『ロイヤル・ローズの恋歌(アリア)』〜乙女ゲーは恐ろしい!〜
漣
第1話 伯爵令嬢の憂鬱
朝の光が柔らかなレースのカーテンを透かして、豪華な天蓋付きのベッドを照らしている。目を覚ました私——いや、俺は、ゆっくりと身体を起こした。
(うわあ、また夢かと思ったけど...やっぱり現実やん)
鏡台に映る姿は、間違いなく栗色の髪を持つ美しい少女のものだった。エミリア・ハミルトン。妹がプレイしていた乙女ゲーム『ロイヤル・ローズの恋歌』に登場する、主人公の親友キャラクター。
(織月悠人、男子高校生、17歳。趣味はゲームと漫画。特技は...えーっと、特にない。そんな俺が、なんで乙女ゲームのキャラになってんねん)
昨日——いや、あの夜の記憶が蘇る。妹の怒号、土下座での謝罪、そして謎の呪い。気がつくとこの世界にいた。
「お嬢様、おはようございます」
メイドのマリアが部屋に入ってきた。中年の女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべている。ゲームでは脇役中の脇役だったが、実際に目の前にいると、なんだか親しみやすそうな人だった。
「おはようございます、マリア」
自然に出てくる丁寧な口調に、俺は内心で驚く。どうやらこの身体に合わせて、話し方も自動的に調整されるらしい。
「今日は王立アカデミアでの授業がございますね。リリアーナお嬢様も、きっとお待ちかねでしょう」
リリアーナ・ヴァレンシュタイン。本来の主人公の名前を聞いて、俺は心の中で拳を握った。
(そうや!リリアーナちゃんや!あの子と攻略対象をくっつけさえすれば、俺は元の世界に帰れるはずや!)
ゲームの知識を総動員する。『ロイヤル・ローズの恋歌』は、侯爵令嬢リリアーナが王立アカデミアで様々な男性キャラクターと恋に落ちる、典型的な乙女ゲームだった。攻略対象は全部で6人。
第一皇子のアークライト・ヴァン・ロゼッタ。公爵家の嫡男カイル・アストリア。皇室親衛隊のレオン・フォン・グリム。学園の研究者フェリックス・リヒト。庭師のユリウス・ハインライン。そして隠しキャラクターの転入生、カイン・ゼノン。
(妹は確か、最後のカインルートをクリア直前やった。つまり、他の5人は既に攻略済み...ってことは、俺がどのルートを選んでも、基本的な流れは把握してる)
希望が湧いてくる。ゲーマーとしての知識と経験があれば、きっとうまくいくはずだ。
「マリア、今日の予定を教えてもらえますか?」
「はい。午前中は学園での講義、午後は自由時間でございます。リリアーナお嬢様とのお茶会も予定されております」
(完璧やん。リリアーナちゃんと会えるなら、作戦を練る時間もある)
身支度を整えながら、俺は頭の中で計画を立てた。エミリア・ハミルトンは、ゲーム中では主人公の良き理解者として登場する。恋愛関係には発展しない、いわゆる「友達キャラ」だ。つまり、恋愛フラグが立つ心配もない。
(よし、今日からは縁結びの神様や!リリアーナちゃんと攻略対象を、バンバンくっつけたるで!)
王立アカデミアは、想像以上に豪華な建物だった。白い大理石で作られた校舎は、まるで宮殿のように美しく、広大な庭園には色とりどりの花が咲き誇っている。
(うわー、これがゲームの世界かあ。CGで見てたのとは迫力が違うなあ)
感動に浸りながら歩いていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「エミリア!おはようございますの!」
振り返ると、金色の髪を揺らしながら駆け寄ってくる少女がいた。リリアーナ・ヴァレンシュタインその人だった。
ゲームのCGで見ていた通り、いや、それ以上に美しい。大きな瞳は宝石のように輝き、人懐っこい笑顔は見ているだけで心が温かくなる。
「おはようございます、リリアーナ様」
「もう、エミリアったら。いつも通りリリアーナで良いって言ってますのに」
(うわあ、めっちゃ可愛い...これは確かに主人公や。こんな子が相手なら、攻略対象が惚れるのも当然やわ)
「でも、リリアーナ様は侯爵のお嬢様ですから...」
「私たち、親友じゃありませんの。身分なんて関係ありませんわ」
親友、という言葉に胸が温かくなる。ゲーム知識では知っていても、実際に言われると嬉しいものだ。
(よし、まずはリリアーナちゃんとの関係をしっかり築こう。そうすれば、恋愛相談とかも聞きやすくなるし)
教室に向かう途中、俺たちは多くの生徒たちとすれ違った。王立アカデミアは貴族の子弟が通う学園だけあって、みんな品があって美しい。
(それにしても、この世界の人たちってみんなモデルみたいやな。さすがゲームの世界や)
「そういえば、エミリア」
リリアーナが小声で話しかけてきた。
「今日、アークライト皇子がいらっしゃるそうですの」
(キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!)
内心で大興奮しながらも、表面は穏やかな笑顔を保つ。
「あら、そうなのですね。それは光栄なことですわ」
「でも、少し緊張してしまいますの。皇子様って、とても立派な方だから...お話しするのも恐れ多くて」
(これや!これがチャンスや!)
俺の頭の中で、縁結び作戦のシナリオが瞬時に組み立てられた。
「リリアーナ、心配することはありませんわ。あなたはとても素晴らしい方ですもの。きっと皇子様とも良いお話ができますよ」
「本当でしょうか...?」
「ええ、もちろんです。それに、皇子様は国民思いの優しい方だと伺っております。きっと気さくにお話しくださいますわ」
リリアーナの頬がほんのりと染まった。
(よしよし、好感度上がってる。このまま皇子ルートに誘導や)
午前の講義が終わり、昼食の時間になった。大食堂は貴族の子弟たちで賑わっている。俺とリリアーナは、窓際の席に座った。
「エミリア、やっぱり緊張しますの」
リリアーナが小さくつぶやく。どうやら、皇子のことが気になって仕方ないらしい。
(完璧や。これで皇子が現れたら、自然に紹介できる)
そのとき、食堂の入り口が騒がしくなった。生徒たちが一斉に立ち上がり、深々とお辞儀をしている。
現れたのは、金髪碧眼の美青年だった。王族らしい気品と威厳を兼ね備えた、完璧な容姿。間違いない、第一皇子アークライト・ヴァン・ロゼッタだ。
(うわー、実物めっちゃかっこええやん。これは確かに女子が惚れるわ)
「皆、気にせず食事を続けてくれ」
アークライト皇子の声は、想像していた通り落ち着いていて、威厳に満ちていた。生徒たちは安堵の表情を浮かべ、再び席に着く。
皇子の隣には、茶色の髪の青年が付き添っていた。カイル・アストリア、公爵家の嫡男で皇子の親友だ。こちらも爽やかで人懐っこい雰囲気が、ゲームの設定そのままだった。
「リリアーナ、チャンスですわよ」
俺は小声でささやいた。
「え、でも...」
「大丈夫です。私も一緒ですから」
実は、俺にも作戦があった。エミリア・ハミルトンは伯爵令嬢という身分なので、皇子に話しかける権利はある。そして親友のリリアーナを紹介すれば、自然な流れで二人を接触させることができる。
(我ながら完璧な作戦や!)
俺は立ち上がり、リリアーナの手を引いた。
「殿下」
俺たちが近づくと、アークライト皇子が振り返った。その碧眼が俺を見つめる。
(うわ、なんか緊張する...でも頑張らな)
「エミリア・ハミルトンと申します。こちらは親友のリリアーナ・ヴァレンシュタインです」
「ハミルトン伯爵家の令嬢か。それにヴァレンシュタイン侯爵家の...」
皇子の視線が、リリアーナに向かう。俺は内心でガッツポーズを決めた。
(よし!見てる見てる!)
「はじめてお目にかかります、殿下」
リリアーナが美しくお辞儀をする。その姿は、まさに絵に描いたような貴族の令嬢だった。
「こちらこそ。美しいお二人にお会いできて光栄だ」
アークライト皇子が微笑む。しかし、その視線は...
(あれ?なんか皇子の視線、リリアーナちゃんより俺の方を見てない?)
一瞬の違和感を覚えたが、俺は気にしないことにした。きっと気のせいだろう。
「殿下、もしよろしければ、リリアーナと少しお話しいただけませんでしょうか。彼女は国政にもとても関心がおありなのです」
これは嘘だった。ゲーム知識によると、リリアーナは政治にはそれほど興味がない。でも、皇子と話すきっかけになればいい。
「そうなのか?それは興味深い」
皇子の表情が僅かに明るくなった。やはり、国政の話題には食いついてくる。
「はい、その...国民の皆様が幸せに暮らせるよう、いつも考えておりますの」
リリアーナが恥ずかしそうに答える。この反応も可愛い。
(よし、話が弾んできた!)
ところが、アークライト皇子は再び俺の方を向いた。
「エミリア嬢は、どのような考えをお持ちか?」
(え?俺に聞く?)
「えっと...私は、リリアーナほど詳しくはございませんが...」
慌てながら答える俺を見て、皇子が興味深そうな表情を浮かべた。
「謙遜される必要はない。君の率直な意見を聞かせてほしい」
(なんで俺に聞くねん!リリアーナちゃんの方や!)
内心で叫びながらも、俺は答えるしかなかった。
「そうですね...民草の声に耳を傾けることが、何より大切だと思います。上に立つ者は、常に下々の気持ちを理解しなければならないのではないでしょうか」
これは、俺が普段から思っていたことだった。男子高校生としての、素直な意見だ。
アークライト皇子の眼が、キラリと光った。
「なるほど...とても興味深い考えだ。もっと詳しく聞かせてもらえるだろうか」
(あかん、これ完全に俺に興味持ってるやん)
横を見ると、リリアーナが少し寂しそうな表情を浮かべていた。
(しまった!これじゃリリアーナちゃんが蚊帳の外や!)
「あの、殿下。リリアーナの方が、そのような話には詳しいと思いますので...」
必死に話題をリリアーナに振ろうとする俺。しかし、皇子は首を振った。
「いや、エミリア嬢の視点が興味深いのだ。ぜひ続きを聞かせてほしい」
(なんでやねん!!!)
内心で絶叫する俺。計画が完全に狂っている。
「エミリア、すごいですの。殿下がそんなに興味を持ってくださるなんて」
リリアーナが嬉しそうに言った。しかし、俺には彼女の笑顔が少し無理をしているように見えた。
(あかん、これは予想と全然違う展開や...)
そのとき、カイル・アストリアが口を開いた。
「アークライト、あまりお二人を独占してはいけないよ。他の生徒たちも殿下とお話ししたがっている」
ナイスフォロー、カイル!俺は心の中で彼に感謝した。
「そうだったな。すまない」
皇子が苦笑いを浮かべる。
「では、エミリア嬢、またお話しする機会があることを楽しみにしている」
そう言って、皇子は他の生徒たちの元へ向かった。
昼食後、俺とリリアーナは学園の庭園を歩いていた。二人とも、なんとなく気まずい雰囲気だった。
「エミリア...」
リリアーナが口を開く。
「殿下、エミリアにとても興味を持っていらっしゃるようでしたの」
(やばい、これは気を遣わせてしもた)
「そんなことありませんわ。きっと、たまたまです」
「でも、政治のお話も詳しくて...エミリアってすごいのですね」
リリアーナの声に、微かな落ち込みが混じっている。
(あかん、完全に逆効果や。リリアーナちゃんを落ち込ませてどないすんねん)
「リリアーナ、私なんて全然です。あなたの方がずっと素晴らしいお方ですわ」
「そんなこと...」
「本当です!あなたの優しさや美しさは、誰もが認めるところです。きっと殿下も、そのことに気づいてくださいますよ」
俺は必死にフォローした。しかし、リリアーナの表情は晴れない。
(くそ、初日からつまずくとは...でも、まだ諦めるわけにはいかん)
そのとき、庭園の向こうから人影が現れた。精悍な顔立ちの青年が、真剣な表情でこちらに向かってくる。
(あ、あいつは...)
レオン・フォン・グリム。皇室親衛隊所属の青年だ。ゲームでは、主人公に強い憧れを抱く後輩キャラクターとして登場する。
「あの...失礼いたします」
レオンが近づいてきて、恭しくお辞儀をした。
「リリアーナ様、エミリア様」
(お、これはチャンス!レオンくんはリリアーナちゃんに憧れてるキャラやった!)
俺の心に希望が戻ってきた。
「レオン様、お疲れ様です」
リリアーナが優雅に微笑む。
「あの...もしよろしければ、お聞きしたいことがございまして...」
レオンが恥ずかしそうに頬を染めた。
(よっしゃ!これや!恋の相談か?)
「なんでしょうか?」
リリアーナが首をかしげる。その仕草も可愛い。
「実は...」
レオンが俺の方を見た。
(え?俺?)
「エミリア様に、お聞きしたいのです」
(はあああああ?!)
「先ほど、殿下と政治についてお話しされていたのを拝見しました。とても感銘を受けまして...」
(またかい!)
「私も親衛隊として、国のことを考えなければなりません。エミリア様のお考えを、ぜひお聞かせいただけないでしょうか」
レオンの真剣な眼差しが、俺を見つめている。
(なんで皆、俺の話ばっかり聞きたがるねん!リリアーナちゃんの方やろ普通!)
横を見ると、リリアーナがまた寂しそうな顔をしていた。
(あかん...また同じパターンや...)
「あの、レオン様。私なんて大したことは...」
「いえ、そんなことはありません!」
レオンが力強く首を振った。
「エミリア様のお言葉には、真実があります。ぜひ、お教えください!」
(真実って何やねん!俺、ただの高校生やで!)
リリアーナが立ち上がった。
「私、少し用事を思い出しましたの。エミリア、ごゆっくりお話しください」
「あ、リリアーナ!」
俺が呼び止めようとしたが、彼女はそのまま行ってしまった。
(最悪や...完全に気を遣わせてしもた)
残されたのは、俺と熱い眼差しを向けるレオンだった。
「それで、エミリア様...」
(もう知らん!やけくそや!)
その日の夜、俺は自室で頭を抱えていた。
(何がいけなかったんや...完璧な計画やったはずなのに)
予定では、リリアーナと攻略対象を自然に引き合わせ、恋愛フラグを立てるはずだった。しかし、結果は真逆。なぜか俺の方に注目が集まってしまった。
(アークライト皇子は政治の話に食いついて、レオンくんは感銘を受けて...なんで俺やねん)
ベッドに倒れ込んで、天井を見つめる。
(明日はもっと慎重にいこう。絶対にリリアーナちゃんを前面に押し出すんや)
そんなことを考えていると、ドアがノックされた。
「エミリア様、お客様がいらしています」
マリアの声だった。
「お客様?」
時計を見ると、もう夜の8時を過ぎている。こんな時間に客など珍しい。
居間に降りると、そこにいたのはリリアーナだった。
「リリアーナ!どうしたの、こんな時間に」
「エミリア...お話ししたいことがあって」
リリアーナの表情は、昼間よりも晴れやかだった。
(よかった、機嫌治ったみたい)
「もちろんです。さあ、座ってください」
二人でソファに座る。メイドが紅茶を運んできた。
「エミリア、今日はありがとうございました」
「え?」
「殿下やレオン様に、私のことを良く言ってくださって」
(あ、そういえばフォローはしたな)
「あなたのことを悪く言う人なんて、この世にいませんわ」
「エミリアは本当に優しいのですね」
リリアーナが微笑む。
「それで...実は、少し考えたことがあるのです」
「どのようなことでしょう?」
「エミリアって、とても素晴らしい方だということ」
(え?急に何?)
「今日、殿下やレオン様がエミリアに興味を持たれたのも、当然だと思うのです」
(当然って...)
「だから、私、決めました」
リリアーナの瞳が輝いている。
「エミリアの恋を、全力で応援しますの!」
俺の頭の中が真っ白になった。
(ちょ、ちょっと待て。何それ、話が逆になってない?)
「り、リリアーナ...?」
「殿下とエミリアって、とてもお似合いだと思うのです。政治のお話も合いますし」
(いやいやいや、お似合いなのはリリアーナちゃんと皇子やろ!)
「それとも、レオン様の方がお好み?あの方も素敵ですわよね」
(だから違うって!俺は縁結び役や!恋愛する気なんかないねん!)
「私、エミリアの幸せが一番大切ですの。だから、どの方を選ばれても応援しますから」
リリアーナの純粋な笑顔を見て、俺は絶句した。
(これ、完全に立場が逆転してるやん...俺が恋愛する側で、リリアーナちゃんが応援する側になってる...)
「あの、リリアーナ...」
「はい?」
「私は別に、誰かと恋愛をしたいとは...」
「照れることありませんのよ。女性ですもの、素敵な殿方に心惹かれるのは自然なことです」
(自然って...俺、心は男やねんけど...)
しかし、それを言うわけにもいかない。
「と、とりあえず、今はそのようなことは考えていませんの」
「そうですか?でも、いずれはそんな日も来ますわよ」
リリアーナがいたずらっぽく微笑んだ。
(あかん、これは予想外の展開や。どうやって軌道修正すればええんや...)
その夜、俺は一睡もできなかった。
明日からどうすれば、この状況を元に戻せるのか。頭の中でシミュレーションを繰り返したが、良いアイデアは浮かばなかった。
(まあ、まだ初日や。明日からが本番やで)
そう自分に言い聞かせながら、俺はようやく眠りについた。
しかし、この時の俺はまだ知らなかった。
明日以降、さらに予想外の展開が待ち受けていることを。
そして、俺の「縁結び作戦」が、とんでもない方向に暴走していくことを。
伯爵令嬢エミリア・ハミルトンの受難は、まだ始まったばかりだった。
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