第27話 ドン・キホーテ

 翌朝、武蔵は町外れの古びた屋敷に立ち寄っていた。


 表札には、奇妙な筆致でこう記されていた――


 「ドン・キホーテ流・撃剣道場」


 「……どこかで聞いたような名だな」


 門を叩くと、中から現れたのは、色褪せたマントに金の兜、槍のように長い竹刀を肩に担いだ老人だった。


 「ほほう……これはこれは、若き旅人よ。我が名はドン・キホーテ・オオエ門。夢のために剣を振るう者だ」


 その佇まいはまるで戯画のようで、どこまでが本気なのかわからない。


 「夢……ですか」


 「そう。人は夢を見て生きる。だがな、若造。現実に押しつぶされた夢ほど、鋭い剣はないのだよ」


 老人はゆっくり竹刀を抜いた。


 「おまえの剣が“技”を求めるのならば、拙者の剣は“信仰”を求める。試してみるか? 夢の重さを」


 ◆


 剣が交わったのは、その道場の土間だった。


 「おまえは“守るために斬る”と言ったな。それが正しいかどうか、この老いぼれが見極めてやろう」


 第一撃――重く、しかし狂気的な踏み込み。  第二撃――変則的な回転と跳躍を混ぜた突き。


 「こいつ……本気でやってるのか?」


 武蔵は木刀を構え、紙一重でその攻撃をいなした。


 「夢を笑うなよ、若造ッ!」


 「笑ってない!」


 武蔵の一撃が、老人の足元を払う――が、倒れたはずのドン・キホーテはそのまま地を転がって体勢を立て直し、逆手に竹刀を打ち込んできた。


 「何が信じられるか……答えは、おまえの中にある!」


 ――バチィン!


 木刀と竹刀が真っ向から激突し、衝撃で両者の腕がしびれる。


 しばし、沈黙。


 「……面白い。おまえの剣には、まだ“未完成”がある。だが、それが美しい」


 老人は静かに腰を下ろした。


 「夢を追え、武蔵。現実という怪物を斬れるのは、夢を忘れなかった剣士だけだ」


 その言葉が、武蔵の胸に奇妙に残った。



 道場を後にし、勝間の裏道を歩く武蔵の背後――


 黒いローブに身を包んだ女の影があった。


 「……二天一流の剣が、ここまで来たか。時代は、再び“剣”と“科学”の狭間へ落ちていくのね」


 芹沢小夜子は静かに呟き、古びた望遠レンズの奥で、武蔵の姿を見据えていた。


 「さあ、舞台は整ってきた。夢を守る者たちと、夢を解剖する者たち。どちらが人類の未来を導くのか、見せてちょうだい」


 そして、小夜子の背後には、新たな感染者のリスト。


 その一番上に記された名――橘 陽翔。


 静かに、戦いの幕がまた一つ、開こうとしていた。


 そして武蔵は、知らずにその渦へと歩みを進めていたのだった。




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