第2話「僻みきったゲンジツ世界」


 


 夢の中でまたあの光景が映る。




 残酷な血の匂いと暴走する自動車。大好きだったあの人の、悲惨な最期の光景だ。




__________________________________________________




 夢の中、大きな金属にその影が吸い込まれるのを防ごうと、急いで駆け寄って手を伸ばした。




 が、掴む前にそれはぐちゃりと沈んだ。




 潰れた果物の甘い匂いが漂う。倒れる女性に駆け寄る妹。




 その姿は紛れもなく俺の母親であった。




 右手に異様な力が入って皮膚に爪が食い込み、ポタポタと血が滴り落ちる。




 視界の隅で聞こえるモーターの駆動音と踏切の金切り声。




 全てが次第に大きくなって立ちすくむ俺の耳を壊す。金属の寂れたツンとした匂いが鼻腔をくすぐる。




 目の前で血を吐いて倒れた母は、ぐったりとしてぴくりとも動かない。




 嘆きか絶叫か自分でもわからないような声で「お母さん!」と叫ぶ妹。




 果物の入ったビニール袋は手のひらから離れて、この指は何も掴んでいない。空をきっていた。




 妹が肩をさする振動も、俺の視線も、彼女には届かない。




 数分前まで妹と楽しそうに会話していた彼女は、俺の母親は。




 …すでに死んでいた。




 __________________________________________________




 現実に引き戻される感覚。果物を潰した懐かしい香りが俺をここに戻す。




 ゆらゆらと青白く光る電灯が視界に映った。




 またあの夢を見たようだ。身体中が汗でびっしょり濡れている。




 ガタガタと床が揺れ蛍光灯は左右に揺れた。近くの高速道路を走行するトラックのせいだろう。




 ガソリンのツンとした匂いが鼻を突き刺す。布団からヨボヨボの老犬のようにゆっくりと這い出て、うとうと船を漕ぎながら部屋を出た。




 ポタポタと水滴が滴り落ちる律動的な音が聞こえる。蛇口の栓を閉め忘れたのだろうか。




 埃を被った紺色の座椅子に、割れた液晶テレビ。過去の断片を横切って、分厚い藍色の遮光カーテンで閉ざされたすりガラスの窓へと向かう。




 ジリリリと音を立てて開かれたカーテンの奥、すりガラスの窓を勢いよく開いた。




 そこには見えるは、澄み切った高い空で燦々と輝く太陽の光。




 ギギギと数多の自動車が通り抜ける高速道路を照射している。




 眼下には、はしゃぎ回る小学生はなく、トボトボ歩く小学生達に、俯いて通勤するスーツを羽織る成人男性。




 世界は確かにそこにあるのに、何かが失われてしまったように変革していた。


 


 捨ててはけない思いを消失した、ガソリン臭い黒煙が立ちこむ灰色の都市街。




 太陽が照らすその街には光が灯っていなかった。




 


 




 


 




 




 




 




 


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る