第9話「まどか無き、無秩序毒島」

 朝の四課。コピー機の音と電話のベルが、やけに軽やかに響いていた。

 課長が席に立ち、紙を一枚掲げる。


「沢村はインフルだ。しばらく出勤停止。──で、今日から梶原、お前が毒島と組め」


「……えっ!? 僕ですか!?」

 新人刑事・梶原は青ざめた。周囲の先輩刑事たちが、同情とも面白がりともつかぬ視線を送ってくる。


「安心しろ。もう毒島は復帰してる」

「むしろ安心できないです!」


 そこへマスク姿の毒島 翼が、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。机に肘をつき、低い声で告白する。


「……梶原君。俺は昨日、やむなく犯罪幇助をしてしまった者の気持ちがわかった」


「──は?」


「診断書だ……。あれを受け取った瞬間、俺は虚偽診断書等作成罪の片棒を担いでしまった……!」


「インフルの診断を受けただけでは!?」


「だが俺は知ってしまった。幇助者の痛みを……罪悪感の熱で、夜はうなされた……」


 梶原は頭を抱えた。

(……やっぱり無理ですー!)


 課長が咳払いをして、事件資料を机に叩きつける。


「昨夜、区内の駐車場で発砲事件だ。怪我人なし。暴力団同士のトラブルの可能性がある。お前たちで現場を確認してこい」


「了解!」と梶原が反射的に返事した瞬間、横の毒島が静かに呟いた。


「……銃声とは、人間の心に空いた穴の残響だ……」


「……もういいです、行きましょう!」


* * *


 夜明けの湿気がまだ残る駐車場。白いチョークで囲まれた弾痕、落ちている薬きょう。黄色い規制線が風に揺れていた。


「おお……これは“無言の会話”だな」

「いや、会話って、誰とです?」


 毒島はしゃがみ込み、壁の穴をじっと見つめる。

「この角度……弾丸は西から東へ。つまり撃ったのは“日の沈む人間”だ」


「……やはり暴力団関係でしょうかね」


 さらに薬きょうを手に取り、掌に並べる。

「この配列……モールス信号に似ている。N・O・M・O・R・E……映画泥棒か……」


「……海外の犯罪グループ、ですかね(もう合わせとこう)」


 毒島は次に、壁の弾痕を指でなぞりながら言った。

「見ろ、この形……数字の“9”に似ている。つまり、犯人は“第九番目の男”だ」


「……九番目って、誰ですか」

(自分でも聞いてて意味わかんない……)


 通行人が不安げに覗き込み、「この人、本当に刑事さんですか……?」と囁く。

 梶原はひたすら「すみません!すみません!」と頭を下げ続けた。


* * *


 その後の聞き込みも梶原の舵取りはうまくいかず混沌を極める。


 毒島:「昨夜、銃声を聞いたはずです。あなたの心の奥で」

 魚屋の主人:「聞いたのはテレビの時代劇ですけど……」

 毒島:「つまり、これは“情報の時代錯誤”……犯人は高齢者かもしれん」

 梶原:「……はいはい、そういうことにしときましょう……」


 ──やがて、駐車場の管理人がぽつりと口にした。

「銃声は聞いたけど、撃った連中はすぐ車で逃げちまって……。警察が来た時には何も残ってなかったんだ」


 つまり事件の大枠は、もうとっくに把握されている。

 だが毒島は、壁の弾痕を撫でながら、なおも呟く。


「……梶原君。弾丸は消えても、心に残る衝撃波は消えない……」


「……そうですね(もう好きに言ってください……)」


* * *


 夕方の会議室。

 他課の捜査で、発砲は暴力団の内輪揉めと判明、加害者グループも特定済み。


「……で、毒島と梶原は何をしてきたんだ?」課長が問う。


 毒島は椅子に深く腰掛け、窓の外を見つめた。

「銃声が告げるのは、火薬の破裂音ではない。正論という秩序の不在だ……」


「はあ?」


 梶原は机に突っ伏し、絞り出すように言った。

「課長……無理です、自分には荷が重すぎました……。沢村さんがいないと、本当に無理です……」


「沢村には悪いが、俺もそう思う」課長が即答した。


 毒島はひとり満足げに笑みを浮かべた。

「……だが、まどか君という“抗体”の存在が浮かび上がった。ツッコミとは秩序。失って初めて、その尊さに気づく……つまり、これもまた“事件解決”だ」


「「解決じゃない!!」」


 ──その絶叫だけが、署内に響いた。

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