第19話 人形師の家
その日、朝から支部の事務仕事でデスクに詰めていた二人は、昼休憩になってもまだPCとにらめっこしていた。
「そっちあった?」
売店で買って来た甘い菓子パンをかじりながら櫻が聞けば、
「……ないです」
しょっぱい菓子パンを咥えて揺月が首を振る。
二人は今、本部のデータベースにアクセスして白いワンピースの怪異の目撃情報を探していた。
発端は先日怪異溜まりについて調べる為に本部のデータベースを使った事がきっかけで、ここなら白いワンピースの怪異の情報も掴めるのでは? と揺月はずっと気になっていたのだ。
しかし、二人で難しい顔をしている通り、揺月が遭遇した事件一件だけで他には何もないのだった。
「まぁ確かに、顔を見ただけでアウトなんて凶悪な怪異があちこち出没してたらもっと話題になってても良さそうですもんね……」
しょんぼりと揺月は言う。
「あちこちで猛威をふるってないだけ良いんだろうけど、接触出来ない事には捕まえられないもんねぇ」
櫻は大きく伸びをした。ちなみに怪異を捕まえられる鍵になるかも知れない例の黒い石は、遙の父親が鑑定中だ。遙からはしばらく時間がかかると言われている。
「あ、昼休憩もう終わりますよ。すみません付き合せちゃって」
「何言ってんの、ゆうちゃんの敵は俺の敵だし」
櫻は事もなげに言って立ち上がる。
「昼からは怪異退治ですね」
「うん。なんか心霊スポットで肝試しに行った若者が失踪してるらしいけど、この物騒な世の中で心霊スポットなんか行くなよなぁっていう」
「ですよね。失踪した人形師の家でしたっけ」
「そう、そこに放置された人形が動くらしい。ベタだけどほんとに失踪者が出てるからなぁ」
廃墟となった人形師の家の動く人形の謎の解明と、排除。それが今回の任務だ。
*
車で現場に着いたのが午後二時。そこから周辺に住んでいる失踪した人形師の身内に詳しい情報を聞きに行く。人形師とは遠縁の親戚で、いま廃墟となっている人形師の家の管理をしているのもその人だ。
「真面目な人だったんです。人形に対してちょっと一途な所はありましたけど、普通の人で」
失踪前の人形師とはあまり付き合いがなかったというご婦人は、人の良さそうな顔を曇らせてそう言った。
「人形に対して一途なところというと?」
田舎作りの大きな家の客間である。飴色に変色したちゃぶ台には冷えた麦茶が出されていた。
「作った人形を売って生計を立ててたんですけど……気に入った人形は売らないんです。特に秘蔵っ子っていうんですか、特に気に入ったものはいくら積まれても売らないって。だから生活は苦しかったみたいですよ。自分は人形が居れば幸せだっていってましたけど、失踪してからは家も荒れ放題で、心霊スポットなんて言われる始末で」
「人形が動く、って話ですけど、お心当たりありますか?」
櫻が切り出すと、ご婦人は首を振った。
「わたしは見たことがないのでなんとも……ただあの人は、人形が生きてるっていってましたね」
「生きてる?」
二人は首を傾げた。
「ええ、俺の作った人形は生きてるって。夕方になると命が入って動き出すんだって、なんか縁起でも無い話してましたねぇ」
ご婦人は苦笑した。
*
人形師の家は小さな古い日本家屋で、裏の竹林になかば飲み込まれるようにして建っていた。
表に表札は出ておらず、狭い庭は荒れ放題で家も遠目から見ただけで一階部分のガラスが割られかなり傷んでいる。
「いかにも出そうですねぇ」
蝉時雨の中汗を拭いながら揺月が言うと櫻は真顔で頷いた。
「んね。出そう。お化け」
「中に入ったら夕暮れ来そうですか?」
時刻は午後四時になろうとしている。日没まではまだ間があるが、地域を限定しての局地的な夕暮れ現象は日没を待たずして起こる事がある。
「たぶん、来る。これもう中に入っちゃって大丈夫だと思う」
櫻の言葉に、最寄りの駐車場から担いで来た装備を確認する。揺月は日本刀とナイフ。櫻はハンドガンにナイフ、それにいつもの非常時に備えた携行品が入っているナップザックだ。
お互いの装備を指さし確認して確かめると、二人は荒れ放題の庭に足を踏み入れた。
*
貰っていた鍵で玄関から中に入ると蝉の声が一気に遠くなった。
換気のされていない室内は蒸し暑くほこりっぽい。明るい外から入った目が中の薄暗さに慣れるまで少しかかった。
「先輩、人形ですよ」
目が慣れると玄関から伸びる短い廊下の突き当たりの棚の上に、ガラスケースに入った一体の人形があった。
辺りはものが散らばっていたりと荒れた様子だが、その人形の周りだけ不自然なほど綺麗なままだ。
そろそろと人形に近づいた二人はその人形の精巧さに息を呑んだ。大きさは一メートルと少し。着物を少し崩した風に来ている女児の人形だが、艶めかしい肌といい、ガラスの瞳が入った顔の表情といい、まるで人間をそのまま縮小したようなリアルさだ。関節は球体がはめ込まれていて可動するようだった。
「これ動くって言われたらちょっと信じるかも」
思わず一瞬見とれてしまった揺月と違い、櫻は嫌そうに首を振っている。
「嫌だよ。リアル過ぎるよこれ。生きてるよ」
生きてる、という言葉に思わず櫻を振り返る。
「生きてます? 魂入ってるって感じします? これ」
「うーん……生き物じゃない、けど物でもない。なんか変なかんじ」
唸っている櫻を先導して一階の他の部屋も回る。
傷んだ畳や古い家具の上に、やはりあちこちに人形があった。
人形はケースに入れられたものもあれば、まるでそのまま歩いて来てそこに座りましたとばかりに出してあるものもあった。
共通しているのはどれも幼い少女で、和服を着ている。
失踪した人形師の作風だったのだろうな、と揺月は思う。
「一階の人形は特に動きませんでしたね」
「うん。こっち見てるけど」
櫻の視線の先ではぺたりと座り込んだ姿勢の人形がガラスの目で上目遣いに二人を睨み上げている。
「……で、本命なんだけど、たぶん二階だと思う」
天井を指さしながら言った櫻に揺月は頷いた。
「じゃ、行きますか」
二人は勾配のきつい狭い階段を上って二階へと向かった。
*
二階は一階よりさらに薄暗く、湿気がこもって蒸し暑かった。
そして一階とは比べものにならないほどの数の人形が、思い思いに家具に腰掛けたりスタンドに支えられて廊下に佇んだりしている。
「……こっちだ」
それまで後ろにいた櫻が前に出て廊下の奥に歩いて行く。後を追って進むと、閉じられたままの古い木製の引き戸があった。
「開けるよ」
櫻が軽い調子で言って引き戸に手を掛ける。立て付けの悪い戸はすこしガタガタとした後に開いた。
「…………」
中の風景に思わず息を呑む。
六畳ほどの狭い和室だ。その家具の上、飾り棚の上、古い畳の上、至るところに、小さな和服の少女達が足を投げ出す姿勢で座っていた。
窓から入る西日を受けてガラスの目に光が入り、絹のような黒髪は艶やかに光り、肌は柔らかく息づいているように見える。
元は工房としていた部屋なのだろうか。床にはのみや錐、小ぶりの木槌、やすりなどが乱雑に転がっている。
人形達は皆入り口を凝視するようにポーズを取っている。そのうちの一体と、揺月は目が合った。途端。
背後からガタンッと音がして振り向いた時にはもう部屋は夕暮れに支配されていた。
朱と黒。
それに塗りつぶされた部屋の中で、先ほどの音は引き戸が閉まった音だと言うことに気付いた。
櫻が戸に取り付いてガタガタと揺すったあとこちらに向かって首を振った。
開かない。部屋に閉じ込められた。そう理解した時、
「危ない!」
櫻に腕を引かれて動いた頭のすぐ横を何かが通り過ぎたのが分かった。そちらを見ると長い黒髪に薄墨のちりめんの着物を着た人形がゆっくりと振り返るところだった。
見ると片手にはのみ、もう片方には小ぶりな木槌を握っている。
のみを木槌で頭に打ち込まれる所だったのだ、そう悟った時にはずらりと並んだ人形達に辺りを囲まれていた。
元々狭い部屋だ。更に人形達に取り囲まれて身動きがとれない。そこに薄墨の着物の人形の鋭いのみの一撃が飛んで来た。
人形の背丈は揺月の半分ほどしかないのに宙に飛び上がるように執拗に顔の辺りを狙ってくる。攻撃は集中的に揺月を襲い、反撃の機会を与えない。
と、背後から聞き慣れたハンドガンの発砲音がして、中空にあった人形の少女の体制が崩れた。
その隙を逃さず、腰の刀を抜いて一挙動に人形の姿をした怪異を斬った。
袈裟懸けに着られた人形は無表情のまま物に戻ると畳の上にあおむけに倒れて乾いた音を立てた。
と同時に、揺月たちを取り囲んでいた無数の人形たちも、その場にくずおれて物に戻った。
「……ちょっと待って」
夕闇が開けて薄暗がりになった部屋の中で櫻がふらふらと押し入れの襖に近寄った。
その襖を開け放つと、中からごろり、と人間の身体が転がり出した。眼球にのみを打ち込まれて絶命した少年の死体だった。
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