3-8 再会、楽観
◇◆◇◆
廊下に出ると三つの扉があり、店長は一番奥の部屋へ招かれた。そこは、とても小さな部屋だった。
部屋には小さな窓とベッドが一つ。店長の自室を彷彿させる部屋だ。
そんな部屋に一人佇む、兎の母親。ゆったりとした麻色のワンピース。一目で病人とわかるような服に相反して、健康そうに日焼けした地黒な肌。服の上からでも分かる女性の割にがっちりとした体は病人とは思えない。黒い髪は長く、顔は少し老いの色を見せながらも、目鼻立ちがはっきりしている。
「……!」
そんな彼女から溢れ出るオーラに、店長は小さな畏怖を抱いてしまった。店長は人を見た目だけで判断する事はない。大柄な女なんてしょっちゅう目にしている。
それなのに小さな恐怖を感じずにはいられなかった。彼女から溢れているのは紛れもなく純粋な殺気だった。それなりに修羅場をくぐってきた店長には、その者の放つ殺気で大体の力量は読めるようになっていた。今まで培ってきた直感が「この女は危険だ」と知らせていた。
無意識に店長はポケットの中に手を入れ、ナイフに手を添えていた。
「二人きりで話したいそうなので……私はこれで……」
そう言って兎は店長の横を通って部屋を出て行った。殺気立つ兎の母親と、小さな部屋で二人きりになってしまった。
「まぁ、掛けなさいよ」
ハスキーボイスの低い声。その声が合図のように、兎の母から放たれる殺気は消えてなくなった。少しホッとし、ポケットから手を出し、店長は言われた通り近くの椅子に座る。
会話のない、少し妙な空気。店長も兎の母も互いを観察し合い、狭い部屋に二人もいるのに不気味なほど静かだ。観察を終えたのか、兎の母が浅く息を吐く。
直後、豪快に笑う。
「ははっ! 確かに兎が言った通り老け顔だねぇ。本当に兎と三つしか違わないのかい?」
女の緊迫した顔が急にくしゃくしゃになり、笑顔に変わる。店長は拍子抜けし、遅れて言い返す。
「あいつが童顔過ぎるんだろ。……ちゃんと飯食わせてたのか?」
すると女はバツの悪そうな顔をする。
「痛いところを突くね。あの子はかなり偏食でね。それのせいかもしれない……。だけど、アンタもその顔で二十一歳はないだろ」
ますます母は笑いを深める。腹を抱えて指まで指し始めた。
どうやら、兎が時々放つ毒舌は、この母親から譲り受けたものらしい。意識せずに人の気にしている所を突き刺す所がそっくりだ。普通なら「娘がお世話になってます」とか聞くだろう。いきなり顔の事を貶されるとは思っていなかった。
店長が黙って耐え続けると、やっと兎の母も笑うのを止めた。小さく溜息を吐く。すると、また急に空気がピンと張り詰める。
瞬間、冷や水をぶっかけられたような感覚が店長を襲う。再び兎の母から殺気が溢れ出した。笑い、伏せていた顔を上げ、地獄の底からのような低い声で話す。
「……で、アンタ。うちの娘ぇ、ひん剥いたってかぁ!?」
コンマ数秒。
音も立てず、店長ですら追い付かないほどの超スピードで兎の母はいつの間にかベッドから身を乗り出し、店長の胸倉を掴みかかった。少し油断していたが、真正面からのこのスピード。久しぶりに店長は「死」を感じた。
もしもこの女が胸倉を掴むのではなく、ナイフで喉元を切りつけていたとすれば……おそらく致命傷を受けていただろう。
何十年ぶりかの冷や汗を感じながら、店長は答える。
「ひん剥いたって、服脱がした事か? あれは……しょうがねぇだろ。血まみれのまま置いておく訳にいかないだろ。第一、そもそも俺は命の恩人だぞ? 感謝はされど恨まれるのは筋違いじゃねぇのか?」
弁解も暫くは女の耳に入ってこなかったのか、暫く店長の胸倉は掴まれたままだった。
しかし、「フンッ」という荒い鼻息と共にその手を放すと、再びベッドに腰を落ち着かせた。
「まぁ……あの子もそう言ってたしねぇ。信じてやるか。……で、どうだい、うちの娘は。よく働くだろう?」
そう言うと今度は二カッと晴れやかな笑みを浮かべる。忙しい奴だ、と店長は思った。
「あぁ……まぁ、よく働くよ」
「だろ? あたしの自慢の娘だからねぇ!」
一層に顔を輝かせて語る。「あたしの自慢の娘」か。
店長はこの家に入ってから気になっていた事を思い出した。部屋に居た溢れんばかり子供達。身長や体の大きさにバラつきがあるのは仕方ないとして、問題はその顔つきだ。どれも見た目が違い過ぎるのだ。
こんなに姉弟がいるのなら、幾つか顔の似ている個所が見つかるはずだ。しかし、それが無いのだ。十八にも成長した兎は少しくらい母親に似るはずだが、その面影すら感じさせない。
これは、もしや……と店長は考え耽っていると、まるでその心を見透かすように兎の母が答える。
「そうだよ、全員。あたしの産んだ子じゃないよ。というか、あたしの産んだ子なんて一人もいない。旅してる最中に見つけた孤児を拾ってきたんだよ。始めは兎一人だけと思ってたのに、可哀そうだから次々拾って。……気付いたら六人の母親になってた」
淡々と話す兎の母。まるで猫や犬でも拾ったかのような軽い言葉だが、言葉の割に後悔している感じは全くしていない。
「……で、大所帯での旅が辛くなったから、故郷に戻ってきた。ってか?」
そう店長が言うと、母は意味深な笑みを浮かべ答える。
「まぁ、そんな所かねぇ。……ここが故郷ってあの子から聞いたのかい?」
店長は頷く。兎の母は「ふーん」と言って手を頭の後ろで組み、ベッドに横たわる。そうすると、また沈黙が始まった。互いになんとなく部屋の小窓から外を眺める。昼過ぎ、太陽の光は差し込まず、微かに風だけが入り込む。
聞くなら、今かもしれない。
店長は今日この街に来た目的を思い出す。昨日、兎から聞いた「数十年前、『狂犬』と呼ばれていた」という女。それは紛れもなく過去に自分を助けてくれた女ではないか。店を作るという生きる目標までくれた恩人でもある。それが、本当に兎の母なのか。
それを確かめるべく、わざわざ店を休んでまでやってきたのだった。すぐに兎を見つけ、ここまでやってこれたのは幸いだった。
そして実際に会ってみると――正直、この女が恩人であるかが分からなかった。夢で見るときも顔は思い出せていないし、こうして起きている時に思い返しても顔だけは思い出せない。
ならば、逆に向こうがこちらを覚えてくれているのでは? とも思ったが、この女からは懐かしむような雰囲気は感じられなかった。(そんなことよりも殺気しか感じられなかった……)
まぁ、十数年前から自分もそれなりに成長し容姿も変わっているため、気付いていないという可能性もあるが。
ええい、まどろっこしい。直接聞けば済む話か。
意を決し、店長が口を開こうとした瞬間。
「あいたたた……」と女が苦しみ始めた。口調は軽いが、その表情は苦悶のものだった。脂汗が額に滲み、腹を押さえている。先ほどのこともあり、すっかり病人であることを忘れていた。
「わっ! お母さん、大丈夫!?」
ちょうど水を持ってきた兎がすぐに母の元へ駆け込み、寄り添う。腹を押さえる母の背中を撫で、少し落ち着いたのを確認すると寝るように介助した。先ほどの威勢はどこへやら、すっかり兎の母は臥せってしまった。
……おそらく、今聞くべきではないだろう。
そう思い、店長は部屋からそっと抜け出そうとした。が、その時。
「
「……!」
先ほどの殺気を当てられた時とはまた別の鳥肌が店長の身に奮い立つ。振り返り、問い詰めようかと思ったが――兎の母はすでに眠りに落ちていた。
その後、店長がいる間に兎の母が起きることはなかった。泊まることも勧められたが、流石に明日も店を休むのは憚れるため断った。「別に休んでも問題無いのでは?」という兎の生意気な意見を無視し、店長は帰路についた。
既に日は落ち、空には満天の星空、地には冷たくなり始めた黄金の砂原が広がっている。バイクに跨り店へと帰る店長は昔から度々見ていた夢――もとい過去の記憶に想いを馳せていた。
十数年、待ち侘びていたという訳でもないが、いつか機会があればと思っていた恩人との再会。劇的な感動という訳でもないが、久しぶりに心動かされた。それでも自分の表情に変化がないのは自覚済み。
「……ま、会ったところで言うことなんて無い、か」
お礼を言うのも違う気がするし、盤硬街を遠巻きながら守ってきたことを褒めてもらうつもりも無い。今日はただ、確認がしたかっただけ。だから兎の家に泊まってまであの女と対話する必要はないと思っていた。
またいつか、どこかのタイミング、他愛もない会話の中であの時助けられた男であることを話して、ちょっと懐かしんで笑えばいいか。
楽観的に考える一方、喉奥に突き刺さった小骨のように気掛かりになることがある。それは女が病気に伏していること。まぁ、それも万が一のことがあれば、矢部に依頼すればなんとかなる――と、これまた楽観的に考えていた。
この時、まだ店長は知らなかった。タイムリミットがすぐそこまで来ていることを。
広大な空と大地の間、一台のバイクが静かに駆けていく。
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