千里眼は闇を視る

弥生紗和

第1話 千里眼公開実験の日

 千里眼なんていう能力は、見世物でしかない。


 透視能力があると言われ、人々の好奇な目に晒され、これまで散々見世物として扱われてきた女がいた。今日は大勢の新聞記者の前で、彼女の異能を調べる『千里眼公開実験』を行うという。女は新聞社に連れてこられ、一室で一人静かに待っていた。


「一ノ倉薫いちのくらかおるさん。準備ができたようなので、行きましょう」


 窓の外を眺めていた一ノ倉薫は、自分を呼びに来た声に身を固くした。


「……はい」




 昔ながらの和風建築と煉瓦造りの西洋建築が入り混じる大都会、帝都。今日、とある新聞社では『世紀の大実験』が行われるということで、社内の一室に多くの人々が集まっていた。彼らは新聞記者や学者などで、ずらりと並べられた椅子に並んで腰かけ、窮屈そうにしながら実験が始まるのを今か今かと待っている。

 それは透視の力を持つ『千里眼の女』を呼び、彼らの前で公開実験させるというものだった。その女は一ノ倉薫と言い、どんなものでも見通す力があるという。薫はある見世物小屋にいて、客に千里眼の力を披露していた。


 記者達の前にはテーブルと椅子があるが、まだ薫は来ていない。テーブルの傍らに立っているのは、見世物小屋の主人である永田博ながたひろしだ。彼はでっぷりと突き出たお腹を揺らし、脂ぎった顔を上気させながら目の前の記者達に実験の説明をしている。


「えー……それではこちらをご覧ください」


 永田は紙の束を持ち上げ、彼らに向かって掲げて見せた。記者達の視線は一斉に永田が持つ紙の束に集中する。


「これはここに入る前に皆様に書いていただいた、ご自身の名前が書かれた紙です。皆様、見覚えがおありですね? そうです。今回の実験はこの紙を使って行います」


 永田の視線はテーブルの上に置かれた小さな壺に向いた。その壺は蓋がついていて、家庭で漬物などを保存する、ごく一般的に使われているものだ。壺の横には少し大きめな木箱が並べておいてある。


「この中から一枚だけ選び、壺の中に入れて封をします。頑丈に封をした後、更に木箱の中に入れます。これで完全に、中に入れた紙を見ることはできないというわけです。そこで! うちの『一ノ倉薫』が、この箱の中に書かれた名前を見事に透視して見せましょう」


 永田は自信たっぷりに説明を終えると、自身に向けられた視線を気持ちよさそうに浴びえていた。記者達の後ろには三脚が立てられ、カメラもある。今日の『世紀の大実験』は大々的に新聞で報道される予定だ。実験が成功すれば永田博の名前は帝都中に広まる。見世物小屋でインチキ紛いの芸を披露させて金を稼いでいた彼が、一ノ倉薫の名前を使ってもっと大きな稼ぎを得ようとしていた。


 見世物小屋に行った客の間で、一ノ倉薫の『千里眼』は本物ではないかと噂になった。興味を持った新聞社が、今回の公開実験を行うことになり今日を迎えた。


 記者達の中で一人、他とは毛色の違う若者がいた。中折れ帽を深く被り、まるで周囲の視線を避けているような若者は、睨むように無人のテーブルを見つめていた。上等な生地で作られた三つ揃えのスーツを身に着けており、彼が上流階級の人間だというのは一目瞭然である。


 永田は立ち合いの学者と一緒に紙を一枚壺に入れると、紐で外れないようしっかりと縛った。更にその上から布で包み、それを木箱の中に入れる。そして木箱の蓋を塞ぐように紙を貼り、破れたらすぐにわかるようにした。


「さて、これで完璧に紙はこの中に封印されました。それでは準備が整った所で、一ノ倉薫をここへ呼んで来ましょう。薫は今、別の場所で待機しておるところです」


 新聞社の女が薫を呼びに部屋を出ていく。記者達は一斉に振り返り、扉に視線を集中させた。しばらくすると、女に連れられて着物姿の若い女がおずおずと部屋に入って来た。


 一ノ倉薫は二十歳。黒髪を後ろで一つにまとめ、くすんだ色の着物は彼女の顔色を青白く不健康に見せている。明らかに痩せていて、ちらりと見える彼女の首はとても細い。薫が歩く姿を、身なりのいい若者はじっと目で追っていた。

 薫がゆっくりと椅子に座ると、カメラマンは待ってましたとばかりにシャッターを切る。バッ、バッと強い光が薫の顔に当たり、眩しそうに薫が顔を歪めるのを見た永田は、慌ててカメラマンに写真をやめるよう制した。


「もう写真はそのくらいでいいでしょう。その光で薫の『千里眼』がおかしくなったら大変ですからね」


 薫を庇って見せた永田は、恩着せがましい笑顔を薫に向けた。だが薫は永田の方を見ることもなく、ただじっとテーブルに目を落としている。身なりのいい若者は、そんな薫の様子がおかしいことに気づいていた。薫は永田に一切目を向けず、まるで永田に怯えているようだ。


「では、今から透視実験を始めましょう。まずは薫の目と耳を塞がせてもらいます。こうしないと薫が集中できませんのでね」


 永田はちょうど目の幅くらいに折った手ぬぐいを記者達に見せると、薫の目を隠すように頭に巻いた。続いて綿を丸めたものを、乱暴に耳の中へ押し込む。


「これでよし……と。皆様、どうか実験の間はお静かに願います。薫の力は集中力が必要ですからね。不正を防ぐ為、私は薫から離れるとしましょう」


 永田は薫の前に木箱を置いた。そしてまっさらな紙を横に置き、硯と筆も一緒に置くと薫から離れた場所に立った。箱の中に何が書かれているか、薫は全く知らない状態である。

 薫は箱を見つめ始めた。記者達が固唾を飲んで見守る中、身なりのいい若者は姿勢も変えずに黙って薫の表情を見ている。薫の表情は真剣そのものだ。厳重にしまわれた一枚の紙に書かれた名前を読み取り、まっさらな紙に同じ名前を書ければ、この『世紀の大実験』は帝都中どころか、国中を揺るがす大騒ぎになることだろう。


「……見えました」


 薫のか細い声を聞いた永田はそばへ戻る。永田は彼女の手ぬぐいをやや乱暴に外すと、紙を目の前に置いて「ここに書け」と命令した。薫はゆっくりと頷くと、筆を手に取った。


 その様子を記者達は固唾を飲んで見守る。薫の手の動きに記者達の視線も合わせて動く。ようやく文字を書き終えた薫は筆を置き、紙を裏返しにした。


「書き終わったな。それでは皆様、今から箱を開封し、薫が書いた文字を合っているか確かめるとしましょう」


 永田は記者達の注目を存分に浴びながら、得意げな顔で箱に貼られた紙を剥がし、蓋を開けて壺を取り出す。布を解き、紐を外し、壺の蓋を外すと中の紙を出して記者達に見せた。


「皆様、この文字がご覧になれますでしょうか? ここには『妙前みょうぜん高臣たかおみ』とありますね。どなたの名前でしょう?」


「僕です」


 すっと椅子から立ったのは、帽子を被った身なりのいい若者だった。妙前高臣は姿勢がよくすらりとしていて、少し吊り上がった目元と固く結ばれた口元が整った美しい顔立ちだが、どこか近寄りがたい雰囲気もある。高臣の名前を聞いた他の記者達は、次第にざわつき始めた。


「妙前とは、ひょっとしてあの『妙前家』の?」

「華族様が来ていたとは驚きだ……」


 妙前高臣は華族であった。彼が何故一ノ倉薫の千里眼実験を見に来たのかと、記者達の興味は高臣へと移っている。


「皆さん、僕のことは構わずに。今は実験の結果を見る時です」


 高臣のよく通る声が部屋に響き、記者達はぴたりと喋るのをやめた。


「そ……それでは、薫の書いた文字を見てみましょう。薫、お前の書いたものを皆さんに見せて差し上げなさい」


 永田に促された薫は、ゆっくりと紙を持ち上げると記者達に向かって掲げた。


――そこに書かれた文字は『前田高雄』だった。


「違うじゃないか!」

「実験は失敗か……やっぱりそんなことだろうと思った」


 明らかに落胆の声が広がり、動揺した永田は慌てて記者達に声を張り上げる。


「た、確かに今回は全て的中というわけには参りませんでしたが、ご覧ください、前と高、二つの文字は的中しているでしょう! これは薫の千里眼が見抜いたからに違いありません!」

「この女の千里眼は本物だと、あんたが言ったんだろう! 二つだけ当たったのでは成功とは言い難い! この実験は失敗だ!」

「待ってください。薫はこのように大勢の人の前で千里眼を使うのは初めてなのです。きっといつもの力が出なかったんだ、なあ、そうだろう? 薫」


 永田は目に怒りを浮かべながら薫を見る。薫は永田からパッと目を逸らし、俯いてしまった。


「所詮芸人崩れが。客のことは騙せても俺達の目は騙せないぞ!」

「残念だったな、永田さん」

「待ってくださいよ、もう一度やらせてください! 今度こそは成功させますから……」


 立ち合いの学者は落胆した顔を浮かべ、永田に声をかける。


「永田さん、確かにこの形では薫さんを集中させるのは難しい。また別の機会にもう一度実験をしましょう」

「ううむ……しかし……」


 記者の一人が、学者に向かって意地の悪い視線を投げた。


「樋口さん、あんたも詐欺師にいいように利用されましたね。もうその男とは手を切った方がいいんじゃないですか」


 学者の樋口は困ったような顔で首を振った。


「実験とはこういうものですよ。一度だけで判断できるようなものじゃない」


 樋口の言葉を遮るように、記者達は次々と文句を言う。


「やれやれ、とんだ無駄足だったな」

「あれだけ本物だと息巻いておいて、結果がこれじゃあな」

「樋口さんも千里眼なんかに取り憑かれて……」


 結局この日の実験は失敗に終わった。落胆して帰っていく記者達の中、妙前高臣だけは平然としていた。それどころか、何か確信を得たかのような表情である。

 新聞社を出た所で、高臣を待っている若い男がいた。彼は高臣と同じ年頃で、やはり身なりのいいスーツを着ている。


「どうだった? 高臣」

「お前の言った通りだったよ、直弥なおや。彼女の『千里眼』は本物だ」


 直弥はフッと笑みを漏らした後、高臣に顔を寄せて声を潜めた。


「間違いないね?」

「彼女は僕の名前をわざと間違えた。直弥、彼女をあの下品な見世物小屋から連れ出すぞ」


 高臣は含みのある笑顔を直弥に向けると、足早に新聞社から離れた。

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