EP03:猟奇的なほどの静寂
気管が熱い。鼻の奥が痛い。肩で息をしながら、僕は背後を振り返った。——いない。ようやく、飛路のことを撒けたらしい。
「どうして……どうして今日はこんな『普通』じゃないんだ!?」
ふと、周囲を見渡す。おかしい、こんな場所に見覚えはない。住宅の並びは一切の乱れなく整然としていて、それが逆に不気味で仕方がない。その上、暮らしているはずの人の気配が、全くと言っていいほどないのがそれに拍車をかける。各々が仕事場や学舎に着いた頃ということもありそうだが、街が死んでいるような気さえ起きた。
「こんなことなら、おとなしく店に篭っていれば……ああーッ、全部全部、あの日暮飛路とかいうバカのせいだーッ!」
誰にいうわけでもなく、自分に言い聞かせるわけでもなく、反射的にそんな言葉が飛び出した。でも、もう簡単に戻れるわけがない。あの店、《烏丸珈琲店》には色々世話になっているが、なんといっても店主が店主だ。僕の平和を脅かす「変人」の一人に数えられる烏丸マスターを側に丸一日過ごそうものなら、気が触れてしまうかもしれない。
そんなことを考えながらも、とにかく歩を進めねばと、足を踏み出す。歩いて、歩いて、歩いて。こんな変わり映えのない家々の連なる住宅街でも、いつかは終わりが来るはず。人と一切すれ違わないどころか、生活音の一つも聞こえてこないのが相変わらず不気味だが、それでも進むしかないのだ。
そうしてしばらく進んでいた僕は、あることに気がついた。
(なんだか、後ろに気配があるような——)
何度も言うようだが、僕は「普通」にこだわる。だから、街中でいきなり話しかけられて面倒ごとに巻き込まれる、なんてことは絶対に避けたい。そうやって意識し続けたせいか、人の気配というものには人一倍敏感なのだ。そんな僕の過敏な感覚が、背後に存在感を捉えた。かなり距離は空いているようだが、背中にびりびりとしたものを感じる。
ああ、最悪だ。あの気配、確実に僕のことをつけている。何の用かは知らないが、僕が一歩を踏み出すたび、同じだけの距離を進んでいる、そんな感じがする。多分素人の動きではない、プロの変人、プロの変質者だ。
しかし、ここで延々受けの姿勢でいては、追い払えるものも追い払えない。僕のかけがえない「普通」を脅かさんとする存在は、僕の手によって払い除けなければならない。なぜならば、僕のことは誰も助けてくれないから。
意を決して、僕は振り向いた。
「あの、そこのひ——うわっ!?」
そこで、僕は思わず腰を抜かした。体感で家一軒分は離れていたはずの不審者との距離は、振り返った瞬間に相手と鼻先が触れるほどに近かったのだ。
「え……なんで、なんで……?」
尻餅をついた僕は、ただただ狼狽える。そして狼狽える原因となったのは、その異様な気配遮断に驚いたからだけではない。その不審者——否、不審者達の格好が、あまりに浮世を生きる人のそれとはかけ離れていたからである。
「兄ちゃん、大丈夫か?」
そう口を開いたのは、長身の男の方。僕のことを嘲るような挑発的な笑みを浮かべるその男は、汚れた池のような澱んだ緑色の眼を半月型に歪めている。頬にはガーゼを貼っていて、直近で怪我をしたのだろう。耳元に目線を移せば、ただ伸ばしただけという印象を受ける長髪の間から、無数の銀色のピアスやチェーンが覗いていた。
彼はお世辞にも清潔とは言い難い、ビリビリに破れた黒いズボンとTシャツを身につけている。下着の類は着用していないようで、破れた布の奥には地肌が確認できる。その地肌に刻まれているのは、
「待てよ
藪蛇と呼ばれた男と僕の間に割って入ったのは、これまた普通でない格好の女性だった。淡い赤紫色の長髪を腰あたりまで伸ばした、アメジストのような瞳を持つ女性——と描写すれば美麗に映るだろうが、それはそれとして服装がおかしい。
結論から言えば、彼女は特攻服を身に纏っていた。それもただの特攻服ではない。銀ベースに髪と同じ淡い赤紫色の刺繍が入った、おそらく特注品と思しき特攻服だ。こんなものを常用しているのかと思うだけで卒倒ものだが、それだけではない。追い討ちと言わんばかりに、その特攻服の首元にはフェイクファーのマフラーらしきものが巻かれていた。一応補足しておくが、今は新しい年度が始まってようやっと一ヶ月が経とうという時期である。正気の沙汰ではない。
「いきなり驚かして悪かったな。アタシは
「誰がアホだバカ! ……ちょ、兄ちゃん怯えてんじゃねェって。俺達ァ、別にテメェを怖がらせようたァ思ってるわけじゃねェんだからさ」
僕は二人の言葉などロクに聞こえていなかった。それを言葉として認識できていなかった、という方が正しかったかもしれない。それくらい僕は彼らを警戒していた。彼らは僕の目には、獣にしか見えなかった。
「アタシたちは、ちょっと人探しをしててね。……ほら藪蛇、本題を切り出すのはアンタの役目だろ? アンタが言いなって」
でも、羅礼と名乗った女性の言葉を聞いて少し安心した。この探されている人が僕と無関係ならば、ごくごく自然な流れでこの場を抜け出すことができる——
「俺たちさ、日暮飛路ってヤツを探してんのよ。お兄さん、何か知らないかな?」
——終わった。
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