第7話 斬首

 その数日後――。


 楓は、美濃との国境に近い山村、**葦原あしはら**の地に足を運んでいた。


 かつて合戦場として血に染まり、今は忘れられたように風の音だけが通うその地に、一つの奇妙な噂が流れていた。


 「首なし武者が、村人を斬って回っている」


 夜ごと、首を刎ねられた者が発見される。剣の技は正確無比、斬首の跡には、まるで儀式のように花が手向けられているという。


 楓は、それが**“斬首派”**の仕業であると察した。


 かつて剣斬から分派した異端の集団――「斬ってこそ救い」と信じ、首を落とすことで“魂の業を断ち切る”とする、歪んだ教義の一派。


 ◆ 


 その夜。楓は、村の神社跡にて、斬首派の使徒と対峙した。


 名は笠松蓮二郎かさまつれんじろう。古き武家の末裔であり、死者五十名超を数える、異端の“聖断者”。


 白装束に身を包み、顔には能面。手には、異様なまでに細く研がれた打刀。


 「お前が、“武蔵の心”か。だが哀れだな。剣を持ちながら、斬ることから逃げるとは。救済とは、斬首によってのみ果たされる」


 「あなたの言う“救い”は、己の痛みから目を背ける方便にすぎません」


 蓮二郎の目が、能面の奥で冷たく細まった。


 「では、斬って証明しよう。救済か、欺瞞か――剣に問え」


 ◆ 


 ――瞬きのような一閃。


 蓮二郎の刃は、楓の頬をかすめ、木の幹を裂いた。風が鳴り、空気が悲鳴を上げる。


 「綺麗だろう? 斬首とは、命の中にある“無”を引き出す技術だ。俺は、命の静寂に取り憑かれたのだ」


 「それは技ではない。呪いです」


 楓は、静かに鞘から刀を引いた。


 白い光が走る。静寂を纏ったその剣――人を生かすために振るわれる“痛みを知る刃”。


 「ならば、その呪い、断ち切ってみよ!!」


 蓮二郎が突っ込む。地を滑るように、一太刀、二太刀――そのすべてを、楓は受け流し、寸での間合いに踏み込んだ。


 そして――


 ズ、と。


 能面が宙を舞った。


 その下にあった蓮二郎の目は、苦しげに開かれていた。刃は、頸を刎ねる寸前で止まっていた。


 「……斬らないのか……?」


 「斬首では、魂の重さには届かない。あなたが“誰かを斬る理由”を失ったとき、あなたはやっと、生きる意味を探せる」


 ◆ 


 蓮二郎は、縄で縛られ、村の者たちに引き渡された。


 神社跡には、楓が手向けた白い花がひとつ、月光を浴びて咲いていた。


 その花の名は――“無患子むくろじ”。


 “病なき子を願う実”を持つ、命の花。


 ◆ 


 山を越え、夜道を歩く楓の背に、風が吹く。


 彼女は、懐からもう一枚の札を取り出した。


 そこには、かつて斬首派の祖が残した言葉が墨で記されていた。


 《首を落とせば、すべて無となる――》


 楓は、その札を火にくべた。


 「命は、無にはならない。痛みも、哀しみも、残る。だからこそ、背負って生きるのです」


 炎が燃え、夜が静かに明けていく。


 “斬らずして救う”剣――武蔵の心。


 それは今日も、闇の中に、たしかな光を灯していた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る