放課後の探偵〜暁の七つ星、幻の乗客〜
兒嶌柳大郎
第1話 幸運な乗車券
真新しいインクの匂いがする文庫本から顔を上げると、一ノ瀬莉子の視界は、ベルベットの深紅と磨き上げられた真鍮の金色に満たされた。
「すげえ……。莉子、マジですげえよ、ここ」
隣で、佐伯航汰が子供のようにはしゃいでいる。
彼のスマートフォンが、カシャ、カシャと軽い音を立てて、豪奢なラウンジカーの景色を切り取っていく。
無理もない。私たちが今いるのは、年に一度だけ、雪の季節に北を目指すという幻の豪華寝台列車「暁の七つ星」。
全国高校生小論文コンテストの最優秀賞の賞品が、この列車のペアチケットだと知らされた時は、さすがの私も声を上げたものだ。
「落ち着きなよ、航汰。他のお客さんの迷惑になる」
「だってよぉ、周り見てみろよ。社長とか大臣とか、そんなんばっかだぞ。俺らみたいな制服の高校生、完全に浮いてるって」
航汰の言う通りだった。
窓の外を流れ始めた東京の夜景に見向きもせず、ゆったりとグラスを傾ける大人たちは、皆、自信と余裕という名のオーラを纏っている。
鋭い眼光で経済紙を睨むIT社長らしき男。
熱心にメモを取るジャーナリスト風の男。
そして、窓際の席でひっそりと紅茶を飲む、影の薄い夫婦。
妻らしき女性は、つばの広い帽子を目深にかぶり、一度も顔を上げようとしなかった。
「あの奥さん、気分でも悪いのかな」
航汰が囁く。
確かに、夫らしき男性の姿も見えない。
ただ一人、窓の外の闇に何を思うのか、孤島のように座っている。
私は、その姿にほんの僅かな違和感を覚えながらも、再び手元のミステリー小説へと意識を戻した。
完璧な密室。
完璧なアリバイ。
名探偵が、ありふれた日常に隠された小さな綻びから、いかにして真相を手繰り寄せるか。
その美しい論理の構築に、いつも心を奪われる。
列車は滑るように速度を上げ、都市の光が遠ざかっていく。
これから始まる24時間の旅。
それは、私たち高校生にとって、人生で最も贅沢で、きらびやかな時間になるはずだった。
このレールの先に、インクの染みよりも濃い、本物の謎と悪意が待ち受けていることなど、知る由もなかった。
私はただ、この完璧すぎる空間に、物語の中の探偵のように、正体のわからない、ほんの小さな引っ掛かりを感じているだけだった。
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