第4話 唇の約束、身体の目覚め
1月下旬、冬休みが終わり、学校は再び活気を取り戻していた。しかし、受験の終わった三年生にとって、その賑わいはどこか遠いものに感じられた。悠真と美咲は、卒業アルバムの最終校正と卒業式の準備を続けながら、密やかに「恋愛レッスン」を深化させていた。クリスマスデートでのキスを経て、二人の間に流れる空気は、明らかに以前とは違っていた。言葉にしない感情が、生徒会室の隅々にまで満ちているようだった。
その日の放課後、生徒会室には悠真と美咲の二人だけが残っていた。窓の外は鉛色の空が広がり、時折、乾いた風が吹き荒れる音が聞こえてくる。室内は暖房で温められ、二人の間に漂う静寂は、より一層、密室感を際立たせていた。
悠真は、どこか落ち着かない様子で、手に持った資料をめくっていた。眼鏡のブリッジを押し上げる回数が、いつもより多い。美咲は、そんな彼の様子を、何気なく見つめていた。悠真の真剣な横顔に、かすかな赤みが差しているのが見て取れた。
「悠真くん、今日は…何を練習するの?」
美咲が、かすれた声で尋ねた。彼女の心臓は、質問を発する前から、すでに不規則なリズムを刻んでいた。レッスンが次の段階に進むであろうことを、クリスマスデートでのキスを経験した美咲は、直感的に悟っていたからだ。
悠真は一度大きく息を吸い込むと、資料から顔を上げた。その瞳は、美咲を真っ直ぐに捉える。
「…キス、だ」
たった一言。その言葉に、美咲の体はぴくりと反応し、全身の血が頭に上ったかのように熱くなった。悠真もまた、美咲の顔が瞬時に赤くなるのを見て、自身の頬が熱を帯びるのを感じた。
「き、キス…?」
美咲の声は、ほとんど聞き取れないほど小さかった。彼女の頭の中には、様々な感情が渦巻く。戸惑い、羞恥心、そして、抗えない高揚感。
「ああ。どうすれば、相手に喜ばれるキスができるか。その、練習を、したいんだ」
悠真の言葉は、まるでどこかの指南書を読み上げているかのように事務的だったが、彼の声は僅かに上ずっていた。その不器用さが、美咲の心を掴んで離さない。彼の真剣さに、美咲の胸の奥で、無自覚だった彼への好意が、確かな愛情へと変わり始めていた。
「わ、分かった…」
美咲は、小さく頷いた。逃げ出す選択肢は、もう美咲の心にはなかった。悠真が自分の好みの男になってくれるかもしれない。そんな淡い期待が、美咲を突き動かしていた。
悠真は席を立ち、美咲の向かいへと歩み寄った。美咲は、彼の存在がぐっと近づくたびに、心臓が大きく脈打つのを感じた。彼の背が高く、その体が自分を覆い隠すように迫ってくる。甘い石鹸の香りが、美咲の鼻腔をくすぐった。
悠真は美咲の前に立ち止まり、少しだけ屈んだ。美咲の瞳が、彼の眼鏡の奥の瞳と絡み合う。悠真の顔が、ゆっくりと近づいてくる。美咲は、緊張で息を止めた。
最初のキスは、驚くほどぎこちなかった。悠真の唇が、美咲の唇に、そっと、そして震えるように触れる。美咲は、まるで触れてはいけないものに触れたかのように、びくりと体を震わせた。悠真の唇は、少しひんやりとしていたが、その中に確かな温もりを感じた。
悠真は一度唇を離し、美咲の顔色を窺うように見た。美咲は、顔を真っ赤にして俯いていた。悠真の心臓は激しく高鳴り、手のひらにじっとりと汗が滲む。
「香坂…美咲、良かったのか?」悠真の声は、かすかに震えていた。美咲は、顔を上げた。その瞳は、潤んでいて、甘い痺れが残っていた。「う、ううん…嬉しかったから。いままでも、そしてこれからも…」このキスは、美咲の人生設計にはなかった。しかし、その甘さと、彼に触れられたことで目覚めた身体の反応は、彼女の合理的な思考を揺さぶるには十分だった。
二度目のキスは、先ほどよりも少しだけ深かった。悠真の唇が、美咲の唇を優しく吸い込むように触れる。美咲は、目を閉じた。彼の唇が、美咲の唇の上で、甘く吸い付くように動き出した。その動きに合わせ、美咲の胸の奥から、甘い疼きが湧き上がってくる。
悠真は、美咲の唇の柔らかさ、その甘さに、自身の「レッスン」という建前が崩れ去りそうになるのを感じた。理性が感情に追いつかず、ただ、もっと彼女に触れていたいという欲求が強くなる。
悠真が、息が触れるほどの距離で、囁いた。「…どうすれば、もっと、喜んでくれる?」美咲は、その問いかけに、自分の奥底に眠っていた願望が刺激されるのを感じた。
「その…悠真くんの、したいように、して…」美咲の声は、か細く、しかし確かな誘いを帯びていた。悠真の瞳が、一瞬大きく見開かれた。彼は美咲の言葉に突き動かされるように、さらに深く、情熱的に美咲の唇を求めた。舌が絡み合う度に、美咲の息が上がり、甘い嬌声が喉の奥から漏れる。悠真の手は、無意識のうちに美咲の腰に回され、彼女の体を自分へと引き寄せ、美咲もまた、悠真の髪に指を絡ませ、さらに深くキスを求めた。
悠真のキスは、美咲の唇から、ゆっくりと首筋へと降りていった。彼の熱い吐息が美咲の耳元に触れ、美咲は背筋に走る甘い痺れと、心臓の激しい鼓動に、これまでにない高揚を感じた。悠真の舌が、美咲の白い首筋を滑らかに這っていく。その滑らかな肌の感触に、悠真の心臓はさらに高鳴り、彼の手は美咲の体温を求めるように次第に熱を帯びていった。
生徒会室に、二人の熱い吐息と、微かな甘い音が響く。窓の外では、夕闇が深まり、冷たい冬の風が吹き荒れている。しかし、この密室の中だけは、二人の高まる熱が満ちていた。キスの練習という名目で始まった行為は、もはや単なるレッスンではなかった。それは、二人の心を結びつける、甘く、危険な約束になりつつあった。
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