ルドヴィーコ1世の治世⑤

第五節 いとけなき安息は、刃よりも脆く

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この地の空白には、風ではなく、血の予感が吹き込む。

誰もが沈黙を安らぎと錯覚し、舌を濡らした水を平和と呼んだ。

だが、真にもろいのは、割れた剣ではなく、束の間に結ばれた握手である。

花の咲く音さえ聞こえる街路に、明日の悲鳴は静かに潜んでいた。

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 1452年5月12日、第二次領地改革が施行され、王領ピサ州の統治構造に抜本的な改編が加えられた。これは、フィレンツェ戦争において獲得された新領の制度的統合を志向するものであり、王宮より以下の布告が発せられている。

【布告:ピサの王領への再編に際し】

ふるい支配をはらい、新たなる秩序を接ぎ木せよ。教会の鐘が鳴る場所に、王の法を敷け。ピサにおいては、信仰も、言葉も、はかりも、王のものとなる。」

―ルドヴィーコ1世・ディ・サヴォイア

 新たに編制された行政区は、従来の市参事会制度に代わり、サヴォイア本国と同様の課税・治安維持体制を受け入れることとなった。これに伴い、王室直属の執行官が派遣され、貴族階級の資本移動と、市民階級による物流再編が進められた。

 ところが、10日後の5月22日、神聖ローマ皇帝よりピサ州の返還要求が公式に通達された。これに対してサヴォイア王国評議会は全会一致で拒否を決定。即日、以下の声明が王名において発表される。

【声明:神聖ローマ皇帝の要求に答えて】

「ピサの血は、剣であがなわれた。戦場に散った名もなき兵にむくいずして、誰の法が正義を語れるか。われらは奪っていない。むしろ、秩序を与えたのだ。」

―ルドヴィーコ1世・ディ・サヴォイア

 この声明はただちにオーストリア宮廷へと伝達されたが、以後、神聖ローマ帝国議会内ではサヴォイアの合法性を巡る議論が密かに過熱することとなる。

 この返還拒否を契機として、外交界ではサヴォイア王国の孤立化を懸念する声が高まったものの、王国自身はむしろ外圧を利用し、国内統合と王権強化に拍車をかけていく。新領ピサでは、王宮主導の教育制度導入と税制標準化が開始され、また海軍力の再編と港湾修築が秘密裏に着手された。だが、それら全てが実を結ぶ前に、またしても剣が抜かれることになる。

 1453年8月18日、ミラノより「ヴァルトシュテッテ征服」の名目にて戦争協力の要請が届く。サヴォイアは即日、これを受託。ここに、ジュネーヴ・モンフェッラートを伴い、スイス連邦および三同盟、シュトラースブルクとの戦争に参戦することとなった。

 この開戦をもって、フィレンツェ戦争からおよそ1年半にわたる静穏せいおんの時代は終わりを告げた。その間に芽吹いた秩序と制度は、未完のまま、再び剣戟けんげきと火薬の奔流に呑まれてゆくことになる。


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刃が振るわれぬ時間は、戦士にとって祈りではなかった。

静寂の間にとどろく声なき策謀さくぼうは、白昼の雷鳴よりも確かだった。

いとけなき安息は、刃よりも脆く――

それでも王は進む。背後の教会の鐘が、また戦の始まりを告げるのだから。

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