第28話 美波の仇
「お電話変わりました、校長の須崎です」
「週間現代スクープの佐藤と申します」
「どういったご要件でしょうか?」
相手の緊張感が電話越しにも伝わってきた。近年では体罰問題や教師の不祥事、少子化により生徒が少なくなっているにも関わらず、教育現場での問題が相次いでいる。週刊現代のようなゴシップ誌からの取材が、自校において明るいニュースではない事くらいは、全教諭が認識しているのだろう。
「七年前の、星野美波さん殺人事件についてお聞きしたいのですが」
「な、な、なにを言っているのですか! あれは自殺です、殺人なんて、人聞きが悪いことを言わないで頂きたい……」
声が急にデカくなったと思ったら、尻すぼみで小さくなり、最後の方はほとんど掠れるような声だった。校長室で電話を受けているのだろうが、廊下まで聞こえてしまう事を恐れて自重したのだろう。
「おたくの卒業生、浅間菜緒が知り合いの男に指示をして強姦。動画を撮影して脅し、薬物を無理やり投与。星野美波さんは失意のどん底に突き落とされた末に自殺。裁判所がなんて言おうが、これは殺人ですよ校長」
「とにかく、とにかくその事件はもう終わった話です、当校とは関係がありません」
「ええ、私も別に、昔の事件を混ぜっ返そうって訳じゃないんですよ。ところが主犯の浅間が最近、また事件を起こしましてね」
「は?」
「まだ、何処にも記事になってないのでオフレコでお願いしますよ。浅間菜緒は覚醒剤取締法違反の容疑で明日にでも逮捕されます」
「覚醒剤……」
当然デタラメの話だが、校長には効いたようだ。
「ええ、それで彼女の住所と連絡先を教えて頂きたいと思いまして。もちろん個人情報の開示が難しい事は承知の上ですが」
「だったら――」
言い終わる前に被せる。
「取引をしませんか? 彼女の情報を頂ければ、弊社としては当校との過去についてはいっさい記事にしないと誓います」
「と、言いますと」
もう一息だ、完全に及び腰になっている。
「普通であれば覚醒剤で逮捕された女が昔、人を殺していた、おっと失礼。いたいけな女子高生を自殺に追い込んだという話は、是非とも世に出したい所です。しかし、今回に関しては故人を悼む意味でも、関係性を明かしません。高校時代のことは一切触れない。どうです?」
「いや、しかし――」
「浅間は当時未成年ですから、公に名前は出ていない。この情報はある消息筋からのものでして、弊社だけが握っています。しかし、もし雑誌に載るような事があれば、他の記者たちも黙っていませんよ。後追い記事に、ワイドショー、蒸し返されのは必至です。しかし、個人情報さえ頂ければ、我々はその事実を公表しません。もちろん母校ですから多少の騒ぎにはなるでしょうが、今日日、覚醒剤の所持、使用くらいでは世間の反応は薄い。すぐに風化するでしょう」
「ほ、本当ですか? 本当に七年前の事件のことは……その、記事にしませんか?」
「ええ、約束は守ります」
その後、電話が保留にされると十分程待たされた。六年以上前に卒業した生徒の連絡先を、保存しているかどうかは疑問だったが、紙ベースで保管していた時代とは違い、データベースでパソコンに管理されていれば残っている可能性は十分にあった。
「よろしいですか」
「ええ」
校長が発した電話番号と住所をメモする。練馬区という住所を眺めながら、今でも実家に住んでいる事を期待した。もっとも、実家を出ていたとしても、地の果てまでも追いかけて、後悔させてやると決めていたが。
「くれぐれも、私から聞いたとは」
「もちろん情報源は漏らしません、我々もプロですから、では」
「記事の――」
記事の方もお願いします。とでも言いたかったのだろうが、その前に通話を終えた。安心してくれ、そんな記事が出ることはない。代わりに浅間の死亡記事が出るかも知れないが。
「探偵みたいですね」
スマートフォンをローテーブルに置いて顔を上げると、コーヒーカップに口を付けながら凪沙が俺を見た。
「実家の住所と電話番号は分かった」
「でも、あの女。二十四歳ですよね? さすがに実家にはいないんじゃないですか」
「何とでもなる、それより学校はどうした」
「関係ないでしょ、それに私が姉の高校を教えてあげたから、実家まで辿りつけたんですよね? 感謝してもらわないと」
俺は凪沙の目的を測りかねた。墓地で偶然会ってから彼女はずっと挑発的だ。しかし、美波の復讐には協力すると言う。敵なのか味方なのか、どうにも判断がつかない。
「別にあんたに聞かなくても調べる方法はいくらでもある。で、いつまで居るつもりだ?」
「佐藤さんは、これからどうされるんですか?」
チッ、口の中で舌打ちした。質問を質問で返すなと言いたくなるが我慢する。
「浅間の居所を突き止める、分かれば直ぐにでも会いにいく」
「会ってどうするんですか?」
「さあな、殺すかもしれない」
「じゃあ、ついて行きます」
「はあ?」
「姉の彼氏を殺人犯にする訳にいかないし、警察に捕まったら来年の夏、会えませんよ? 良いんですか?」
「だったらなんで、俺に協力する?」
「復讐には賛成ですけど、殺人には反対です」
「あんたは俺が、刑務所に入った方が好都合じゃないのか? お気に召さないようだからな」
「あんた、じゃなくて凪沙です」
「チッ」
今度は分かるように舌を鳴らした。
「姉の手記に書いてあったんです。あなたが無茶しないか見張ってて、と。私だって好きでやってる訳じゃないんですよ」
そう言って不貞腐れた凪沙の横顔が、一瞬美波に見えてドキリとした。
「勝手にしろ」
「勝手にします」
俺はソファに座り直し、スマートフォンを操作した。先程、校長から聞き出した浅間の実家に電話する。スリーコールで中年女の声が聞こえてきた。
「はい、もしもし、浅間ですが」
「佐藤と申しますが、菜緒さんはご在宅でしょうか?」
出来るだけ低い声で相手を威圧する。
「菜緒は仕事に出ていますが、どういったご要件でしょうか?」
よし、実家暮らし確定。
「こちら消費者金融のアデルと申しますが、菜緒さんのお支払いが滞っていましてね、大変困っているという訳です、何時頃お帰りになりますか?」
「え、いつも、二十時くらいですが。しょ、消費者金融ですか?」
実家に住んでいる事と、帰宅時間が分かったのだからすぐに電話を切っても良かったのだが、せっかくだから馬鹿を産んだ親にも少しお灸をすえる事にした。
「すでに三ヶ月の滞納になってまして、当社としましても強硬手段に出ざるを得ない状況です。失礼ですがお母様でしょうか」
「はい、そうです、あの、強硬手段とは」
「ええ、弊社なんですが、普通の金融機関とは少し違っていまして。まあ、有り体に言えば闇金です。ですので裁判などの正攻法で返済を迫ることはできません、逆に捕まってしまいますから」
「やみきん……」
母親は絶句しているようだ、そりゃ自分の娘が闇金に手を出していたら言葉もなくなるだろう。
「いくらなんですか?」
「五百万です」
練馬在住の一般家庭じゃ五百万は大金だろう、しかし用意できない程の額ではないはずだ。さて、どう出るか。
「でも、闇金とかは返済しなくてもいいって……」
中々知識はあるようだ。まあ、ワイドショーでもこの程度の事はやっているから、情報として持っているのだろう。
「もちろんです、闇金は犯罪ですから。しかし我々としてもそれは分かった上で商売している訳です。分かりますよね? 菜緒さんにも当然了承して頂いております。つまりコレは法律を超えた約束、人間同士の信頼で成り立っているのですよ」
「でも……」
「お母さん、約束を破った人間を、私共の世界ではどうするかご存知ですか」
「……」
「ご想像にお任せします、では」
暇つぶしにもならなかったが幾分、気分はスッとした。会社員ならば夜には家に帰って来るだろう。スマートフォンに映し出された浅間を見て、画面に唾を吐きかけたくなった。
頻繁に更新されているSNSは、どれもブランド品の自慢や、ランチの写真で埋めつくされていて、精一杯加工を施した自撮りの写真でもブスなのが確認できる。こんなブスがアップした情報が、一体何の役に立つのか不明だったが、それなりにフォロワーが付いている事に驚いた。
「極悪非道ですね」
「頭脳明晰と言って欲しいね」
俺は寝室に入りジャージを脱ぎ捨てた。ベージュのテーパードパンツに白いシャツを合わせる。クローゼットに付いている鏡でヘアスタイルをセットして、時計を左腕にはめた。
「俺は出かける、あんたはどうする?」
ツンと背筋を伸ばして、ダイニングチェアに座る凪沙に声をかけた。しかし、返事をしないどころか微動だにしない。俺はため息を吐いた。
「俺は出かける、凪沙はどうする?」
「もちろん、ついて行きますよ」
今度の返答は早かった。
「まさか、その格好で来るのか?」
「問題でも?」
「桜凛学園の制服だろそれ? そんなお嬢さまが平日の昼間にぷらぷらしてたら、すぐ補導されるぞ」
「そう言われましてもねえ」
俺は何も言わずに寝室に戻り、クローゼットを開けた。服に興味のない男の、スカスカな押し入れに女物のワンピースが一着入っている。美波と買い物に行った時に、物欲しそうな目で眺めていたので買ってやった服だ。サンダルとセットでまあまあの値段がしたが、その服を着た美波は、まるで妖精のように美しかった。
「これに着替えろ」
服を差し出すと一瞬、凪沙の表情がパッ明るくなったような気がした。しかし、すぐに冷徹な女の顔へと戻る。
「それ、姉のですよね? 良いんですか他の女に貸しても」
「他の女って、家族だろ。それにサイズはピッタリのはずだ。どのみち、制服姿じゃ連れて行かないからな」
「ま、まあ、それなら仕方ないですね」
凪沙はそう言ってワンピースを掴むと、洗面所に消えて行った。その後ろ姿がなんだかスキップするように軽やかに見えたのは、きっと俺の気のせいだろう。
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