2人との邂逅(レオフリート視点)
魔王城で迎えた朝は、無情なほどに明るかった。
客間の窓から差し込む光が白く壁を照らし、私は思わず顔をしかめた。ルイスから、マリアンヌが夜が明けても戻っていなかったことを知らされたのだ。
「・・・まさか、城外に?」
いや、それは考えにくい。この城は物理的にも魔術的にも防御に優れ、封鎖に近い。何より、無断で出る理由がない。
急ぎ身支度を整えた私は、部屋の外に控えていた騎士に宰相を呼ばせた。
現れた宰相は、昨日と同じように柔和な微笑を浮かべている。まるで、何事もなかったかのように。
「おはようございます、王太子殿下。朝食のご用意を―」
「マリアンヌ嬢がいない。昨晩部屋を出たきり、姿が見えないのだ。どこに行ったか、知っているのか?」
言葉を待たずに食い入るように問うと、宰相は少しだけ緑の目を細めた。
「聖女殿の所在につきましては、私どもも調査中です。ですが現時点で、ご報告できることはありません」
「信じられない・・・陛下に、お目通りは可能か?」
声に棘が混じった。だが宰相は驚くことも苛立つこともなく、ただ静かに応じた。
「ご心配はもっともです。ですが、陛下は現在執務にお戻りです。お取り次ぎは叶いません」
「だからって、こちらの主賓の一人が失踪しているのに、無視とは・・・!」
不安から、抑えきれぬ苛立ちが漏れる。宰相は軽く目を伏せて、深く一礼した。
「陛下は決して、主賓の皆様を軽んじたりはしておりません。その証拠に、王太子殿下へ城内捜索の許可を特別に頂いております」
見せられた書簡は、ほのかにインクの香りがする。発語は同じながらも、この国の文字は習うことができずに読めないが、達筆な字で刻まれているのがきっと彼の名なのだろう。
緊張を解く。私は素直に感謝を述べた。
「それは、ありがたい」
「ただし、私室及び3階以上の立ち入りは情報統括の観点より禁止、と申し付けられております。昨晩は迷う者を防ぐために全ての階段に近衛を配置しておりましたし、異常は報告されていません」
「そう、か・・・」
「また、城内に詳しい近衛2名を、案内役としてお付けします。どうぞご活用ください」
それは、暗にこちらを『信頼していない』という意思表示だった。もしかしたら、彼らも彼女の失踪には無関係で、こちらの方が共犯だと思われているのかもしれない。
―互いに、無関係である証拠を示せない今。条件を飲み込むしかない。
「陛下のお心遣い、感謝申し上げる」
「一刻も早い聖女殿との再会、お祈り申し上げます」
私は、朝食もそこそこに護衛のカールとともに黒き軍服に身を包んだ近衛兵たちを伴い、広大な城内の捜索に乗り出した。他の者たちは部屋待機とし、彼女が戻ってきた時に備えてもらうこととした。
△▼△
2日後。マリアンヌの姿は、どこにもなかった。
応接間、書庫、回廊、厨房、使用人部屋、すべてを捜しても、侍女も、見回りの衛兵すら彼女の姿を見た者はいないという。
「・・・おかしい」
徐々に、焦燥が膨らんでいく。
見た目には整然としたままの城だったが、なにかが隠されている気がしていた。秘密を手品のように、都合よく覆い隠す何かが。
ふと、今いる2階の窓から視線が庭へと向いた。シンプルながら整えられた花壇の奥、古い石垣の向こうに妙な空気の澱みが見えたのだ。風魔法を宿す私は、そういったものに聡い。
ある区画だけ植物が不自然に繁っていて、風がそこだけ流れていないように感じる。
「ちょっと、見てくる」
私は小声でカールに伝えると、ゆっくりと窓辺へ近づいた。
「殿下、どちらへ?」
カールがすぐに後を追おうとしたが、その手前で私は風の魔力を編み上げる。
防音と速度強化。風のヴェールが一瞬で全身を包み込み、次の瞬間には、開いた窓から外へ出て風のごとく宙を駆け抜けた。
「――っ!」
カールも、近衛も。瞬時のうちに私を見失っていた。
△▼△
石垣の向こう側。風が通らない原因は、隠蔽魔法だった。外からの目を逸らすように編まれた魔法の帳が、一角を包んでいるのだ。
「姿を、表せ!」
強風に背を押されるままそのまま突っ切れば、ただの草原にしか見えなかったそこには突如として温室が現れた。
「っと・・・」
慌てて風をコントロールし、何とか衝突を避ける。
降り立ち、観察する。目の前の温室はかなり大きかった。全面ガラス張りだが、ところどころが磨りガラスのような半透明の壁になっていて、青い蔓が絡みついている。最上位には風見鶏よろしく、カラスが1羽とまっていた。
右手に進んで見えた入口の扉には、封のように緻密な魔法陣が刻まれており、ただの温室には思えなかった。
「ふむ」
近づくと風の流れがここだけ重く、しっかりと管理されていることに気づく。誰かの気配が、そこにある。
目を細めて、辺りを伺う。ガラス越し、背の高いヤツデの葉の隙間からわずかに見えた銀の光に目を見開いた。
「あれは・・・!」
風にそよぐその髪は、まるで月光をそのまま糸にしたかのようだった。あまりに自然で、神聖で、呼吸が止まりそうになるほどの光景。
―確信した。あれが、魔王の隠していた秘密だ。
今までの違和感がすべて繋がった。やはり、マリアンヌではなかったのだ。自分が長らく探していた存在は、あの光だ!
温室の入口に向かって踏み出した、その瞬間。
「下がっていただこう」
低く鋭い声と共に、背後から影が走った。振り向いた瞬間、淡い金髪と氷のような蒼瞳を持つ男が、剣ではなく腕をもって私に組みついてくる。
「邪魔をするな!」
指先に風を纏い、男の身体を押し返そうと魔法を発動した。だが、相手は冷静で素早かった。風の軌道を予見したかのように身をずらし、背を押し倒す。
草の上にうつ伏せにされ、腕をひねられた。ガッチリと固定されて動けない。夜露に濡れた服が重く感じる。
「この先は、王の私室。許可ある者しか踏み入ってはならない場だ」
男は従僕の装束に身を包んでいたが、身のこなし、瞳に宿る殺気はただの護衛ではない。
だが、諦められない。私は歯を食いしばりながらも叫んだ。
「離せ! あの方は・・・あの銀の髪の―!」
そのときだった。柔らかい足音と、震える声が響いた。
「アル様・・・!」
振り向いた男の視線の先。温室の扉から現れたのは、まさしく長年追い求めていた光そのものだった。
銀の髪を揺らしながら、温室の入り口を塞ぐように立っていた魔王に抱きしめられる。そのまま、羽織っていた外套の中にその身をすっぽりと覆い隠された。
その際、彼の手つきは終始優しく、まるで宝物を抱くかように扱っている。マントの下に向ける視線も、公的なものとは異なる。
しかし、引き倒されたままの私が見ることができたのは・・・風に靡く銀の髪だけ。
彼女の顔も、瞳の色も見えなかった。性別は、聞こえた声で判断したに過ぎない。
「っ・・・執務中なので、このままで」
「はい、駆け寄ってしまって・・・すみません」
いいえ、と魔王は言葉少なに首を振る。心底彼女を構えないことを惜しく思っているかのように。
すいと、腕を取られたまま背後の男に立たされた私に視線が向く。漆黒の瞳に宿るのは、謁見の際に見た彼となんら変わらぬ、理性ある為政者のそれだった。
「案内の者がはぐれたと慌てていたぞ。ここは私室だ。お引き取りいただこう」
魔王の声に、怒りも嘲りもなかった。あるのは、冬の朝に冷えきった空気のような冷静さのみ。
だが、相手が立場を崩さないのであれば。こちらも安易に諦めるつもりはない。
「彼女は・・・人間、だな」
王国では10年ほど前に明らかになった事実だが、聖魔法は銀髪に宿る。
彼女は、魔族では絶対にない。
確信を持って私は言った。だが、魔王は微笑みさえせず無言を貫いている。
息を飲む。否定しないのなら揺さぶるまで。今、魔王がひた隠しにした彼女こそが聖女である確証を得なくては。
「失礼、ご令嬢・・・急に声をかけて、驚かせてしまいすまない。私の探していた人と、髪色がよく似ていたんだ」
返事はない。でも聞いている。私の耳には彼女の息遣いが聞こえるかのようだ。
興奮を抑え、言葉を継ぐ。
「私は、貴女から話を聞きたい。王国の王太子として、真の聖女を国へ迎えたいだけだ・・・正しく、陽の当たる場所に!」
「・・・失礼ながら、お尋ねします」
叫んだそのとき。魔王の胸元から、小さな声が響いた。
その瞬間、魔王は崩れた表情を隠しもしなかったが、彼女をその場から連れ去ることも口を塞ぐこともしなかった。ただ、マントの下で腕の力を強めただけだ。
対して、私は一寸の光が差した思いだった。彼女の姿が見られるのであれば、気が引けるのならばどんなことでも答える心算だった。
「ああ、なんでも聞いてくれ! 要望はできる限り叶えよう」
貴女と、運命的な出会いをし。私の国に。私の隣に!
「・・・私の名前を、ご存知ですか?」
時が、止まった。風さえも息を潜めて、草の囁きが消える。
年若い、震えた声だった。だが、それは確かに彼女の口から私に向けて発された問いだったのに。
名前・・・知らない。
この場で、彼女の名前を口にすることはできなかった。魔王が公にしていないのもあったが、それ以上に、彼女のことを何一つ知らなかったのだと突きつけられる。
今目の前にいる、魔王の腕に抱き締められている少女は。王国の絵本に描かれたような聖女ではない。教会の、都合の良い象徴でもない。
・・・今もなお、震えながらも自分の足で立っている、確かな意思と感情を持った1人の女性だったのに。
長い沈黙をもって、一陣の風が吹いた。
「呼んで、頂けないのであれば・・・申し訳ありませんが、お話できることはありません」
彼女が続けた言葉は、突然話しかけてきた見知らぬ男に対して最大限礼を尽くしている。
しかし、砕けたガラスが突き刺さるように、私の心を深く抉った。
言葉を返すこともできない。抵抗を諦め、力なく俯く。
「ツヴァイ。お連れしなさい」
「はっ」
主君の命に従い、男がその場を離れるために方向転換する。さきほどまでの鋭い敵意はない。だが、それがかえって深く突き放されるように感じた。
ずいぶん進んだ先、腕を放された私が再び背後の方を振り返ったとき。そこにはもう、魔王も少女も姿はなかった。
残されたのは、風にそよぐ草と、ひとつの決定的な事実だけ。
―彼女は、もう決して手の届かない場所にいる。
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