第6話「組織犯罪とナスに因果関係はありません」
朝の八百屋──ナス、キュウリ、ピーマンが整然と並ぶ棚。その一角に、“それ”はあった。
毒島 翼(ぶすじま つばさ)は、紫のビニール袋をぶら下げながら登場した。
「……やはり、ナスだったか」
登場一言目から意味不明である。
「朝っぱらから野菜で推理しないでください」
隣で既に諦めの色を宿したまどかが呟く。
八百屋の老婆が、おずおずと差し出したのは、古びた茶封筒。
「さっき見たら……これが、棚に……」
毒島は封筒を受け取り、中を確認。
中には100円玉が一枚と、紫色のナスのイラストシールが一枚。
「……来たな」
「だから、何が来たんですか」
「見たまえ、この静寂。何も起きていない──それが、何かが起きている証拠だ」
「もう何言ってるか本人も分かってませんよね」
毒島はナスの棚に歩み寄り、その並びを見つめる。
「……この配置、整然に見せかけて右端だけが微妙に浮いている。誰かの意思が……いや、メッセージ性が滲んでいる」
「毎朝パートの主婦さんが補充してるだけです」
毒島は真顔で振り返る。
「ナス──それは夜の牙。紫に染まった沈黙の獣。“暴力団”の隠語として用いられた記録は……あるような、なかったような……」
「ないです」
そのとき、商店街の通りを若い警官が駆けてきた。
「毒島さん、豆腐屋さんと魚屋さんからも似たような封筒が──!」
「……ふむ、来たか。これで三点目だ。連続性、地理的分散、黙秘の共通性──これはもう、“沈黙による支配構造”と見るべきだろう」
「見るべきじゃないです」
毒島は静かに空を見上げた。
「空がこんなにも青い朝に、事件が起きないなどと、誰が決めた?」
「気象庁です」
──こうして、“何も起きてないのに起きている気がしている”朝が、勝手に幕を開けた。
* * *
毒島とまどかは、次なる“証拠”を求めて商店街を歩いた。
「豆腐屋です。今朝、封筒が──」
店主が差し出したのは、300円と「23→18→9」と書かれたメモ。
「……暗号か。これは……逆算の心理……いや、転落の象徴だな」
「数字の順番が下がってるだけです」
続いて魚屋。
「これが……なんか、入ってて……」
500円と、ニンジンのイラスト。
「野菜で統一……つまり、何かの“五行思想”か?あるいは──“食卓による支配理論”か……」
「やめてください、野菜に神秘性と陰謀を同時に盛るのは」
さらに八百屋から提出されたスタンプカードには、「2コ1」の文字と謎のハンコ。
「2コ1──これは裏社会で“ペアで動く下っ端”を指す隠語だ。俺の記憶が正しければ……あるような、なかったような……」
「記憶に“あるような”段階で断定しないでください」
まどかは資料をメモしながら、ふと呟いた。
「でも、全部“手書き”で“雑に封筒”ってのは……正直、子供の工作っぽいですよね」
「いや。逆にそれが、“プロの手口”かもしれん。“素人を装う”のは、プロの常套手段だ」
「今日もまた、“言葉だけ令和の陰謀論”ですね。思考の熱量はゼロ、語彙だけやたら煮詰まってます」
毒島は立ち止まり、封筒たちを地面に並べた。
「南北に封筒が集中している……これは風ではない。地磁気か?いや、未練による空間のひずみ……?」
「……地磁気はまあわかりますけど、“未練”って。ナスが何に後悔してるんですか」
署に戻った毒島は、机に顔を突っ伏したかと思うと、突然ガバッと起き上がる。
「まどか君、これは……“予備集金行動”に酷似している!」
「その言葉、ネットで検索したらヒット0件でしたよ」
「裏社会には、ネットに載らない常識がある」
「その理屈、マルチ商法の勧誘セリフNo.2ですね」
そのとき、新人の梶原がふらっと通りかかる。
「毒島さん、今朝のお茶会のチラシ……あれにスタンプカードの話も出てましたけど……?」
毒島とまどかの目が合った。
「……それも計算のうちか……」
まどかが静かに近寄り、毒島の肩をぽんと叩いた。
「毒島さん。現実と向き合う気、まったくないですよね」
毒島は震える手でチラシを取り出す。
そこには――
《ありがとうキャンペーン!地元の味を楽しんでスタンプを集めよう★》
《2コ買えば1スタンプ!特典はお茶会ご招待&野菜シール》
沈黙。
「…………これは……“善意を装った思想統制”か」
「その理屈が通るなら、朝のラジオ体操も思想統制です」
* * *
その日の午後、捜査四課に一組の来訪者が現れた。
パステルカラーの手提げバッグに、控えめなブローチを胸元に付けた中年女性──
「どうもぉ〜、婦人会の者です〜」
所内の空気が一瞬止まる。
毒島が椅子から跳ねるように立ち上がった。
「来たか……ついに“本体”が……!」
「いや、誰ですか」
婦人会の代表とおぼしき女性が、ゆったりと語り始める。
「実はですねぇ、最近若い方たちがなかなか商店街に来てくれなくて……それで“ありがとうキャンペーン”を始めたんですよ」
「封筒に……野菜のシール……“感謝”を偽装した圧力文書……!」
「ええ♪ 手作りです。お買い物された方に感謝の気持ちとして……それと、地元のお茶会の案内も兼ねていて……」
まどかが書類を握りしめたまま硬直している横で、毒島が小さく呻いた。
「……まさか……ここまで巧妙に“善意”を武器にするとは……“第三勢力”か……」
「いいえ、婦人会です」
さらに、もう一人の婦人会メンバーが補足する。
「うちの孫がねぇ、“謎解き風にしたら今どきっぽくていい”って、数字の暗号とか作ってくれたの」
「23→18→9……ッ! まさか、世代を超えて構築された“非公開コード体系”……!」
「たぶん、夏休みの自由研究でね〜。“謎解き商店街”とか言って楽しんでましたよ」
「しかも役割分担まで決めてて……“ナス担当”“もち担当”ってちゃんと係もあるんです」
毒島の口元が震える。
「子供……いや、“子供を装った偽装機関”の可能性も……」
「可能性ゼロです」
まどかは完全に顔を伏せた。
「これ、どこからどう見ても優しさ100%の平和な町内イベントですからね……」
婦人会代表はにこやかにパンフレットを差し出す。
「ちなみに来週は“ありがとう餅つき大会”です。よかったら署の皆さんもぜひ」
毒島がパンフレットを凝視した。
「もち……“蒸され叩かれ、なお無言”……それはまさに、“圧力と沈黙の象徴”……」
「はい、もう二度と“餅”で事件を構築しないでください」
* * *
その日の夕方。
毒島は署内の自席で静かに腕を組んでいた。窓の外には茜色の空。デスクの上には、“ありがとう餅つき大会”のパンフレットと、どこかで見た気がするナスのシール。
まどかが帰り支度をしながら、ちらりと毒島を見る。
「……まだ考えてるんですか」
「“考える”のではない。“感じる”のだ」
「いや、ここまで来たら考えてください」
毒島はパンフレットを持ち上げ、じっと眺めた。
「まどか君……事件とは、解決するためにあると思っていないか?」
「違うんですか?」
「事件とは、“感じ取るもの”だ。ナスの並び、数字の羅列、シールの材質、そして──もち。」
「それ、今日だけで構成された意味ゼロの世界観ですよ」
毒島は満足そうに頷いた。
「“何もわからない”という状態は、“何かが潜んでいる”という証拠だ。
つまり我々は、きっと今日も何かに近づいた」
「むしろ遠ざかってます」
そのとき、通りかかった新人・梶原が手を振る。
「毒島さん、お疲れっす。明日、婦人会の方たち、署内見学来るそうですよ〜」
毒島は小さくうなずいた。
「……来たか。今度こそ“真意”を問う時が来たようだな」
「やめてください。イベント参加者に“真意”とか訊かないでください」
毒島は窓の外を見ながら、呟いた。
「……感謝とは、誰かの“思惑”を包み隠す包装紙なのかもしれないな……」
「ラッピングしてるの、優しさだけですよ」
こうして、また一日が過ぎた。
何も起きず、誰も傷つかず、事件は最初から存在しなかった。
──だが、毒島だけは確信していた。
今日の“沈黙”の奥に、何かがあったのだと。
「まどか君……次は“ご当地せんべい感謝祭”らしい」
「もう黙ってください!喋ったら割りますよ」
(つづく)
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