窓のむこうの、あの人は

Naml

序章


その日も、窓が開いていた。


雨の降った夜だった。古いアパートの二階、端の部屋。鍵をかけて、カーテンを閉めたはずの窓が、朝になると静かに開いている。


水谷さえは、いつもと同じようにそれを無言で閉め、何事もなかったように朝食のトーストを口に運んだ。コーヒーの味は苦くもなく、香りもない。舌の上を通り過ぎるだけの液体。


この部屋に引っ越してきて半年。駅から遠く、築四十年を超えた花月荘に住む理由はひとつだけ。「静かだから」。


でも、静かすぎると、昔の音がよみがえる。

妹が死んで、四年が経った。


死因は転落。実家の二階の窓から落ちた。事故として処理されたが、さえは今も「事故」という言葉に馴染めないでいた。


その夜から、「窓」が怖くなった。

それ以来、彼女は毎晩、鍵を確認する癖がついた。


にもかかわらず、今の部屋でも——その窓は、夜のあいだに、開いている。


最初は風のせいかと思った。次に、古びた窓枠のせいだと思った。だが、月に一度、決まって開くのだ。必ず、「雨の降る夜」の翌朝に。


それに気づいた時、さえはようやく理解しはじめていた。


これは、偶然ではない。

誰かが、……いいえ、


“なにか”が、窓を開けている。

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