第23話「定義されなかった感情たち」
──空間が、震えていた。
記憶共有空間に現れた“つばき”は、かつて風見レンが知っていた彼女とは似て非なる存在だった。
制服姿は同じでも、その表情に浮かぶのは“拒絶”の色。微笑みではなく、怒りでもない。まるで、それを持つ資格すら失ってしまった者の顔。
「わたしは──あの日、あなたに“定義されなかった”」
彼女の声は透き通っていて、けれど芯に鋼のような何かがあった。
レンは、反射的に後ずさる。
「……つばき、じゃないよな?」
「わたしは“つばき”の中にあった、定義されなかった記憶。忘れられた“別の私”」
コードの残滓が生んだ“もうひとつの姫崎つばき”。
それはレンが無意識に選びとらなかった、彼女の記憶や感情の断片──
“恐怖”、“依存”、“敗北感”、“無価値感”……
再定義世界において排除された、ネガティブな感情の記憶だった。
◇
「再定義」という行為は、記憶や存在を“選び直す”こと。
だが、選ばなかったものは“なかったこと”にはならない。
それはコードの底で“残滓”として渦巻き、こうして暴走という形で現れる。
レンは、目の前の“彼女”を直視する。
「それでも……君は、つばきだよな。俺にとって」
“彼女”の表情が歪む。
「違う! あなたは“私じゃない方”を選んだ!」
「たしかに……俺は、彼女の笑顔を選んだ。前に進める姿を、守りたかった。でも、それだけじゃ──」
レンは言葉を飲み込んだ。
“じゃあ、それ以外のつばきはどうなる?”
怖がりで、泣き虫で、自分なんかいらないって、そう思っていた彼女のことは──
レンの胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
「ごめん」
そう呟いたレンの声に、記憶のつばきは一瞬、目を見開いた。
「……なに、それ。今さら?」
「うん。今さら。でも──今だから言える。俺は、全部の君を知ってるわけじゃなかった。だから……今から、知りたいんだ」
レンの手が、空に向かって差し出される。
「君が感じていたこと、君が失っていたもの……聞かせてくれないか」
記憶のつばきは、しばらく黙っていた。
だが次第に、表情が揺れ始める。
「ほんとうに……聞いてくれるの?」
「もちろん」
◇
──その後、空間は記憶で満ちた。
“つばき”は語った。
彼女がどれだけ自分を“兵器”としか思えなかったか。
どれだけ、レンに甘えたくても“拒絶される”のが怖かったか。
どれだけ、本当は“世界に必要とされていなかった”と思っていたか。
レンは黙って、すべてを受け止めた。
何度も目をそらしそうになった。でも──逃げなかった。
そして、語り終えた“記憶のつばき”は、静かに笑った。
「ありがとう。……今、やっと“定義”された気がする」
「それは、君自身が選んだんだよ。俺はただ、それを見せてもらっただけ」
「……バカ。優しすぎるよ」
彼女の体が光に包まれる。
“再定義”ではなく、“統合”。
つばきの“忘れられていた感情”は、彼女自身の中へと戻っていった。
◇
気づけば、記憶空間は穏やかな光に包まれていた。
ミナト・クロノが、どこか満足そうに言う。
「君、やっぱり“再定義者”だ。いや……それ以上かもね」
「……何 :contentReference[oaicite:0]{index=0}
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