山の家より

西谷たも

第1話 祖父の記憶と母の死

 祖父の記憶がある。

山の中にある小さな小屋のような家に住んでいた。両親に連れられ夏の暑い時期に祖父の家に行き数日泊まって帰ってくる。そういう記憶だ。

祖父の名は確か善次郎だったと思う。泊まりに行くと知らないおじさんやおばさんが野菜や果物などを祖父の家に持ってくる。その時に善次郎さんいるか?と玄関を開ける音と一緒に聞こえてくる。顔や名前は覚えてないのにその声はしっかり覚えている。

祖父の顔は、朧げながら覚えている、と思う。

なかなか記憶は曖昧だ。


 急に祖父の記憶が蘇って来たのは、東京の弁護士事務所で母の顧問弁護士だと言う原田弁護士に母の資産の説明を受けたからだ。

「キリコさん、貴方のお母様は資産をいくつかお持ちです。ご存知の通り存命中に生活をされていたマンションはすでにローンも完済されており、預貯金、株などの有価証券、それから、県外に土地と付属する建物と山林です」

そう言ってかなりの数枚の資料を差し出された。

「山林ですか?」

「山林、といいますか、山ですね」

そんな話は聞いた事がなかった。母は働いてはいなかったし、当然父の残した遺産と年金で生活していたからそこそこ蓄えがあるとは思っていたが、まさか、山を持っていたとは、、、

「まあ、ひとつずつ説明していきますね。なかなか込み入った内容になりますので…」


そこから、原田弁護士の説明は長かった。10時に事務所に着いて、葬儀の御礼やらも早々に始めたにもかかわらず、全部の説明が終わる頃には昼も回ってしまっていた。

「もう、昼ですね。どうされますか?このまま手続きに移りますか?もちろん、昼ごはんを食べてからになりますが」

「いや、ちょっと、まだ、なんというか、混乱してしまって、、、相続は勿論するのでしょうが、、、」

原田弁護士は、頷きながら、でしょうねと言った。


まず、実家のマンションは知っていた。ローンが終わったとも聞いていた。だからそれはいい。預貯金は、想像以上にあった。というか、父の遺産相続でいくら相続したのか…

それから金融資産、いくつか優良な大手企業の株をそこそこ持っている、これはまあ、なんとなくわかる。父は晩年株式投資が趣味みたいになっていたからそれを引き継いだものだろう…

問題は、聞いた事がない会社の株だ。非公開株の大株主らしい…どうしてそんなもの持っているのか…

そして、山だ。広さは14ha程。約4万坪。評価額は概算で3000万くらいじゃないかと言われたが…祖父が、住んでいた山なのか…祖父の記憶は戻って来たが、住んでいた山に記憶はほぼない。


原田弁護士が、書類を封筒に入れて渡してくる。

「今日は、とりあえずここまでにしましょう」

「はあ…」

「実はまだ、キリコさんの遺言書について説明していません。今日は、遺産がどれくらいあるかの提示と全て相続した場合の税金の概算を理解いただければ幸いです」

遺言書があるなんて聞いてない…

「正直にお話ししますと、遺言書については、私も把握しておりません。キリコさんから、必ず本人に開封させるようにと念を押されておりまして」

そう言いながら、封書を差し出してくる。

『松本祥之様』

と書かれている。間違いなく母が書いたもののようだ。

「今日はここまでにして、そちらはご自宅で開封して中を確認してください。遺言書と言うよりキリコさんからの手紙でしょうから、ゆっくり読んで、また、ご連絡ください」

原田弁護士はそう言うと立ち上がって書類と封書を渡して来た。

「手続きはいつでも出来るように準備しております。気持ちの整理がついたらご連絡ください」

渡された母からの手紙がなんだか重くて驚いていた。


 母が亡くなって初七日を終え最初の週末、明日から仕事へ復帰しなくてはならない。母の入院先から連絡が来てからたった10日で亡くなってしまった。ちょっと調子が悪いから病院へ行くと連絡があり、その日に入院することになったと電話があり、駆けつけた時にはすっかり病人の顔になっていた。医師に説明を受けるとすでに五年前から闘病していたと聞かされ驚いた。本人曰く対した事ないと思ったらしい。

「まあ、五年も持ったんだからなかなか頑張ったでしょ」

と怒っていいのか泣いていいのかわからない答えを返された。


そこから7日、有給と介護休暇を申請して病院へ通い続けた。

昏睡状態になる少し前に、弁護士を紹介された。件の原田弁護士は、随分と若いなと思った。精々40前の弁護士に全部任せているらしい。帰った後に聞くと

「利夫ちゃんは30年来の付き合いだから」

と言う。

「そんな、子供の頃から知ってるって事?」

「あんただって、小さい頃に何度か会ってるわよ。覚えてないの?」

まったく覚えてないが…そうらしい。

「もともと、原田さんはお父さんが亡くなった時にお世話になって、あ、利夫ちゃんのお父さんね。そこからずっとお願いしてるのよ。代替りしてもしっかりやってくれてるわ」

そう言うと、ベッドの、横の引き出しから数枚の紙を出してくる。

「これは、原田さんにも渡してあるからこの通りに準備してくれてるので、あなたもよく読んでおきなさい」

そこには、葬儀の内容、お墓の場所などがしるされていた。

「父さんと同じお墓には入らないの?」

父は七年前に他界しお墓も近くにある。記されていた墓は、聞いた事のない県外の場所にある。

「お父さんも一緒に移して欲しいのよ。今のお墓は近い所が良かったので仮のお墓なのよ。お父さんとも話して決めたお墓が、その場所にあるからしっかりやってちょうだい」

そう言うとちょっと寝ると言ってベッドを倒し始める。

「まったく、なんでも、勝手に決めて…」

「楽でしょう」

と笑う。

溜め息をついた。


 それから2日後、母は亡くなった。

ほとんど眠っていて、しっかりと話をしたのはそれが最後だった。

母の最後はなんだか淡々としていた。



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