第8話
ミキシングやコーラスで、結局アルバム作りは三日では終わらなかった。来週もまた来てね、とぱたぱたミキサーさんに手を振られ、ぱたぱたと俺は返す。霧都はまだ頭が付いて行っていないみたいで、ぼーっとしていた。孤児院仲間がぼろぼろ出て来すぎたからだろう。これで行方が分からないのはエイミだけか、と、俺は缶コーヒーから口を離す。甘い。カントゥッチーニが無い時は甘いコーヒーの方が良い。
しかし、異世界転生者で大賢者とは、あの孤児院何か呪われていたんじゃないだろうか。魔王と大賢者が一緒にいたなんて、偶然とは思えない。孤児院の場所は分かるか、倭柳に訊いてもそれはもう分からないらしかった。昔教会だった場所は都市開発で潰れてしまったのだと言う。あの桜並木ももうないのかな、と思うと憂鬱な気分になった。
日本に来たなら日本の花を植えよう。言ってファーザーがぽんっと植えたのが、桜並木だった。思えばどうやってそんなものをぽんっと植えたのかは分からないが、気が付いたらもうそれらは当たり前の顔をして林立していて、春になったらお花見を一日中するのが楽しみで。
シスターもこの時はアフタヌーンティーセットを持って来て、スコーンからサンドイッチからプチケーキまで、何でも食べさせてくれた。俺達は花より団子状態になりつつも、はらはら散る桜を見て楽しんでいた。
あの光景はもう二度と見られないのか。それは寂しいことだったけれど、仕方あるまい、時代の流れだ。シスターたちの居場所も訊ねてみたけれど、それもふるふると頭を振られた。あの人たちだけは捕捉できない、と。だけってことはエイミの居場所も分かるのか? と更に訊ねてみたところ、にっこり笑って誤魔化された。知ってるんだろう。その上で会わせない。
意地悪め。俺がエイミもとい亜弓のことを好きだったのは知ってるくせに。あの孤児院にいた中でなら、みんな俺の亜弓への愛情は知っているはずだろう。花を摘んで王冠にして上げたこともある。首飾りも作った。そして結婚式ごっこをした。我ながら初恋はピュアだったと思う。そんなピュアさを詩に書き出すことは、残念ながら出来ない。もう忘れかかっているし、突然の別離がショックすぎてよく思い出せないのだ。
シスターとファーザーも寂しそうにしていたから、責められなかった。次に倭柳とジル兄がいなくなり、俺が引き取られ、最後まで残ったのが隆介だったのだろう、寂しくなかったか? と訊いてみると、寂しかったよ、と苦笑いで帰された。
「もう誰も砂場で晩餐会をしないし、花を摘んだりもしない。お花見だって三人だけだ。寂しかった。でもいっぱい写真を撮ってあったから、それで堪えられたんだ。僕は一人じゃないって思えた。一人ぼっちじゃないんだって、殆ど自己暗示みたいだったけれどね。学校に上がったら友達も出来て、なんとかなるようになった。それから引き取られてからは――むしろそれからの方が、寂しかったぐらいで」
隆介は懐から一枚の写真を取り出した。
そこには子供たち五人と、シスターとファーザーが写っている、集合写真だった。
くしゃくしゃになって顔がほとんど潰れている奴もいる。
だけど分かるのは、やっぱり繋がっていたからなんだろう、俺達が。
バンド――みたいに。
「こっそり持って来て、寂しい時はこれを見てた。みんな一緒だった頃が思い出せるから、それで寂しくなかった。何度も捨てられそうになって何度も取り返して、ぼろぼろだけど、みんな分かる。きっとまた出会えたら、分かると思ってたんだ。実際分かったしね。イルも、ユーリも」
「今度イルの携帯端末で、ジル兄に電話掛けてみようぜ。きっとすっげーびっくりしてくれる」
「あはっ良いね、懐も痛まないし!」
「うーん付いて行けない……」
「兄弟の話なんてそんなもんだよ、霧都。それより俺達、もっとリュー君の曲練習しなきゃ。ギターがピーキーすぎるのは分かってたけど、ベースも結構大変だ。ドラムも付いて行けなくない?」
「だからこそ更に週末が追加されたんだしな。三曲しかないのにどれも完璧に出来ない。恐ろしい作曲家が現れたぞ、俺達」
「まあその分楽しいけどね! あ、そうそう社長からメール。これから寝るから来月までは会えないってさ」
「どんだけ寝るつもりだ!?」
「社長もピーキーだからねえー」
けらけら笑う純怜の方が今の倭柳の事を知っているようで、ちょっと嫉妬してしまう俺である。一応俺もあいつの兄であるからには。今更だって言われそうだけど、それでもあいつは大事な妹だと思っているので。大賢者だったけれど、やっぱりそれ以前に、妹であるので。隆介だって弟だ。亜弓も。年上はジル兄だけ、それが俺たちきょうだいだった。この二番目の座を渡すつもりはない。だって二番目に偉いってことだったから。
偉いってことは偉いってこと。焦げたカントゥッチーニの端っこを食べても良いし、花は摘み放題。砂場で晩餐会も開けるし、風呂は二番目。シスターが洗ってくれた。あんまり覚えてないけれど、銀色の髪が肌に貼り付いて殆ど身体は見えなかったと思う。覚えてたらファーザーにしばかれる気もする。
「なあ、今のイルって何してんだ? 学校は?」
ちょっと前を歩いていた俺と隆介が純怜に訪ねてみると、苦笑いされた。
「学校は行ってないねえ」
「なっなんだ、登校拒否か!? いじめか!?」
「違う違う、必要ないってだけ。社長も中学の時にイギリスに留学して、大学まで出るんだよ」
「はあ!?」
「ほえ!?」
「あ、これって秘密だったっけ。まあ良いや、『きょうだい』には教えても良いでしょ。そんでもって日本に帰って来ても暇だから、色んな商売に手を出してるんだってさ。エコーズレーベルもその一環。でも酉里がスカウトされてリュー君まで入ることになったから、もうばらしちゃえってことで三日前の大抱擁大会なわけだね」
「やめて。俺だけ置いて行くの止めて……」
るるーっと涙を流しているのは霧都である。こいつ、あらゆる属性からスタンドアローンだもんな。異世界転生者でもなく、教会孤児院出身なわけでもなく、社長に雇われて俺達を監視していたわけでもない。ただ音楽がやりたくて、音大進学を蹴ってまでバンドに専念したい、普通の男子高校生。
うーん、いっそ可哀想なぐらいだが、一人ぐらいはそう言う純粋な奴がいても良いだろう。俺はメッセージアプリを立ち上げて、母さんに伝言を打つ。
「とりあえず今日は部活休みにしてさ、俺んちでお茶しない?男四人でもなんとかなる広さのテーブルだからさ。正直ちょっと疲れて音楽から一旦離れたい気分」
「分かるー」
けらけら笑うのは純怜。ふうっと息を吐いてOK出してくれるのは、部長でリーダーの霧都。ちょっと緊張しているのは隆介だ。そっか、俺んち来たことないもんな。だからこそとっておきを用意して貰っているのだが。
「はーいようこそー、始めましての子もいるわね? そっちの眼鏡くんは何くん?」
「神無……じゃなく、高井隆介と申します。初めまして、ユーリのお母さん」
「神無? もしかして、教会にいた子?」
「は、はいっ」
「まあーそんな奇跡の再会してたの、酉里ったら! さっさと連れて来なくちゃ駄目じゃない! さ、コーヒーはもう入ってるから、カントゥッチーニと一緒にどうぞ」
「カントゥッチーニ……って、シスターがよく作ってくれた?」
「しかもシスター直伝のレシピだ。懐かしくて泣くかもしれないぞ」
そう、教会にいた頃の俺たちの苗字は『神無』だった。教会なのに変なの、とは思っていたものだ。聖歌も歌うし食事の前には祈りだって捧げるのに、神無。神はいない。
まあこんな転生とか魔王とか大賢者とかいる世界に、神様がいないことも無いと思うんだけれどなあ。思いながら、ちょっと狭いダイニングテーブルで俺達はコーヒーにカントゥッチーニを漬ける。
食べ方は何度かうちに来てる純怜も霧都も知っていた。すん、と匂いを嗅いで懐かしそうにする隆介は、コーヒーに漬けたカントゥッチーニをぱくっと口にする。
ぼろぼろ泣き始めた。
もー、倭柳に会ってから涙腺緩すぎだぞ、お前。
俺に会った時は笑ってたのに、なんでそうなるかね。
「どっどうしたの、おばさんのじゃやっぱり不味かったかしら!?」
「いえ……いえ! シスターの味です! 懐かしくて……すいません、すぐ止むんで、ごめんなさい」
「良いのよ、不味くないってのなら。やっぱりあのシスターさんには敵わないわね。あの若さで子供五人育ててた肝っ玉シスターだったんだもの、当たり前か」
「肝っ玉シスターって。なんか変な響き」
霧都がくすくす笑う。俺と隆介も苦笑いだ。でも本当、肝っ玉シスターだったよなあと思い出すと、懐かしい。下手するとファーザーより肝っ玉だった。子供たちの風呂は全部シスターが入れてたし、食事の準備もだ。洗い物は俺達も手伝ったけれど、ファーザーはその間ぐーすか寝てることが多かった。何にそんなに疲れていたんだろう。やっぱり教会の経営かな。二十歳そこそこの二人には、この異国の法律を理解するのは難しかっただろうし。
ただ俺は、養子縁組は一度したらもう反故に出来ないことは知っている。だから隆介は神無と名乗りたいけれど、高井のままなんだろう。育児放棄されたと言っていた。会社を継がないならいらないと判断されて、でも、戸籍上の縁は切れないから、育児放棄に走った。
そうすれば戻って来ると思ったのかもしれない。でも隆介は名門私立からごく普通の都立高校に転入して来た。バイトをしていたと言うから蓄えも多少はあるのだろう。学費の面倒も見てもらえるなら、卒業――前の、俺たちのメジャーデビューまでは、十分持たせられる。
育児放棄って程でもねえよなあ、そう思うと。ちゃんと学費も出してくれて、勝手にしろって言ってくれてるなら、むしろ理解がある方だと思う。でもたまには呼ぶようにしよう。このカントゥッチーニを餌にしてでも。食費は浮かせられる方が良いだろう。
レーベルから給料が出るまでには時間が掛かるだろうから、それまでは霧都の家でおやつご馳走になったり、純怜の部屋でリコリス味の――簡単に言うとゴムタイヤ味だ、あれは――グミ食わせたりして。純怜はちょっと味覚が変わってるから……何と言うかゲテ食いだから、溜まってるそれらを片付けさせるのも一興だろう。
喉に悪い物でも無し、少しで腹が膨れると言うか何も食いたくなくなるから、丁度良いかもしれない。昼飯が調理パンや菓子パンだとしたらなおさらだ。調節調節。幸いまだ太ってはいないみたいだけれど、デブはヴィジュアルバンドに一人は必須みたいなところあるけれど、俺としては隆介にこの体型をキープしてもらいたいし。出来る事ならデビューまでは。マイナーレーベルからのデビューまでは。
「そういやリュー、コンタクトレンズは付けられるのか?」
「一応ハード持ってる……でも苦手」
「慣れろ。ライブの時は汗で曇るだろうから、コンタクトにしろ」
「ええー……ライブってそんなにすごいの?」
「経験ないなら路上ライブ久し振りにやるか。見られる心地良さを知っていても悪くないお年頃だ」
「おっ良いな。久し振りに公園行く? ハイハットは持ち歩けないけど基本のセットなら担いでいけるぜ」
「俺はベースとアンプかなー、スピーカーは手ぶらな酉里お願いね」
「え、えぇ~……相変わらず僕の意見は無視……?」
「だって俺副部長だもん」
「俺部長だし。平部員は純怜とリューだけだからな、発言権はないのだ。わはは」
「わははじゃなく……本当人前とか無理、恥ずかしい……」
「んじゃ舞台用のメイクやってく? ガラスの仮面のように自分を別人に思わせてくれるぞ、マヤ」
「誰がマヤだよ、普通にそっちの方が昼下がりの公園でとか恥ずかしいよ……」
「ふふふっ」
笑う母である。
「ごめんなさい、真剣に悩んでいるのにねえ。良かったらおばさんが観客一号になるから、隆介君の音、聴かせてくれないかしら」
「で、でも今日はギター持って来てなくて」
「安心しろ。父さんのアコギが現役だ」
「良い家に引き取られたね本当!?」
「お父さんも昔は音楽目指してたのよー、だから酉里が音楽始めた時はおおはしゃぎだったのよ、これでも。ピアノの塾とかじゃなく。バンドする、なんて言い始めたんだから、いやっほぉうって。その日はお酒飲んでご機嫌だったわ。下戸だから次の朝は死んでたけれど」
「ぷっ」
「ほらほら、調律は欠かしていないから!」
無理やり押し付けられたギターに向かって、隆介はふっと真剣な顔になり。
ピーキーで始まる前奏を鳴らしてから、歌い始める。
ノリの良い失恋の曲を。
恋を亡くした空しさを感じる、澄んだ曲を。
終わった後に、母さんは涙ぐみながら、ぱちぱちと手を鳴らした。
「すごく切ないけれど、いい歌だったわ。これなら大丈夫よ、誰もが足を止めて聞き入ってくれるわ」
母さんの言葉に赤くなる隆介である。
これで少しは自信が付いていると良いんだけれど。
思いながら俺は、俺の歌の方が心配なんじゃないかと考えていた。
ヴォーカル落とされたらタンバリンぐらいしか叩けないぞ、俺。
隆介の歌、もっと聞きこんで歌えるようにならないと。
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