王妃を廃した、その後は……

かずき りり

第1話

 月明かりすらない、ただ闇に浸食されたような静寂を纏う夜。

 せわしなく打ち寄せる波の音だけが耳に届く。

 どこまでも続く水平線は、果てしない闇へと続く道のようで……その境界線すら曖昧だ。

 私にはもう何もない。何もかもなくなってしまった。

 地位や名誉……権力でさえ。

 否、最初からそんなものを欲していたわけではないのに……。

 望んだものは、ただ一つ。


 ――あの人からの愛。


 ただ、それだけだったというのに……。


(気が付かれなかったという事は、それだけだったという事)


 私は遠くに見える王城の灯りを見て、静かに涙を零す。

 もう、要らないのだ。

 私が存在する意味はないのだ。


 ザザァンッ!


 波が、まるで闇へと導くように打ち寄せる。

 ……もう、私には頑張る理由すら全てなくなってしまった……。

 私は闇へと誘われるまま……静かな海に足を踏み入れた。

 足から伝わるのは心地よい冷たさで……ゆっくりと入って行く。

 足から太ももへ。そして腰元から肩へ……。


 ――そして、全身を深く海へと沈める。


(もう……終われる……)


 伝っていた涙は海と同化し、私は息苦しさを感じながらも、抵抗する事なく海へと身を任せた。

 残ったのは……静寂な水面。

 ラウラ・フェルナンデス王妃の身体は、まるで静かな闇に呑み込まれるように沈んでいった……。




 ◇◆◇




「ラウラ! お前を廃妃とする!」

「……え?」


 ノックをする事もなく、大きな音を立てながら扉を開けて、いきなりやってきた旦那様……ホセ・フェルナンデス国王陛下は何の感情も籠らない声で宣言した。

 けれど、その言葉は私の耳を通り過ぎるだけで脳に残る事はなかった。否、あまりに唐突すぎて理解するのを拒んだとも言える。

 いつも通り過ぎた今日。大量の執務を終え、今やっと自室へと戻ったというのに……一体、何の冗談なのだろうか。

 しかし、続くホセ様の言葉は変わらず無情なものだった。


「心だけでなく耳まで悪いのか。お前を廃妃として、お前の妹を王妃にするのだ」


 そう言って影に隠れるように居た女性の腰を抱き寄せた。

 パウラ・ナバーロ侯爵令嬢。正真正銘、私の妹だ。


「ど……どうして、そんな! 横暴です!」


 ホセ様に縋ろうと近づいた私をホセ様は問答無用で突き飛ばす。

 そのはずみで、私は無様に床へと倒れ込んでしまった。


「お姉様、いい加減私にホセ様を返して下さい! みっともなく縋って情けない……」


 そんな事を言いながらホセ様に縋って涙を流すパウラを、私は床に手をついたまま睨みつけた。

 返して?

 どの口がそんな事を言うのかと。


「お姉さま……いくら私が憎いからと言っても、ホセ様まで惑わすのはいけません! お願い! 私達の愛を返して下さい!」

「パウロを害するのは止めろ! 父上が死んで……ナバーロ侯爵も死んで……やっとお前を追い出せるんだ。親が決めた政略結婚のせいで、どれだけ俺達が苦しんできた事か!」


 私の視線を受けて、二人がかりで責め立てる。

 一ヵ月前に国王陛下が不慮の事故で亡くなり、ホセ様が国王となられたけれど……前国王陛下の言葉をなかった事にするなど横暴だ。

 言い換えれば、死ぬことを望んでいたようにも捉えられかねないのに。


「……国王陛下とお父様が決めた事……。亡くなったからと言って、反故にするなど……」

「うるさい! パウラはお前と違って、私の子を宿したのだ! お前のような役立たずで悪辣な女は、とっとと出て行け!」


 その言葉を聞いて目を見開いた私を、ホセ様は馬鹿にしたような表情で見下ろしてきた。


「パウラのお腹の中には私の子が宿っている。」

「嘘……ホセ様……嘘でしょう!?」


 ホセ様は足元に縋る私の手を踏みつけ、親の仇を見るような冷たい瞳で睨みつけてきた。

 淑女たるもの感情を表に出してはいけないと言われているけれど、私の瞳からは次から次へと涙が零れ落ちてくる。

 もはやそれは、心が痛むのか、それとも手の痛みなのか分からない程だ。


「私達の愛を邪魔したお前など、身一つで出ていけ」


 ホセ様の冷たい言葉が脳内に響く。

 子どもが出来た……ホセ様の子どもが……パウラのお腹に……。

 次から次へと溢れ出る涙など関係なく、ホセ様は私の腕を引っ張って無理矢理引きずるように部屋から連れ出すと、そのまま城外へと放り出したのだ。

 もうすぐ春が来るとはいえ、まだ肌寒い夜に上着一枚与える事なく、言葉通り身一つで追い出されたのだ。

 涙は枯れる事なく、次から次へと頬を流れる。

 愛されたかった……けれど私は、その愛をパウラから勝ち取る事が出来なかった。


「私は……少しも愛してもらえなかったのかしら……」


 力なく呟くけれど、その答えは歴然だ。

 婚姻式の時、既に宣言されていたのだから。

 形だけの王太子妃。

 愛されない王太子妃。

 それでも……貴方の為だけに尽力していた。

 王太子妃として……国の為にと……。


「っ!」


 フラリと立ち上がれば、足首に痛みが走る。

 きっと突き飛ばされた時に捻ったのだろう。


(もう……疲れた……)


 私は痛む足を引きずりながら、ホセ様との思い出が宿る海へと向かった。

 ……私にはもう、行く場所なんて何処にもないのだから……ならばせめて、最後は……貴方と出会った場所へと……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る