第15話 晩酌、海運業と航海士
私という人間は、描いた計画通りに行くとワクワクする。立ちはだかる壁が現れると、それもワクワクする。希望が絶たれたところに光明が差すと、興奮する。
今がまさにその状況だ。そもそもの始まりは、グレゴリアス領が内需だけではなく外貨を稼ぐ必要があるところに着眼したところだ。婚約破棄をするためにヴァンドール侯爵家へ行った時に着た高品質の絹ドレスが、グレゴリアス領の職人であることを知り、これは稼げる特産品になると確信した。
しかし、職人のリタは引退し復帰する気はない。原因は娘の死。彼女の心が救われて絹づくりに復帰するように、娘の足取りを辿る私は生前の恋人を探し当てた。
しかし、娘の遺品を手に入れることはできず。しかし、予想外の展開が。
細い糸を手繰るようなグレゴリアス特産品計画。何度も起こるどんでん返しの、この感覚……
「快感んんんーーーーっ」
「ア、アニエスカ! 急に叫んでどうしたんだい! 父……驚愕」
アルベルトが同乗しているせいで狭い馬車の中は、温度と湿度も急上昇する。窓が小さいのが悪いんだ。
「悪いねえ、アルベルト君。妻のエターニアがたくさん買い物するから狭いんだ」
「あら酷い、貴方が豚のように太っているから狭いのよ」
「あーっ! エターニア! また豚って……相変わらず君の棘は鋭いなぁ」
馬車がグレゴリアス領に着いたのは夜だった。宿泊施設や宿屋の少ないこの街では、アルベルトが当日に泊まるところもなく、この日は屋敷に泊まってもらうことになる。
「アルベルト君、遠慮せずに食べてくれ。お酒はイケる口だよねぁ。昼から潰れるほど飲んでるくらいだからねぇ」
父が嬉しそうなのは、アルベルトを今日の晩酌の相手にしようとしているからだろう。
「男爵、貴族の食事だからどんなに豪華かと思いましたが、意外と質素なんですね」
「ははは、ウチは貧乏貴族だからねぇ。娘のアニエスカに家計を握られてるし」
「でも、料理の味は絶品です。これはこの地方の料理ですか?」
「家の料理長は腕がいいからねぇ。そう、この地方のきのこを使った郷土料理だよ」
会食など、人と一緒に食事をすることが好きな父だったが、ここ最近は経費削減のために会食禁止令を出していた。それもあって、今日は料理の説明も普段以上に饒舌だった。
食後の晩酌には私も付き合うことにした。
単純にこの世界の海運事業の事を知りたかったという好奇心。更に、どうにかジャンナの羅針盤を形見分けできないものか隙を窺いたかった。私自身、この世界の女だてらに努力と研鑽で航海士になったジャンナの話が聞きたかったということもある。
「ジャンナは本当に凄かったんです。庶民学校出で読み書きしか出来なかったのに、高等学院をでた私より高度な計算が出来るようになったし」
「アルベルトさんは高等学院に通ってらっしゃったの?」
「ええ、こう見えましても特待生でヴァンドール高等学院に入学した神童なんて言われたこともありまして」
高等学院は貴族が通う学校で、算術や経営術、法律や文学など官職になるエリートの教育を目的としている。庶民で更に特待生となると、まさしく神童だと言っても過言ではない。
そのアルベルトが落ちたほど難関の航海士の試験を合格するなんて。ジャンナの努力を想像すると頭がさがる。
「航海士ってそんなに難しいのですね」
「そりゃあ勿論です。船長と同じ数しか居ませんし、そもそも船長というのは無能な方たちが多くて」
船長は貴族の次男、三男、果ては八男などのボンボンが知識もないのにコネで就く仕事らしい。となると実質船長を担うのが航海士となるわけだ。貴族の長男以降のものを要職として受け入れることで、貴族たちからのヴァンドール侯爵の支持率は上がる。優秀なものは庶民でも高等学院で育て、安く使う。
「ぐぬぬ、ヴァンドール侯爵め……ビジネスを心得てやがりますね」
「ア、アニエスカ。望み通り婚約破棄したというのに、まだ侯爵に恨みがあるのかい?」
「いえ、経営者としてライバル視しておりますの」
「おいおい、ヴァンドール侯爵と商売でぶつからないでくれよ、相手は大貴族なんだ」
「ふふふ、どうでしょうね……ふふふふふふふ」
この時、この領地経営の正常化という信念の他に、私の心にもう一つの炎が灯った。
爽やかとは言えない朝は、淀んだ雲に覆われた天気と、些か深く飲んだ昨日の酒のせいもあるだろう。気だるい体を起こして身支度を整える。
「昨日あれだけ飲んだのに、顔が一切浮腫んでないわ。若いって最高ね」
前世の私なら顔がパンパンに膨らんでいるだろう。鏡に映った自分を見て、若さが武器であることを実感する。
アルベルトを馬車に乗せリタの家へ向かう。
雲は屋敷を出たときよりも厚く黒くなり、次第にポツ、ポツ、と馬車の屋根を弾き始めた。
リタの家の庭で、干していた洗濯物を急いで取り込む双子の姿が見える。
「ナタリア、アニーお嬢様が来た」
「うん、来たー」
洗濯物を頭に乗せたロザリアとナタリアが馬車へと駆け寄り出迎えてくれる。
家の中には、背もたれが付いた椅子に座り読書をするリタがいた。
「リタさん、もう起き上がれるようになったのね。良かったわ」
「ええ、あの子達のお陰でね。まだ家事ができるほどでは無いのですけど」
長引く人もいると聞いていたから、リタのぎっくり腰が快方に向かっているのを見て安心する。
「あの、リタさん。はじめまして……アルベルトと申します」
「あ……ああ、あなた……その手に持っているものは……」
リタは弱々しく椅子から立ち上がり、アルベルトが抱える羅針盤を目掛けて手を伸ばした。
◤ ̄ ̄ ̄ ̄◥
あとがき
◣____◢
『落ちぶれ令嬢の経営術!』を読んでくださりありがとうございます!
この物語は1400年代あたりを参考に舞台としています。
この時代って日傘や権威を象徴するための天蓋型の傘はあったらしいのですが、雨傘は無かったようですね。
雨傘が普及したのは1800年代に入ってからなんですって。
現在でもイギリス王室御用達の傘ブランド、〝フォックスアンブレラ〟のサムエル・フォックス社が開発したそうで。ナイロンになる前は絹だったのだとか。
絹? アニエスカ、傘作りそう!
コンテスト17位、ぐぎぎぎぃぃ。上位に食い込みたい。
次の話もお楽しみいただければ幸いです。
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