君✕彩SS短編『失恋をする。髪を切る。』
ひのき
『失恋をする。髪を切る。』
顔が好みの店員さん。
「ねぇ、大丈夫?」
そう、私が声をかけた女の子の名前は
中三の期末テストの補習で、その子だけが放課後一人取り残されるように教室で机に向かっていた。
柊さんの事は、何も知らない。
黒い髪がとても綺麗で丸い眼鏡をかけていて、眼鏡を支える鼻の輪郭がとても綺麗な女の子。
要するに、顔がタイプなんだと思う。
その子は真面目そうな見た目とは裏腹に、時々学校をサボっていた。
それが原因なのか、それとも柊さんが望んでいるせいなのか、彼女はクラスの中で孤立してしまっている。
思い返せば、これは柊さんが好きでも気になっていたって訳でもないんだと思う。
ただ、顔の整った人だったら誰でも良かったんだと、今なら思うことができる。
一言。いや、二言だろうか。
その程度の会話を交わしていると「あっち行ってよ」と、言われてしまった事を今でも思い出す。
殆ど知らないとはいえ、気にかけた子に突き放されてしまったらいくら私でも傷ついてしまう。
けれど、教室を出て家に帰ると案外何ともなくて、そんな自分が嫌になった。
そんなどんよりとした感情が、胸というか耳の奥というか。キーンと耳鳴りのようにこびりつくような感覚がずっと…ずっと離れなかった。
春休み。壁にかかっているカレンダーをぼんやりと眺めながら高校の入学式までの日数を数えるだけの毎日。
なんとなくずっと気分が優れなくて、家の最寄り駅と高校の最寄り駅の間にある美容室を予約した。
きっと傷つきたかったんだと思う。
私の事を知っている人がいない場所に行って、伸びた髪を切ってけじめをつける。
つける必要があるかと言われれば、必要はないのだけれど、この時の私には何か形に残る傷が必要だったんだと思う。
『失恋をする。髪を切る。』
その美容室は駅から少し離れた場所にあって、家の近くにも店舗を構えるチェーン店だった。
「いらっしゃいませ。ご予約ですか?」
ガラス張りの自動ドアをくぐると、シャンプーとかワックスの甘い香りが風に乗って漂ってきた。
「あ、えっと…。 予約してた、
「お待ちしておりました」
店内には他のお客さんもいて、髪を切るハサミの音が心地よく響いている。
暖色と白色の照明が交互に混ざり合っていて、明るいけれど蛍光灯の肌寒さを感じさせない。
私は店員に連れられるがまま、作り物っぽさが滲み出る観葉植物に少し隠れた席に案内された。
「少々お待ち下さい」
「は、はい」
それだけ言い残し、店員さんは他のお客さんの所に行ってしまった。
店員さんが離れると、空調の音が耳ままで届いてきて、不安とか孤独といったものをかき乱してくる気がする。
これまで美容室に行く時はお母さんと一緒で、一人で行くのはこれが初めてだった。
同級生はどうなんだろう。なんて考えたことも無いけれど、いざ席に座ると少し大人になった気分にさせてくれる。
いつまで待たされるのか、そもそも忘れられているのかもしれない。
そんな不安が、少しずつ大きくなるのを感じている。
「た、大変お待たせしました!」
そんな不安をかき消すように、いや、待たされる不安からこの人で大丈夫なんだろうか。という不安を押し付けてくるかのような小走りで、その店員さんはやってきた。
「今日、担当させていただきます。
「よろしくお願いします…」
「今日は、どうされますか?」
「えっと……」
短くしてもらえればなんでも良いけれど、変になるのは嫌だった。
「調べてみたのがあるんですけど…」
スマホを取り出して、検索履歴から髪型を探す。
正直、今までずっと伸ばしてきたから短い髪型というのはよくわからないし、似合うとも思えない。
でも、切った後に床に散っている私の髪の毛の光景を見れば少しは気分が晴れるのかなって、そんな事を想像している。
「えっと、ショートとか、メディアムとか…」
「うんうんっ」
店員さんが少し屈むと、フワリと花の甘い匂いがした。
そんな匂いに少しドキッとしてまって、スマホから鏡に視線を移す。
鏡に映っているのは、頬を赤くした私とそんな私を気にもとめずに私のスマホを眺めている店員さん。
そんな店員さんの首元からは、少し屈んで『あおい』と書かれたネームプレートが垂れ下がっている。
前髪はぱっつんと綺麗に整えられていて、ポニーテールに結んでいる髪の毛から見える首筋はとても惹きつける輪郭をしていた。
「どの髪型にします?」
「あっ、えっと…」
女性同士で向こうは気にしていないのか、すごく距離が近い。
あ、いやーー。
私のスマホの位置が見にくいだけか。
スマホの位置を少し上に持っていくと、店員さんはその動きに合わせるように顔を離す。
少し残念なような、でも落ち着いたような。
「この、ショートボブで…」
「いいの?」
「え?」
「いや、綺麗な髪だから」
そう言いながら、店員さんは私の長い髪の毛の間をすうように、スーッと指で撫でてきた。
「何かつけてるの?」
「え?いや、なにも…」
「へぇ~。羨ましいっ」
「そうですかね…」
「どうする?やっぱりバッサリ行く?」
「や、やっぱりミディアムぐらいにしとこうかな…」
「じゃあ、この写真みたいな感じかな?」
「は、はい。そんな感じで」
とは言ったけれど、私の視線はスマホではなく鏡越しの店員さんの顔に釘付けになっていた。
服にかからないようにシーツで体を覆うと、鏡に映る私はてるてる坊主みたいになって、少し見るに堪えない。
そんな姿を見るのが嫌なのか、それとも店員さんに見られるのが嫌のかはわからないけれど、心地良い筈のなめからな生地は少し窮屈に感じた。
「このあたりで切っちゃいますね」
「あっ、はい」
背中まで伸びている髪が、肩の上に乗っかる程度に一気に短なる。
痛覚はないはずなのに、ハサミが髪の毛を切る感触が伝わってきた気がした。
淡々と、静かに店員さんは私の髪を整えていく。雑談なんて発生しない。発生しようもない。
でももし、なんでわざわざ長い髪の毛を切るの?なんて聞かれたら。
失恋したからーー
と、答えると思う。
柊さんが好きだったのかは正直わからないけれど、今ここで髪を切っているということは、どこかそういった感情が少なからずあったんだと思う。
そして改めて思う。私は薄っぺらいと。
柊さんも、店員さんも。少し顔付きが似ているような、でも店員さんの方が大人びてるような、そんな感覚。
ようするに、顔がタイプなんだろうなって思う。
視界がぼやける中、前髪も後髪もザクザクと切られて床に散っていく。その感覚が気持ちいいような、寂しいような。
「シャンプーしますね」
「あ、はい」
こういう時、なんて返事をすれば良いのだろうか。
さっきから「あ、はい」としか返事をしていない気がする。
けれど、それ以上何か反応が必要なの?って自問すると、すぐに必要は無いと結論づけてしまう自分がいるのも確かだ。
お客さんと店員さん。それ以上でもそれ以下でもないのだから。
「熱かったら言ってくださいね」
「わかりました」
けれど生暖かく心地の良いシャワーがじんわりと伝わってきて、耳元で泡が立つ音は心地良いし、髪の毛を洗うときは耳先に当たる店員さんの指先には少しドキッとした。
そんな運命ー
なんて誤解してしまいそうな時間はあっという間に過ぎて……なんてこともなく、ドライヤーで乾かしたり少し微調整したり。最後は、まだ終わらないのかなとお店の時計を気にしていたと思う。
「こんな感じでどうでしょうか?」
そう言って、店員さんは笑顔で鏡を私に向ける。そんな店員さんの顔ばかりに目が行ってしまって、私の髪型は視界の隅でぼんやりとしてしまっている。
「だ、大丈夫です」
何が大丈夫なのだろうと思うけれど、大丈夫じゃないと言っても切ってしまったものは仕方がない。
それに、意外とロング以外も似合うんだなと薄っすらと思ってる自分もいて「悪くない」なんて偉そうに声を出してみたくなってしまう。
「何様だよ」と、自分にツッコミを入れたくなると「お客様だよ」と身も蓋もない返事が帰ってきた。
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