ジュースがなくなってしまったのなら不可能だ。残念」

 輝夜は困った顔を装うが、面白がっているのがバレバレだ。

「あそこ以外で売っているのを見たことないしなぁ。ある?ないよね。どこから仕入れたんだろ?そもそも自動販売機のジュースって誰が決めてるの?」

「生徒会だよ」

輝夜の即答に、乙輪は目を丸くする。

「なんで知ってるの?」

「そりゃ、ボクが飲みたいものを入れてもらうために調べたんだ」

「ずるい!私も入れて欲しいのがあるんだけど!」

「頑張って生徒会と交渉して」

「えー、あの暑苦しい生徒会長と話したくないんだけど。それぐらいならコンビニで買ってくる」

「はい!いつでも買ってきます」

 晴子がランと目を輝かせて、駆けだしそうなポーズを取る。

「止めて。使い走りにしてると思われるから」

「聖女様のためならいつでも走ります」

「だぁかぁらぁ……」


「聖女様は、あちらの世界ではこっちの世界より美味しいものを飲んでたんですか?」

明子が小さく手を上げながら口を挟んできた。

「そんなの、こっちの方が全然美味しいよ」

乙輪はぶんぶんと首を振る。

「前世の生活レベルは、この世界で言えば中世ぐらい。まずは調味料がとっても貴重だし、種類も多くないわ。キレイな水が豊富じゃない。果物も品種改良されていないからあんまり甘くない。私は聖女だったから最高級のものを飲ませてもらっていたけど、それでも、自動販売機で売っているものの方が圧倒的に美味しいよ」

 ふっと遠い目をする。

「それでも神殿にいる間はまだ美味しいものが飲めたなぁ。魔王を倒す旅に出た時には、まともな水を確保するのも大変だった。あの時、荒れ果てた村で出された得体のしれない飲み物のことを考えれば、紅茶キノコスパークリング ローズヒップ味の方がましかもしれない……」

「それって、村人は必死の思いで出してくれたんじゃないの?」

「いや分かってる、分かってるよ。その時はありがたくいただいたよ。でも、正直言って酷かった……」

 話している間に記憶が蘇り、胃の方から逆流してくるものを感じて口を押えた。

「輝夜様の世界も同じですか?」

「そうだな。この世界の飲み物の方が圧倒的に美味しい。それにボクは、聖女様みたいに最上級のものを飲んでなかったし」

「あんた、一国の王だったんでしょ」

「王と言っても魔族の王だから。彼らの味覚は人間のものとは違う。料理なんて概念もなかった。魔族にとって最上級でも、あまり美味しいとは思わなかったな。もっとも出身が貧乏だったから、最上級の飲み物とか望まなかったけどね」

 輝夜は少し空を睨んだ後に言葉を続けた。

「ボクの家は薬草売りだったんだ。ものごころがついた時には森の中でおばあさんと二人暮らしをしていた。その人も、本当のおばあさんかどうかは分からない。毎日森に入って薬草を摘んで、実を取ったり、いらない葉を切り捨てたり、乾かしたりの繰り返し。時折訪ねてくる行商人に薬草を売って、その代わりに食料品や日用品を買ってた。十二歳の時におばあさんが死んだけど、その後も一人でその暮らしを続けた。だって他の生き方を知らなかったからそうするしかなかったんだ」

「町に出たりはしなかったの」

「おばあさんが生きているときに何回か町に行ったけど、人が大勢いるところは恐怖でしかなかった。一人で薬草を摘んで加工をしている方が気が楽だった。それで、森の中に引きこもって薬草づくりに没頭している間に、色々とこだわるようになったんだ。薬草や実の大きさを均一にしたり、乾燥時間や設備を試して最適な条件を見つけ出したり、不純物をできるだけ取り去ったりね。そうしている間にボクの薬草は品質が良いって評判になって、色んな行商人が買いに来るようになって、そのうち医者が直々に見に来るようになった」

「すごいじゃない」

「ああ。自分の仕事が認められてとても嬉しかった。それまでは薬草がどんなふうに薬になって、どんな効能があるとかあまり知らなかったんだけど、医者に教えてもらえるようになった。そうなると自分でも薬を作ってみたくなって試行錯誤で作るようになったんだ。でも一人暮らしだから飲ませる相手がいない。自分で飲んで試すしかないんだけど、薬草から作った薬って本当にまずいんだ。あの頃飲んだ薬に比べれば、紅茶キノコスパークリング ローズヒップ味なんか全然ましだと思う。それで、次に考えたのが薬をおいしくすることはできないかってこと。煮たり焼いたりして薬の成分を抽出しながら雑味を省いて行ったり、乾燥した果物やはちみつを混ぜることで飲みやすい薬を作ったんだ」

「めちゃめちゃ良いことしてるじゃない!」

「うん、すごい評判になった。でも評判になりすぎてね、他の薬草摘みや医者に恨まれるようになったんだ。それでもちょっと嫌がらせを受けるぐらいなら良かったんだけど、どんどんエスカレートしていって、最後には魔女に仕立て上げられてしまって、ひどい迫害を受けたんだ。家も薬草も全部燃やされてしまった。もう少しで串刺しの刑になるところだった時、なんやかんやあって本当に魔女になって逃れることができたんだ」

「ひどい!」

乙輪は声を荒げる。

「うん、ひどい目にあった……って、なんで乙が泣くんだ?」

驚く輝夜の前で、乙輪はボロボロと涙をこぼす。

「だってひどいじゃない。悔しいじゃない。あんたはみんなのために頑張っていただけなのに、恨んで、全部壊すだなんてひどすぎる!」

「いやそんなんじゃないって……、ええー、晴子ちゃんも、明子まで泣くの?」

「泣くに決まってるじゃないですか~」

三人がわんわんと泣き始め、困っているところで予鈴が鳴った。

「ほらほら授業が始まるから泣き止んで」

輝夜が急かすと乙輪たちは声を上げるのを止め、手でごしごしと目をこすった。

「顔を洗って。魔女に泣かされたとか噂されたくない」

「そんなこと言わせません!」

「ちょっと待って」

乙輪は明子の顔の前に右手を差し出した。あっという間に目の周りの腫れが引く。続いて晴子の顔の前に手を差し出す。

実験台の端の流し台で涙の跡を洗った二人は「ありがとうございました」と言い残して、バタバタと部屋を出て行った。

「ふぅ」

顔を洗った乙輪は、タオルで水滴を抑えながら息をつき、輝夜を見た。

「あんたもけっこうハードな前世だったのね」

「そうだね。……でも、おかげで魔法が使えるようになった」

「魔法にそれだけの価値があったの?」

「あったさ」

輝夜は冷蔵庫から缶ジュースを取り出して乙輪に渡した。その毒々しいパッケージは―――

「紅茶キノコスパークリング ローズヒップ味!なんで!?」

「魔法のおかげ」

輝夜はにやりと笑って、驚いている乙輪の前を通り、扉へ急いだ。

「遅刻するよ」

「え?これはどうしたら良いの?」

「どうぞ飲んで」

「まずそうだから嫌よ」

真顔で言いながら乙輪は準備室から出てくる。

廊下を急ぎながら、輝夜は呆れた顔で乙輪を見る。

「せっかく出したのに。それに、いつもコーヒーもまずそうに飲んでいるじゃないか」

「コーヒーは、あんたが淹れてくれるから飲んでるのよ。まぁ、そういう意味ではこれも一緒か?」

乙輪は嫌そうに毒々しいパッケージを見る。

「じゃあ、今度皆で飲もう」

「私はイヤだ。まずそうだから」

「飲むの!」

「イヤだ」

じゃれ合う聖女と魔女は笑い声が、廊下に響いた。


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