第18話 鬼門

 楓が次に足を運んだのは、播磨からさらに南東、深い山々に隠された地――鬼門峠きもんとうげ


 古くより、旅人が病み、隊商が消えると恐れられてきたその峠は、地図にもろくに記されず、人の記憶からも薄れつつある「鬼の棲む地」だった。


 だが楓は知っていた。この地には、“灯”の行方に繋がる何かがあると。


 「……本当に、来たのか。あの“火輪の楓”が」


 峠のふもとの茶屋跡。軋む板の奥に佇んでいたのは、風雪に晒されたような壮年の男。額に刺青のような痕を残し、背には大太刀――そして、その腰には甲冑の一部を移植した異形の装具が鈍く光っていた。


 「鬼門を越える者は、呪われるぞ」


 「越えるしかない。そこに誰かが囚われているなら」


 楓の眼差しは、まっすぐだった。風切は布で包まれ、背にしっかりと結ばれている。あくまで剣のように、心の奥底で構えていた。


 ◆ 


 峠の奥、岩と霧に包まれた獣道を進むと、空気が変わった。


 気温が下がり、風が逆巻くように押し返してくる。そして――


 > カラカラ……


 乾いた音。人の骨が、枝に吊るされていた。


 楓は静かに進む。やがて、小さな祠の前にたどり着いた。


 そこには、白装束を纏った子供が一人、祈るように座していた。


 「……あの子……!」


 “灯”の行方を追っていた楓の胸に、直感が走った。だが同時に、背後の気配が変わる。


 ――ズシンッ!


 地が揺れた。木々が弾け飛ぶ。現れたのは、甲冑に身を包み、顔に鬼面をかぶった異形の男。


 「鬼門守きもんもり」――この峠を守る、かつて武家に仕え、非業の死を遂げた者たちの末裔だという。


 「この子は“供物”。災いを封じるには、人の心が要る」


 「その心を“撃つ”ことはできるのか」


 楓は問い、自らに問う。


 “風切”を抜く。銃口を鬼面に向ける。


 だが引き金を引くその瞬間、楓は思い出す。あの隠者の言葉。


 > 「意志を伝えるとは、命を奪うことではない。命を赦す力だ」


 楓は銃口を逸らし、空へと撃った。


 雷鳴のような轟き。銃声は峠全体に響き渡り、霧を裂いた。


 「――その子は、私が守る」


 鬼面の男は動かない。ただ、仮面の奥の眼差しが、微かに揺れた。


 やがて男は刀を納めた。


 「……ならば、連れて行け。“鬼門”の重さを、背負う覚悟があるのなら」


 楓は黙って頷き、子供を抱き寄せる。


 冷えた小さな手が、楓の袖をぎゅっと握っていた。


 ◆ 


 峠を越え、朝日が差し込む谷へと出る。


 “灯”の一筋が、ようやく楓の前に戻ってきた。


 > “剣”で斬らず、“銃”で殺さず、  > ただ、心を照らすために。


 鬼門を越えた楓の歩みは、静かに、しかし確かに続いていく。


 新たな風が、彼女の道を開き始めていた――。



 

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