第26話

今回は――


葉が、紗英が初めて1人でスコーンを焼く朝を、こっそり見守っていた裏話をお届けします。


厨房に立つその背中を、ただ信じて任せること。

でも、ひとつぶのマスターとしての“まんなか”は、

やっぱり、いつだってそばにありました。



『たしかに、焼けていた』


 「明日の朝、仕入れ行ってきます。

 スコーン、紗英さんに任せていい?」


 そう言った前日、葉はあえて、何も細かく言わなかった。

 手順もレシピも、紗英にはもうちゃんと身についている。

 それに――細かく言うことは、信じてないってことにもなるから。



 けれど当日。

 仕入れ先の道を歩きながら、

 葉はずっと、厨房の音を思い浮かべていた。


 今ごろ粉をふるってる。

 今、バターを……あ、早く切りすぎてないかな。

 生地、まとまったかな……手、冷えてるといいけど……。



 そして戻ってきたとき。

 時計の針は、まだ開店前。


 葉はそっと“ひとつぶ”の裏口に回り、

 勝手口のすりガラス越しに、厨房の様子をのぞいた。



 そこには、少し緊張した背中の紗英がいた。

 生地を型で抜くとき、ほんの少し息を止めているのが分かった。

 そのあと、スコーンをオーブンに入れて、

 紗英は一歩さがって、そのままじっと立っていた。


 葉は、それを見て、ふっと笑った。


 「……同じこと、私も初めてのときにやったな」



 焼きあがった香りが、すこし裏手にも流れてきた。


 扉のガラス越しに見えたそのスコーンは、

 ――少し焼き色が濃いけれど、

 ちゃんと、“まんなか”がふくらんでいた。



 開店5分前。

 葉はわざと何食わぬ顔で、裏口から入って、

 カウンターへまわった。


 「あ、葉さん……!」


 紗英の声には、驚きと、

 少しだけ“子どもみたいな照れ”が混じっていた。



 葉はスコーンをひとつ手にとって、

 割って、口に運ぶ。

 ――さっくり、ふわり。


 そして、こう言った。


 「……いい音、する」



厨房にいなくても、

手の記憶は、ちゃんと焼きあがる。

誰かを信じるって、きっとそういうことだ。


 “見守っていないようで、ちゃんと見守っていた朝”。

 その焼き色は、たしかに、ひとつぶの味だった。

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