第17話

今回は――


「葉が“ひとつぶ”という店名を決めた日」のお話をお届けします。


――喫茶店「リーフ」が閉店してしばらく。

誰かが残した空気を、どうやって次につなげていくか。

まだ何もない空き地で、小さな名前が生まれるまでの、ひとつめの物語です。



『ひとつぶ、という名前』


 リーフが閉まって、しばらくの時間が流れた。

 店の最後の日に、葉は三谷から「次は君が、君の空気をつくりなさい」と言われていた。


 でも、「場所をつくる」なんて、そんな大それたこと、自分にできるのだろうか。

 数ヶ月間、葉は何も決められないままだった。



 そんなある日。

 葉はかつてのリーフの常連たちに会いに行った。


 公園で、家の前で、本屋の隅で。

 その人たちはリーフの記憶をとてもやさしく話してくれた。


 > 「ひとりになれるけど、ひとりぼっちじゃなかった場所」

 > 「声をかけなくても、見守られてる気がしてた」

 > 「言葉にする前の気持ちが、ちょうどよく静かにしていられる空気があった」


 それを聞いて、葉の中にぼんやりと何かが浮かびはじめた。

 ――自分がつくりたいのは、**“言葉の前にいられる空気”**だ、と。



 ある雨の日。

 葉は小さなノートを開いて、言葉をメモしていった。


 > 静けさ/種/言葉/音/あたたかい/はじまり

 >

 > 小さいけれど、確かなもの。

 > 見えにくくても、大切なもの。


 そして、ふと、1つの言葉で手が止まった。


 「ひとつぶ」


 なぜだか、そのひらがなの並びが、心にしんと降りてきた。



 三谷に手紙を書いた。


 > マスター

 >

 > お店の名前、決まりました。

 >

 > 「ひとつぶ」っていいます。

 >

 > それは、スコーンの中のベリーかもしれないし、

 > ことばのはじまりかもしれないし、

 > 静けさをくれる空気のつぶかもしれません。

 >

 > わたしは、誰かの「ひとつぶ」になれたらいいなと思って、この名前にしました。


 数日後、返ってきたハガキには、こう書かれていた。


 > いい名前だ。

 > そのひとつぶが、ちゃんと育ちますように。

 > ――三谷



 それから少しずつ、葉は動き出した。

 物件を探し、キッチンをつくり、棚をつけ、最初のケーキを焼く。

 メニューはまだ少ししかないけれど、店の名前は最初から、そこにあった。



“ひとつぶ”は、いつか芽を出すもの。

でも、それが育つには、誰かのあたたかい時間がいる。


 店ができるより前に生まれたその名前は、

 今日も、だれかの静けさを受けとめるために、そこにある。

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